Episode_26.16 優しき王子


「マルフル将軍より伝令!」

「申せ!」

「敵方の渡河開始を確認、二手に分かれて順次こちらへ向かってくる様子」

「分かった、ご苦労」


 伝令が駆け込んだのはディンスの中心にある城塞内居館の三階大広間。伝令を受けたのは西方面軍副官のオシアである。オシアは伝令が齎した情報を元に、敵兵集団を模した兵棋を大机に広げられたディンス近郊の地図上に置く。地図上には、ディンスの東を守るコモンズ砦から更に東へ外れた森林地帯に同じような兵棋が既に置かれていた。


「南を主力で攻めつつ東の砦を急襲……ここまでは、六年前のディンス攻略と同じ手です」

「ああ、先んじて東の森へ入り込んだのは伏兵だろうが、ロージ達が見つけてくれて良かった」


 兵棋を置いたオシアが発する声に答えるのはレイモンド王子。彼が居るこの場が王子派の本陣になるのだが、部屋の中には彼等の他は十人前後の伝令兵と数人の騎士しかいない。他の面々は既に出払った後であった。


「沖の四都市連合の船団が動くという情報、これを先に得られたことが――」

「機先を制し準備ができた、幸運だな」


 そう言い合う二人は、一様に地図の空白地帯、港の西の先に広がる海の部分へ視線を向けていた。


 六年前、ディンスは一度王弟派軍に落とされている。その時は西トバ河を挟んで両軍が長くにらみ合った末、当時のアートン公爵軍は緊張が緩んだ隙を突かれ、正面渡河と東へ回り込んだ別動隊の挟撃を受けることになった。その結果、ディンスは陥落し前線はストラを経てトトマまで迫ることになった。


 その後、今度は二年前にレイモンド王子によって統合された王子派軍がディンスを奪い返すことになるのだが、この二つの戦いに共通していたのは「西トバ河を如何に使うか」と「東西からの揺さぶりをどのように行うか」であった。この二つの要素がディンスという街を攻め落とすには欠かせない要素であった。


 前回レイモンド王子の軍勢がディンスを奪回した際は、北からの主力による正面攻勢、東へ回った偽兵部隊によるかく乱、そして長大な西トバ河を経由した背面への奇襲、それに呼応した西側門への一点突破的な強襲、と考えられる攻略は全て行った。一方、今回ディンスを再び攻め落とそうとする王弟派軍は、西の海上からの襲撃を「東西の揺さぶり」のかなめとしている。


「おそらく、西の海上からの攻撃と呼応して森の中の伏兵も攻め掛かってくるでしょう」

「東の森の伏兵はロージの遊撃兵団に対応を任せるしかないな、ロージへは敵が東の砦に攻撃を開始したところで背後を突くように指示を……いや、ロージの采配に任せるべきだな」

「いかにも、そのように伝えます」


 レイモンドの指示にオシアはそう答えると、控えていた伝令兵に指示を与え、ロージの元へ走らせる。その後は更に幾つかの伝令を別々の部隊に対して行うよう、伝令兵や詰めていた騎士達に指示する声が響く。一方、レイモンド王子は指示をオシアに任せつつ、自分は地図に描かれたディンスと、その上に置かれた敵と味方を示す兵棋に視線を移していた。


 地図上に置かれた自軍を示す兵棋は、正面攻勢を受け止める河岸の西方面軍主力、東の砦を中心として森の中まで監視の目を光らせる遊撃兵団、海からの襲撃に備える西の民兵団、そして、ストラから駆けつけてくる予定の西方面軍の一部である。


 その他にはレイモンド王子が居る城塞の本陣に中央軍本隊と近衛兵団の兵棋があるが、その規模は現時点で非常に小さいものになっている。本来レイモンド王子が自ら率いるこれらの部隊は一番勢力が大きくて然るべきなのだが、コルサス王子派の場合、それは正しくない。度重なる戦いで消耗が大きい東西方面軍への人員補充と負傷した騎士や兵士の受け皿として「名ばかり」で設置された部隊であることが理由だ。そのため、彼の手元には十数名の騎士と二百人程度の兵力しか残されていないことになる。


