Episode_26.06 「海魔の五指」の戦い ――船上蹂躙――


 漆黒の竜牙兵は中型船の甲板へ出ていた四都市連合の海兵達を次なる標的に定めていた。敵味方を識別することが出来ず、尚且つ、直前まで目の前に居た二人の傭兵の気配を見失った以上、それは当然のことであった。


背後の防御に対する配慮や標的に対する警戒感が皆無であるため、一旦標的を定めた後の竜牙兵の動きは迅速、大胆である。巨体からは想像できないほどの素早さで一足飛びに渡し板を渡り切ると、そのままの勢いで海兵達の集団へ襲い掛かっていた。


 二人の傭兵相手にはくうを切るばかりだった三又槍と大槌も、船の防御のために密集陣形を取っていた三十人の集団には残虐な牙を剥く。一振りされるごとに、海兵達が串刺しにされ、肉片となって吹き飛ぶ。勿論海兵達も勇敢に反撃を行った。だが、彼等の剣の殆どは黒曜石の骨格に届くことなく、万一届いたとしても弾かれるだけ。また弩弓の矢は骨格の隙間を敢え無く飛び過ぎるだけだった。結果として、まばたき三度分ほどの短時間で彼等の半数が犠牲となり、部隊としての機能を失っていた。


「退け、船内へ!」

「おい、開けてくれぇ!」

「海へ飛び込め!」

「逃げろぉ!」


 部隊が半壊した彼等は中型船の船上という限られた空間に逃げ場を求めて右往左往する。或る者は船内へと飛び込み固く扉を閉ざし、又或る者は後先考える余裕なく船倉へと続く深い落とし戸に飛び込む。それらが叶わなかった者達は壁のように高い船縁をよじ登り夜の海へ飛び込むか、索具の影に身を隠して信じる神に己の運命を委ねるしか残された道は無かった。


****************************************


 猟兵の騎士ドリム、猟兵の魔術師アン、そして割れ声のムエレの三人は、その光景を少し後方から見ていた。周囲を逃げ惑う海兵達は船倉から脱走した彼等三人を見咎める余裕は無いようだった。かといって、悠々と脱出できるかといえば、勿論そんなことは無い。彼等の目の前には逃げ惑う海兵達を追い立てるように漆黒の竜牙兵が迫っていたのだ。


「……アン、俺に強化術を」


 猟兵の騎士ドリムが覚悟を決めたように言う。彼の両目は、周囲の標的を狩り尽くした挙句、漸くこちらへ顔を向けた竜牙兵を凝視していた。


「でも……わかったわ、ドリム――」


 対して付与術を求められたアンは何事か反論しかけたが、その言葉を呑み込むように承諾する。そして身体機能強化フィジカルリインフォース防御強化エンディフェンス敏捷化アジリティといった付与魔術を矢継ぎ早に発動させた。


「俺が引き付ける。その隙に向こうの船へ……ガリアノ様を頼みます」


 正の付与術による強化を受けたドリムが前半はアンへ、そして後半はムエレへ向けてそう言う。手には代々猟兵の郷イグルに伝わる魔剣「羽根切り」が抜き身の状態で握られている。捕虜となった際に取り上げられていたが、先ほどの脱出の際に取り戻していた。永く自分と共に在った魔剣を、勇気の拠り所のように握り直したドリムは、自分の言葉に対する返事を待たずに一歩踏み出す。


 状況は悪い。だが、先ほどまでとは違い、最悪ではない。王子派と思われる勢力による奇襲攻撃が始まった今、ガリアノ王子を奇襲部隊の手に委ねて王子派領へ逃す、という方法が選択可能となった。このまま四都市連合の元に留まれば、良くて政争の具、最悪は王弟ライアード暗殺の罪で処刑、といった未来を待つばかりのガリアノ王子である。そんな彼が唯一明るい未来を切り拓く選択肢は、王子派の元へ身を寄せる、というものしかない。たとえそれが長年対立を続けていた仇敵の如き王子派であっても、


(それがいい)


 と、ドリムは考える。勿論、猟兵の首領であるレスリック・イグルにより、予め


――万一の場合は王子派へ下る――


 という指示が出されていたことも、ドリムの考えを後押ししていた。今ならば、王都を逃れたニーサ達の報せを受け、レスリック以下ターポに留まっていた猟兵やイグルの郷民の多くが王子派領へ下っているだろう。そうであれば、ガリアノ王子が王子派へ逃れた後も何かしら身を守る手段を講じる事が出来るはずだ。


