Episode_26.08 「海魔の五指」の戦い ――召喚――
「ザメロン師、あれは一体……」
漆黒の竜牙兵が海中に没した。その光景を船尾側楼閣の最上層から見ていたメフィスは、唖然とした声を上げた。彼はその時、四都市連合側の海兵に被害を及ぼし始めた竜牙兵を
しかし現実には、メフィスの魔術は精霊力に遮られた。魔術の阻害を察知したメフィス自身が瞬間的に強烈な魔力を籠めたにも関わらず、その効果は中型船上に満ちた精霊力によって呆気なく弾かれてしまったのだ。「魔術を弾くほどの精霊力」など聞いたことの無いメフィスは、呆然とした様子である。
「実に興味深いですね……」
一方のザメロン師は、余り普段と調子は変わらないが、それでも何やら思案するような様子になる。その視線は束の間、大型船の舷側付近で脱走した捕虜三名と合流した女を追っていたが、彼女らの姿は直ぐに船具の影に溶け込むように見えなくなってしまった。
「ザメロン師、ガリアノ王子だけでも連れて逃れた方が良いと思われますが、如何か?」
驚き顔と思案顔、そんな二人の魔術師に声を掛けてきたのはバーゼル提督である。先ほどまで配下の中型船で味方に対して猛威を振るっていた漆黒の竜牙兵の様子に非難めいた視線を投げ付けてきた彼の表情は厳しいが、その口調はあくまで慇懃としたものだ。
「そう思いカドゥンをガリアノ様の所へ送っておりますよ」
対してザメロンはそう言うと楼閣内部へ続く階段の方へ一度視線を向ける。あくまで普段通りの飄然とした口調には、自らが指示した竜牙兵による被害に対する謝罪の気持ちなど微塵も感じられない。なんらかの謝罪を期待していたバーゼル提督の表情はいよいよ険しくなる。
「ただ、我々は相移転で逃れることができますが、提督とこの船が敵の手に落ちるのは忍びないところですね――」
そんなバーゼルの表情を読み取った訳ではないだろうが、ザメロンはそう続けた。そして、バーゼルの意図とは異なる事を言う。
「――顧問としての立場もありますし、カスペル議長に後から何か言われるのも困りますから、ここはもう一つお手伝いをしてからにしましょう」
「それを止めろと言っているのだ!」
「お手伝い」が何を意図するのか、それを察したバーゼルは一気に怒気を孕んだ声を上げる。だが、そんなバーゼルの声をザメロンはまるで聞こえていない風に無視する。その対応がバーゼルの怒りを煽り、その結果、彼は腰の剣に手を掛ける。そのまま鞘から引き抜きざまに、意に沿わない魔術師風情を切り捨てる勢いがあった。しかし、
「ぐっ、うぅ……」
うめき声をあげたのはバーゼルの方だった。その顔はみるみる間に蒼褪めていき、額には玉のような汗が浮く。身体は自由を奪われたように硬直して動かない。その変化は全て、剣を抜く瞬間にバーゼルを見たザメロンの視線によって齎されたものだった。
「止めておいたほうが良いですよ、提督」
ザメロンはそれだけ言うと視線を外す。同時にバーゼルは強烈な虚脱感に襲われ、その場に膝を着いていた。まるで長時間海中に沈められていたように、身体に力が入らない。息が上がり、目が回る。
「兵達へ楼閣の中に入るように言ってください。弩を撃っている者達も済むまで中に入るように――」
バーゼルを一瞬で無力化したザメロンは、相変わらずの口調でそう言うと、灰色のローブの懐へ手を差し入れ、何かを取り出した。
「……ザメロン師、それは?」
一連のやり取りを黙って聞いていたメフィスだが、ザメロンが懐中から取り出したものには興味を惹かれた。それは、懐に在ったとは思えないほど大きな ――握り拳よりも一回り大きい―― 宝珠であった。陶器のような光沢を持つ薄桃色の表面に、暗紅色の細い線がまるで蜘蛛の巣か血管のように広がっている。その見た目は生理的な不快感を与えるものだが、メフィスが注目したのは宝珠が放つ強烈な魔力であった。
「宝珠型の召喚門です」
メフィスの問いにザメロンが答える。短い答えだったが、その内容にメフィスは目を剥く。
(召喚門……亜次元に繋がる道の門……まさか?)