 ただ兵力はそれだけではなく、他に兵棋として表現されていない住民で構成された義勇兵と自称する勢力が二千五百ほどディンス城塞内に存在している。本来は防衛に関する準備に力を借りるという意味合いで居残りを認められた住民達であるが、どうやら実際の戦闘にも力を貸す気概のようであった。しかし、彼等の気概はレイモンド王子によって押し止められている。自らを義勇兵と名乗ってはいるが、兵士ならぬ街の住民達である。そんな彼等まで戦いに駆り出すことをこの時点でもレイモンド王子は決断できていなかった。


(綺麗事とは分かっているが、マーシュにそれを言わせて・・・・しまうとは……)


 配置に着く前に行われたマーシュ団長との会話を思い出すレイモンド王子である。住民による義勇兵に被害を出さないよう城塞に留め置く指示をしたレイモンド王子に対してマーシュ団長は言い難そうにしながらも苦言を呈していた。その内容は早い話が、住民を巻き込まない戦いは理想的だがあり得ない綺麗事で、特に今の戦いにおける彼我の戦力差を考えれば戦う意思のある義勇兵を戦力として投入せざるを得ない、ということだった。勿論、マーシュとしてもそんな考えが本意であるはずがない。彼とロージの兄弟、ロンド家の生き残りとしての生い立ちとこれまでの経緯を考えると、寧ろ本心は真逆だろう。だが、そうであるからこそ、彼が発した言葉は重かった。


 特に今回の戦いにおける西側、港の守りが重要なことは言うまでもない。ユーリー達が沖の旗艦を奇襲し部隊を撤退させるまでの間、何とかこの地域を守り切らなければならない。そのためには、喩え住民であっても戦う意思を示している者達の力は活用しなければならない。


(どこかで決心しなければな)


 そう考えるレイモンドは背後の壁に広げられた一枚の旗を振り返る。濃い紺の生地に鮮やかな金糸の縁取り、その中央に朝日を意匠化したコルサス王国の王家の紋章を持つ旗は「紫禁の御旗」と呼ばれる王家の旗だ。この旗が持つ力に何度も助けられたレイモンド王子であるからこそ、その力を熟知している。それは、


――旗の元に集う人々に戦う力を与える――


 という、魔術具めいたものだった。効果の由来は不明だが、その効果が正しく発揮されることをレイモンド王子は何度も身を以て確かめている。それだけに、もしも自分がこの旗を携えて敵の前へ歩を進めれば、


(周りの者達は死を恐れぬ猛者の如く変わるだろう……兵や騎士ではない、ただの住民であっても……しかし、それは正しい事なのだろうか?)


 頭では理解しているつもりだ。一度戦いを始めてしまった以上、時に断固とした意思で多少の犠牲を厭うことなく目的を遂げなければならない。実際、そのような覚悟で事に当たったことは何度もあった。だが、何度やってもその前後の逡巡と後悔を消すことは出来なかった。


 ――そういう所がレイ様らしいと思うわ――


 不意に頭の中に響いたのは、リシアの声だった。いつどんな状況で言われた言葉か思い出せないが、悩みを吐き出したレイモンドにリシアはそう言って微笑んでいた。記憶の中のその笑顔にレイモンド王子は赦しに似たものを感じる。傾きかけた結論、一度否定しつつも選ばなければ先へ進めない選択肢、そしてその結論がもたらす少なくない悲劇。全てが自分の責任となる重圧は、誰によっても赦されることが無い。ただ、愛する女性の微笑みならば一時の癒しになるだろうか?


「――報告します! 河沿いの防衛線で西方面軍と敵軍が接敵しました!」


 いつの間にか飛び込んで来た伝令兵が上げる声に、レイモンドは止むを得ず現実に引き戻されていた。

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