(だから、アン、ムエレ様、たのんだ――)


 自分は命を賭して二人がガリアノ王子を救い出すための道を切り拓く。それが「王の隠剣」たる猟兵の本分。この場に及んで他の事を考える必要は、既に無い。心を極めたドリムは渾身の力を込めて魔剣「羽根切り」を竜牙兵目掛けて叩き付けた。

****************************************


ガギィィッ――


 金属音が響き魔力を帯びた青白い火花が散る。しかし、ドリムの渾身の一撃は、漆黒の竜牙兵が振るう三又槍によって敢え無く受け止められていた。膂力自慢の大男であるドリムが、「軽量」の効果により大剣ながら重さを感じさせない魔剣を全力で叩き付けたにも拘らず、その一撃は受け止めた三又槍を押し返し、竜牙兵の上体を僅かに仰け反らせただけであった。


「――なっ――」


 槍の柄ごと腕を叩き折るつもりだったドリムは、予想外の結果に驚愕する。だが、対峙する竜牙兵はそんな彼の驚きも、内心にたぎる猟兵の矜持も関係無い。淡々と、押し返された三又槍を四肢二組の腕の二本を使い、握り直して押し返す。そして、もう一組の両腕の内、左に握られた大槌を、踏ん張るドリムの脳天目掛けて振り下ろした。


「うわっ!」


 人が相手ならばあり得ない攻撃。それに反応できたのは、ドリム自身が非凡な騎士である証拠だろう。だが、あくまで反応できただけ・・だ。咄嗟に後方へ逃れようとした彼は、三又槍が押し募る力をまともに受け、後方に突き飛ばされると三メートルほど宙を舞って背中から船上に叩き付けられた。


 肺の空気が叩き出され、次の呼吸が覚束ない衝撃の中、ドリムは自分目掛けて突き込まれる三又槍の穂先を見る。迂闊な攻めを悔やむ暇さえない雷光の如き一撃、それが突き込まれる瞬間、ドリムはせめてもの意地でカッと両目を見開いた。その視界に赤褐色の影が走る。


ドンッ――


 鈍い衝撃音、そして、


ドスッ――


 と音を立て、ドリムを狙った三又の穂先は彼の僅か左横、木製の床に深く突き立っていた。


「立て、ドリム」


 普段は割れて聴きづらい声が、この時のドリムには妙にはっきりと聞こえていた。


****************************************


 「割れ声」のムエレはその瞬間、ドリム目掛けて突き込まれた槍の柄を横から三日月刀シミターで払い除けるようにして軌道を逸らしていた。勿論、自力だけでは重たい槍の軌道を逸らすことは出来ないため、柄を払う瞬間に魔力衝マナインパクトを発動し、魔術の力を借りた上での仕業である。結果、ドリムの命は寸前の所で保たれた。


「――なぜ?」


 窮地を救われたドリムが疑問の声を上げる。なぜガリアノを助け出すため大型船へ向かわず、ここに留まるのか? といった疑問だ。それに対してムエレは短く、


「生きてこそ」


 と答える。元来暗殺者である彼が言うには陳腐を通り越して出来の悪い冗談のような言葉であるが、ムエレにはそうとしか言いようがなかった。彼自身、どうして自分がそんな言葉を発したのか分からないのだ。ただ言えることは、誰かを殺すために戦う暗殺者としての戦いと、生き延びるための今の戦いでは「心持ちが全く異なる」という事だけだ。


 この心情の変化は何に拠るものか、名も無き郷の郷老として過ごした数年の内に得たものか、または瞬間垣間見えたリリアの姿によるものか、ムエレにそれは分からないし、深く考える時間も無い。ただ、


「とにかく立て!」


 頭上から叩き付けられる大槌の一撃を紙一重で躱しつつ、ムエレはもう一度大声で言う。頭上には覆いかぶさるように立つ竜牙兵。躱された大槌をもう一度振り上げ、再び叩き付けようとしている。すると、その横面に三本の炎の矢が突き立った。小さく炎を爆ぜさせるだけの火炎矢はアンが放ったものだ。


「――っ、くそ」



 ムエレもアンも立ち向かうつもりでいる。その事実に、ドリムは跳ね起きるように立ち上がった。口を衝いて出た悪態は多分自分に向けたものだろう。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る