Episode_26.13 焦りと誤算


 最初の波動の後、次いで強烈な振動が襲う。その最中、ガリアノとドリムは船尾側楼閣内の通路に居た。脱出し、襲撃者である王子派に合流・投降するためだ。


 船尾楼内での戦いはこの二人から離れた場所で展開されていたが、今は戦いの音というよりも、驚きと恐怖を帯びた恐慌の気配に変わっている。その状況の中、侵入経路を辿るように船上を目指す二人は、最初ドリムがガリアノを先導する格好であった。しかし、しばらく進んだ後はガリアノを先に立たせ、ドリムが後ろを警戒するよう形で狭い通路を進んでいる。


(ムエレ殿……やられたか)


 猟兵として一流の訓練を受けたドリムは大柄な騎士という外見ながら、気配を読むことに長けている。それは、同族の精霊術師から、本当は精霊の声がきこえているじゃないか? と訝しがられるほどなのだが、そんな彼の鋭い感覚が、後ろに残してきたムエレの戦いの結末を察知していた。そのため、後を追ってくるはずの敵からガリアノを守るため、彼は後ろからガリアノを急かすように細い通路を進む。


 通路は暗い。所々に照度を落としたランプが掛けられているが、廊下の大半は照明と照明の間を埋める暗闇であった。


(このまま逃げ切れるか……)


 ドリムは微かな望みと共に、振り返って後ろを窺う。その時、彼の視線の先、照明の造り出す濃い影がユラリと揺れたように感じた。一瞬だけ恐ろしいほどの殺気が膨れ上がる。その感覚に、ドリムはその場で足を止めた。


「ガリアノ様、先へお急ぎ下さい!」

「しかしドリム、お前は手負いではないか、置いてなど行けな――」


 追跡者の接近を察知したドリムの声に、彼の意図を察知したガリアノが反論する。その内容は如何にもガリアノらしいものだ。その言葉にドリムは思わず苦笑いがこみ上げるが、今は努めて厳しい表情を保つ。そして、


「ご自分のお立場を考えてください!」

「う……」

「王子派に下り、内戦を一刻も早く」


 ドリムの厳しい表情とその言葉の意味に、ガリアノは頷かざるを得ない。


「わかった、必ず生きて戻れ!」

「勿論、さ、お急ぎ下さい」


 結局、ガリアノは決心を固めるとドリムにそう言い、踵を返す。一方のドリムは、その後ろ姿を見送るのもそこそこに、後方へと向けて身構えた。愛剣の羽根切りを鞘から抜き、腰だめに構える。狭い通路で大剣の取り扱いは困難だが、強力な「軽量」の効果を有する魔剣ならば小剣の如く振り回せるだろう。こちらが不利な大剣を持っている事で相手の油断を誘えるかもしれない。そんな事を考える。


 しかし、事態はドリムの思い通りには進まなかった。後方から迫ってくるはずの追跡者の姿が一向に現れないのだ。既にガリアノは通路の先の角を折れて姿が見えない。


(どういうことだ?)


 この通路は船上へ続く扉まで一本道のはず、迂回して回り込むことが出来る構造ではなかった。そのはずなのだが、言いようの無い不安が湧き上がり、首筋に嫌な汗が伝う。そして、


「っ! ……」


 全くの無音。だが、一瞬だけ激しくもみ合う・・・・気配が起こった。ドリムの元ではない。彼の後方、つまりガリアノが進んだ先だ。


「しまった!」


 無いと思っていた迂回経路があったのだろうか? そんな疑問が沸くが、何よりも先へ進んだガリアノの無事を確保しなければならない。その一心でドリムは細い通路を駆けて角を曲がる。すると、そこには、


これ・・は貰っていく」


 陰鬱な声で言う黒づくめの男の姿があった。男は肩に偉丈夫であるガリアノを軽々と担いでいる。恐らく、当て身によって意識を奪ったのだろう。


「ガリアノ様を放せ!」


 その光景に、ドリムは怒声を上げつつ黒づくめの男に迫る。しかし、黒づくめの男は、ドリムの声も突進も意に介さない。まるで完全に存在を無視するように、その場でブーツの踵を三度鳴らすと、次の一歩で後ろへ下がる。


下がった先は照明が造り出す濃い影。黒い装束がその影に溶け込む。そして、次の瞬間、男とガリアノの気配が通路から完全に消え去っていた。


「ガリアノ様! ガリアノ様!」


 残されたドリムは、ガリアの名を呼びつつ、姿と気配が消えた通路の影を這うようにして床や壁を探る。何か仕掛けが有るはず、と思っての事だが、そこは何の変哲もない木造の床と壁であった。


「くそ……ガリアノ様ぁ!」


 絶望的なドリムの叫びが細い通路に木霊した。


****************************************


 メフィスの警告を聞いた瞬間、ザメロンは船上に飛び込んでくる光の翼を伴った存在を認識し、大きな驚きを感じていた。


(どうやって、あの封印・・・・を?)


