Episode_26.09 「海魔の五指」の戦い ――対峙――
船上を襲った波動は、魔神が具現化する際に周囲のエーテルを一気に喰ったことで生じたものだ。その波動に直接曝された者は例外なく一時的な昏倒、または怪我などで生命力を落としていたものはそのまま絶命に至ったという。
特に大きな被害を受けたのは船上に居た襲撃者 ――暁旅団とオークの舌からなる傭兵達―― だが、船首側の楼閣や中型船に留まっていた者達、海上に浮いていた者達も等しく被害を受けることになった。特に退避の指示が届かなかった船首楼閣では、果敢に射撃を続けていた海兵達に大きな被害を出すことになった。
その一方、船尾船首の楼閣内や船倉に居た者達は殆ど被害を受けていない。しかし、得体の知れない存在の登場と、波動による被害は彼等にも伝わり、敵味方分けずに「海魔の五指」は混乱と恐慌に包まれてしまった。
そんな状況は、独自の経路で船尾楼閣内へ侵入したムエレとドリムに有利に働いた。二人は極少数の海兵を難なく打ち倒すと、ガリアノ王子が閉じ込められていた船室へとたどり着くことが出来たのだった。
「ガリアノ様、ご無事で!」
「私は大丈夫だが、船上はどうなっているんだ? 今の振動は一体なんだ? それにアンはどうした? その怪我はどうした?」
ドリムの言葉に、ガリアノは安心した表情になったが、直ぐに矢継ぎ早な質問を投げかけてきた。
「現在、この船は王子派の部隊に襲撃されている」
「さっきの振動は何か分かりません。ですが、アンは既に王子派部隊に収容されたはずです」
「そうか……無事なのだな、ならば良かった」
ムエレとドリムが交互に質問に答える。それを聞いたガリアノは一つ頷くと、
「ならば是非も何もない、王子派に下ろう」
と意を決したように言う。そして、三人は船室を抜け出て船上へ脱出しようとするのだが、ムエレを先頭として狭い廊下を曲がった瞬間、
――キン、キン、キンッ
立て続けに三度、金属音が鳴る。それは廊下の奥から投げ付けられた短剣をムエレがシミターで防いだ音だった。
「今のを防ぐか……老いても流石はザクア」
廊下の奥から陰鬱な声が響く。そして、薄暗い闇が凝集したように、影が
「アルゴニアの秘兵、無明衆……か?」
「……」
ムエレの問いに、
「ドリム、お前は王子を連れて逃げろ、ここはオレが抑える」
ムエレは命じるように言うと、後は返事も聞かずに敵の動きに集中する。対して、言われた側のガリアノは反論しかけるが、それはドリムによって制止された。
「行きましょう」
それでも何か言いたげなガリアノであったが、その手をドリムに掴まれ、後は連れられるようにその場を後にした。そして、廊下に残ったのは二人。
「一つ聞く、昨年、郷を襲い焼いたのはお前の手下か?」
「そうならば、どうだという……」
ムエレの問いにカドゥンが答える、その瞬間、先に仕掛けたのはムエレの方だった。
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カドゥンの言葉が終わる前、ムエレは一気に間合いを詰めると無音の気迫と共に右手のシミターを突き出す。二度の突きは、剣先が二つに分かれて同時に襲いかかるような錯覚を伴うほど速く鋭い。だが、鋭い二度の刺突は、いつの間にかカドゥンの手中に現れた小剣によって防ぎ弾かれてしまう。
「ふん……この程度なのか」
ムエレの攻撃を防ぎ切ったカドゥンは、吐き捨てるように言うと、次は自分の番、とばかりに姿勢を低く落とす。そして、ムエレに肉迫した。一振りだけだった小剣は、この瞬間両手に一振りずつ握られている。その両手に持った二本の小剣を縦横無尽に振るうカドゥンに対して、ムエレは徐々に押され始めた。
「どうした、老いには勝てぬか? それともザクアはこの程度なのか?」
防戦一方となったムエレに対して、カドゥンは嘲るような言葉を発する余裕がある。そもそも、狭い廊下と言う空間が刀身の長いシミターには不利で、同じ理由から小剣には有利なのだ。その上、先ほどからカドゥンが言うように、ムエレは見た目にもそれと分かるほど老齢の域にある。対するカドゥンは年齢不詳の不気味さはあるが、壮年期に差し掛かった程度の年齢だろう。体力面を含めて、あらゆる面でムエレに勝っていた。
「くっ――」
左から襲う斬撃を受け流し切れず、真正面から受け止める格好となったムエレ、思わず呻き声を発する。そんなムエレの動きの止まったシミターへ、
詰まっていた間合いが一度大きく開いた。当然の流れとして、カドゥンはムエレを追い詰めるように間合いを詰める。だが、その一瞬がムエレの勝機であった。
「慢心したな――」
その瞬間、ムエレは空いている左手を虚空に差し出し、宙に文字を書くような仕草をする。
「なっ――」
その仕草が意図するものは、魔術の行使。その事実に気が付いたカドゥンは短く声を発するが、後が続かなかった。二人の間の狭い空間に現れた燃え盛る五本の炎の矢が次々にカドゥンの身体に炸裂したのだ。
形勢は逆転した。今度はムエレが攻める番となる。黒づくめの着衣を燃え上がらせたカドゥンに対して、ムエレは一気に距離を詰めると、無言のままにシミターを突き入れた。その切っ先は炎に悶えるカドゥンの心臓にピタリと狙いを定めていた。
その時、ムエレの心の中には、短いながら郷老を務めた郷の面々の面影があった。暗殺の任務以外で明確な殺意を以て人を殺したのは、これが初めてかもしれなかった。そんな感慨が、ムエレの注意を一瞬散漫にしたのだろうか? それは分からない。だが、必殺の突きを放つ瞬間、炎に悶えているはずのカドゥンの両脚が、トントンと規則的に床を打ったのをムエレは聞き逃していた。
「慢心はそちらだったな、残念――」
ムエレの目が驚愕に見開かれる。自分の剣先は確かにカドゥンを捉えたはずだった。だが、実際、切っ先が捉えたのは何もない空間のみ。その瞬間、カドゥンの姿がムエレの前から掻き消えたのだ。そしてほぼ同時に、その声がムエレの左側から上がった。
「うぐぅ……」
脇腹を刺し貫かれたムエレはその場に膝を着くと、そのまま倒れ込む。何とか顔だけ動かし、視線を向けた先には、廊下を照らす明かりの影からヌッと歩み出るカドゥンの姿があった。
「一体……何を……」
脇腹に感じるのは痛みよりも熱さだった。突き立ったままの小剣が灼熱の塊のように熱く感じる。その一方で、身体は急速に冷えていくのを感じた。息が荒くなり、手足の先から感覚がなくなっていく。それが、この時ムエレの感じた「死」の実感だった。
「教えられんが、考える時間をやろう。トドメは刺さん。苦しみながら、考えながら、死んでゆけ、ザクア」
カドゥンはそう言うと、蹲るムエレの身体を跨ぐようにして廊下の先へ進む。残されたムエレには、もはや声を上げる力すら残されていなかった。
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