「精霊王と盟約を結んだ者のようですね、手強い相手です」
(魔神を召喚する魔術具の宝珠、話は聞いたことがあったが――)
「未熟な者や、魔力が乏しい状態の者が行うと命を落とすことになります。丁度、最近黒衣の導師がそれをやって大切な宝珠の一つを壊してしまいました」
ザメロンが喋る間、それを聞きつつメフィスは自分の知識と目の前の宝珠を照らし合わせていた。エグメルが秘蔵する魔術具の中には、確かに魔神を召喚することが出来る宝珠型の魔術具があると噂には聞いていたメフィスだが、実物を見るのは初めてだった。
「まぁ、私も本調子ではないですが、
名前を呼ばれたことで、メフィスは反射的に視線を上げる。視線の先には、燃え上がる炎で少し明るく照らされた夜の空気以外に何もない。だが、次の瞬間、何もなかったはずの空間に突如巨大な魔術陣が浮かび上がった。赤紫色の怪しげな燐光を放つ幾つもの幾何学的な紋様が複雑に組み合わさって視界を覆う。圧倒的な光景だった。
「な、なんと……」
魔術の規模とも言うべきものは、展開する魔術陣の大きさに比例する部分がある。大きければ大きいほど、複雑な魔術陣を展開する事が可能になるのだ。だが、そこには自ずと常識の範囲がある。人として持ち得る魔力と熟達できる技術には限界があるはずだった。しかし、メフィスの眼前に展開された魔術陣は、彼が考えている常識の範囲を遥かに超越していた。
「では、呼び出しますよ」
驚愕の表情で固まっている若い魔術師を後目に、ザメロンはそう言う。その言葉を合図としたように、宙に浮きあがった大規模魔術陣は一気に複雑な動きを開始し、一瞬後にはザメロンの手中にあった宝珠へ収束するように消滅した。そして、今度は宝珠が脈動を開始する。その動きは痙攣のように小さかったが、徐々に大きく規則正しくなる。妙に生々しく、生物の肉塊や臓器を連想させる有機的なものだ。
宝珠は脈打つ。まるで蠢く肉塊のように身をよじりながら、脈打ち続ける。そしていつしかザメロンの手を離れ、襲撃者達の頭上へと宙を漂うように進むと、丁度中央帆柱の付近に近づいた時、宝珠はひと際大きく脈打ち、内側から破裂、いや膨張するように一気に姿を変えた。
――ォォオオオッォンン――
それがこの次元に具現化した瞬間、強烈な波動が大型船の頭上一点を中心に周囲へまき散らされた。それは極属性闇の性質を持った波動。耳朶を打つ音の波ではなく、周囲の大気に存在するエーテルを一気にマナへと凝集させる、その副産物として生じた波動だった。
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波動が襲った瞬間、リリアは船尾楼付近の物陰に居た。その場所に辿り着くまで、ムエレから事の経緯を聞き取っていた彼女は、ムエレが船尾楼内へ潜入するのを助けるためにその場にいたのだ。
彼女はガリアノ王子に関する印象は殆ど持ち合わせていないが、大勢の海兵と傭兵が戦いを繰り広げている船尾楼内で、隔離されたように一人で居る人物の気配を風の精霊の力によって探り当てていた。
因みに、大柄な騎士風の男 ――ドリム―― は、先の漆黒の竜牙兵との戦いで傷を負っていたが、太ももの刺し傷をアンの
リリアが探り当てた位置をムエレとドリムへ伝えると、二人は船の外壁を伝い側面の明り取り用の窓から船尾楼内へ侵入していった。
(王弟派の王子が四都市連合の人質なんて、変な話だわ)
ムエレの話を疑う訳ではないが、リリアはそうなった背景を含めて完全に理解している訳ではない。だが、
(王子派にとっては予想外の収穫よね……きっとユーリーも喜ぶわ)
という気持ちはあった。それがコルサス内戦にどのように影響するかは彼女には想像できないが、敵方の要人の身柄を押さえるという点で、自分達が
「あ、あの……リリアさん」
そんなリリアに心細い声を掛けるのはムエレ達に同行していた女魔術師アンだった。
「大丈夫よ、そのガリアノ王子が居そうな周辺に敵兵の気配は少ないから」
アンの言葉にリリアはそう答えると、周囲の様子を窺う。少し前から弩弓の攻撃が明らかに弱まっていた。一方で船尾と船首の楼閣への攻撃は順調な様子である。
「もうそろそろ終わりそうね、さぁ船に戻りましょう」
戦いの趨勢をそう読み取ったリリアは、そう言うとアンの手をとって物陰から移動しようとする。その時だった。
(母さん、危ない!)
「え?」
突然頭の中に鳴り響くヴェズルの警告、同時に周囲の変化を感じ取ったリリアは困惑の声を上げる。その声にかぶせるように、
――ォォオオオッォンン――
頭上から圧迫するような振動が伝わる。その振動は、船の上空に展開していたリリアの風の精霊を一瞬で蒸発させ……リリアが分かるのはそこまでだった。次の瞬間に、彼女は強烈な眩暈に襲われ、その場に膝を着いていた。
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