 という内心の疑問が、ザメロンの驚きを端的に物語っている。


 その瞬間、船上に飛び込んで来たのは間違いなく「使徒」であった。だが、北東の逆塔で対峙した使徒は、激闘の末、ザメロンによって塔の中心部に封印されていた。


生命力エーテルを力の根幹として用いる使徒にとって、古代ローディルス帝国の魔術師が造り上げた制御の塔の一種である北東の逆塔は最悪の相性といえる性質を備えている。それは、丁度船上に浮かぶ肉球の魔神のように、周囲の生命力を取り込み魔力へ変換するという塔の機能に由来している。溢れ出る生命力エーテルを逐次魔力マナに変換される環境は使徒にとって戦うには最悪の状況であり、一方、魔術師であるザメロンには有利この上ない環境であった。


 それでも、北東の逆塔における戦いはザメロンを著しく消耗させた。古代ローディルス帝国の魔術師達の知識と力をそのまま・・・・受け継ぐザメロンであっても、しかも魔力を無尽蔵に取り出せる塔の内部にあっても、ザメロンは遂に使徒の命を奪いきれず、やむを得ず塔の根幹に封印せざるを得なかったのだ。


 更に、使徒を封印し、目的であった北東の逆塔を活性化させた代償として、ザメロンは活動再開まで二週間の時間を要するほど消耗していた。極限まで発展した生命魔術によって造り出された彼の身体は長大な寿命を持つ一方で、生物が自然に備える自己回復能力が極端に乏しい。二週間という休息期間を経ても体感では五割も回復していない、というのがザメロン自身の自覚であった。


 本調子でない自分のもとに封印したはずの使徒が現れた、という状況にザメロンは驚いた。だが、表面上、その驚きは彼の表情を一瞬だけ動かし、直ぐに消える。北東の逆塔の時と異なり、この場所海魔の五指に固執する理由はない。また、不意に現れた使徒は塔で対峙した個体と形質が異なる別者だ。そんな状況から、ザメロンには不意に現れた使徒を打倒する必要性は無いと判断した。ただ、その使徒が「その手を離せ!」と吼えるのを聞き、手の中の少女とその使徒の関係性を察知する。その使徒の目的はまさに鍵を所持する少女そのものであるようだ。ならば、尚の事、この場から離れる必要がある。


 (とにかく、「鍵」の安全を確保しましょう)


 そこまで考えたザメロンは、発動しかけていた相転移の目的地を船上の船尾側楼閣へ再設定して発動する。その一方で、頭上に浮かぶ肉球の魔神には、現れた使徒をけん制するよう思念を以て命じた。


 ザメロンの相転移は速やかに発動し、使徒が放った光の槍が船上に突き立つ一瞬前に彼とリリアを船尾楼閣の上へ移す。その一拍遅れで頭上の魔神から生命力エーテルを強制的に魔力マナへ変換する波動が放たれた。


 使徒はその波動を光の翼で受けとめながら、叩き付けられるように、船上の丁度ザメロンとリリアが一瞬前まで立っていた場所に蹲る。足元にはもう一人の女の姿があったが、ザメロンにとってはどうでもよい事だ。


「ザメロン師、確保しました」


 船尾楼閣に移ったザメロンにそんな声が掛けられた。ガリアノ王子確保を命じていたカドゥンの声だ。その声にザメロンは一瞥を向ける。そこには大柄なガリアノを担いだカドゥンの姿があった。一方、


「な……なんだアレは?」


 そんな驚きを上げるのは魔術師メフィスだ。彼は、船上で波動に耐える使徒の姿を注視していたが、その表情は驚愕そのものだった。無理も無いだろう。いかに優秀なエグメルの魔術師といえ、魔神の姿を見る事自体稀であるだろうし、まして「使徒」など存在も伝承程度にした聞いたことが無いはずだ。その両者が対峙する船上の様子は、若い魔術師にとって驚きと共に大きな興味を持つに足る光景といえる。


 しかも魔神が放つ波動は現存する魔術に照らしても該当するものが無く、また、それに耐える使徒の「光の翼」は魔術が扱える魔力マナの範疇を超えた異質な力の結晶体エーテル体ともいえるものだ。その事実に気付く力量が有ればこそ、驚きと好奇心は一層大きなものになるのだろう。


「メフィス」

「――は、はい」


 そうやって食い入るように船上を見つめていたメフィスだが、ザメロンの呼び声に自制を取り戻したように返事をする。


「興味はあるでしょうが、今は見物する時ではありません。カドゥンとガリアノ王子を伴ってコルベートの大使館へ跳んでください」

「は……はい、しかしザメロン師は?」

「私はこの娘を連れて行きます。なに、二人分の相転移くらいは問題ありません」


 メフィスにそう命じたザメロンは、返すメフィスの問いにそう答える。その時、船上に強烈な光が瞬いた。魔神の波動に圧されてた使徒が、反撃を試みた瞬間である。思わずそちらへ視線を戻したメフィスの視界には、船上から上空へ、実体化した光が槍のように伸びており、その先端が不快な肉球の形をした魔神へ突き立っているのが見えた。


「急いでください」

「わ、わかりました」


 ザメロンの口調は普段どおりだが、なんとも言えない圧力があった。その言葉と圧力に気おされるようになったメフィスはそう返事をすると、カドゥンと彼が担ぐガリアノ王子の元へ行き、自分を含めた三人分の相移転を展開、発動に移す。


 発動し、視界が途切れる瞬間、メフィスはザメロンが何か別の魔術を発動に移すのを見た。極属性闇の魔術のようであるが、詳細は分からない。ただ、


(なんだ、魔術を使う分の魔力はあるんじゃないか)


 と、少し不満を感じる。それとほぼ同時に、本日三度目となる相移転の魔術が発動段階へ至った。メフィスの視界は暗転し、限界まで魔力を放出した身体に脱力感が重く圧し掛かる感覚だけが残った。

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