Episode_26.05 「海魔の五指」の戦い ――捕虜脱出――


 目の前の竜牙兵、背後から迫る弩級の矢。その瞬間、藪潜りと優男は絶望的な選択を迫られた。しかも、じっくり考えるような時間は無い。その状況に、二人の古参傭兵は、ほぼ本能的な対応を取る。それは、目の前に迫る漆黒の竜牙兵からの攻撃を躱す事に専念する、というものだった。


 次の瞬間には、二人のいた場所目掛けて大槌が振り下ろされ、三又槍が突きこまれる。それを、二人は左右に飛び離れるように躱した。但し弩級の矢が狙う背面は全くの無防備のままだ。


(フリギア様、お助けを!)


 その瞬間、藪潜りは幸運の神フリギアの加護を心の中で祈り叫んだ。フリギア神は傭兵の間では戦いの神マルスや富の神テーヴァと共に人気のある六神の一柱だ。だが、果たして、これまで神殿詣ではおろか碌な寄進もした事のない藪潜りの祈りはフリギア神に届いただろうか。真相は分からないが一つだけ確かな事は、彼の願いに答えるような現象が起こった、という事だ。


――ブォォッ


 藪潜りと優男が左右に飛び退いた瞬間、彼等の背後 ――大型船とそれに接舷する中型船の間の空間―― に猛烈な突風が轟音と共に吹き降ろしてきた。突風というよりも、圧縮された空気の塊である。それが上空から叩き付けるような勢いで海面まで吹き降ろし、次いで海面を撃つ衝撃音と舷側に届かんばかりの水柱を上げる。その場を飛翔していた弩弓の矢などは、ひと纏めとなって海中に没していた。


「へ?」

「んな!」


 この時ばかりは普段からひょうきん・・・・・者の藪潜りだけでなく、気障きざを気取る優男ですら間抜けな声を発していた。そんな彼等二人の耳元に若い女性の声が響く。


(風の精霊を送り気配を消します、誘導はもう大丈夫だと思うから二人はみんなに合流して――)


 凛とした声の主はリリアであった。藪潜りなどは「神様、フリギア様、リリア様――」と思い付いた言葉を反射的に口にしたが、その声はリリアが言うように風の精霊の働きによって音声とならなかった。思わず顔を見合わせる二人。次いで彼等は各自が竜牙兵と自分達、そして誘導先の中型船と仲間が向かっている船首楼の位置を確認するように忙しく視線を動かし、


(そうしよう)

(そうだな)


 と、口の動きで言い合っていた。


****************************************


 リリアは船上の戦いには介入しないよう、強くブルガルトやジェイコブに言い含められていた。彼等からすれば、ユーリーに内緒で協力しているリリアの身に万が一の事があれば「内緒」という協力関係の前提を保てなくなる。そうなれば、後々どんな面倒事に発展するか分からない。その辺に留意してのことであった。勿論、彼等としては一旦船上に乗り込みさえすれば、後は自分達の力で何とかなる、という自負があっての事でもある。


 そういう背景があり、またリリア自身も積極的に船上での戦いに関与するつもりはなかったので、彼女は小型帆船に留まり援護をする程度のつもりでいた。だが、戦況はそのような余裕を持てるような状況ではなくなっていた。特に船楼の上という高所から強烈な弩弓による射撃攻撃を主体に据えた敵兵の戦い方に、リリアは已む無く風の精霊術で介入せざるを得なかった。また、その介入に「オークの舌」のジェイコブや「暁旅団」のブルガルト、魔術師バルロは肯定的な反応となったのは事実であった。


 そんな彼女は、危険は伴うものの見晴らしを得るため、身軽な挙動で縄梯子を登り切ると船上へと降り立った。そこで目にしたのが、藪潜りと優男という二人の古参傭兵の窮地であったわけだが、リリアは素早く状況を読み取ると、彼等二人に迫る矢を防ぎ切り、さらに無事に本隊へ合流する手助けをした、という訳だった。


(あれが竜牙兵、聞いていた格好とは違うけど――)


 リリアの視界の先には攻撃対象を見失った漆黒の竜牙兵の姿がある。彼女は竜牙兵の存在を直接見たのはこれが初めてだが、その強さや厄介さは対峙した経験のあるユーリーから聞かされていた。


(見た目は不死者のようだけど……オーラは感じないのね)


 骨ばかりの外見から不死者アンデットを連想するが、実際のところ、不死者が放つ独特のオーラは感じられない。その事に妙な納得を得た気になったリリアは、竜牙兵の動向を注視する。


彼女の視線の先では竜牙兵が周囲を見回すような仕草をしていたが、直ぐに蜥蜴の頭骨のような頭部を持ち上げると、リリアとは反対の右舷側、接舷している中型船へ視線を向ける。そして、重そうな巨体に見合わぬ速度で渡し板を目指して突進を始めていた。


(誘導は上手く行ったようね)


 その様子にリリアは安堵する。頭上に張り巡らせた分厚い風の層は敵兵の射撃を防ぎきっているし、もう一体居た竜牙兵は既に討ち取られている。こちらの攻撃を阻む障害は見当たらない状況だった。


 そこで彼女は自然と視線を竜牙兵が向かう先 ――右舷に接舷した中型船―― へ向ける。味方が呼び出した竜牙兵と相打ちを強いられる格好になる敵兵には同情を感じるリリアだが、せっかく他所へ誘導された竜牙兵がこちらへ戻ってこないように、舫い綱や渡し板を破壊しておこうと考えたのだ。だが、そんな彼女の視線は、中型帆船の船上に姿を現した人物達に釘付けとなる。ドキリと心臓が撥ねた気がした。そして、


「ム、ムエレ……おじさん?」


 あまりにも唐突に懐かしい存在を思い出す。その独特の姿形を視界にとらえた彼女は、余りにも脈絡のない存在の登場に混乱しつつ、吸い寄せられるように右舷側へ足を向けるのであった。


****************************************


 リリアと元ザクアの暗殺者「割れ声のムエレ」との縁は、リリアの養父ジムを介して結びつけられたものだ。元々暗殺者集団ザクアの凄腕だったジムとムエレの関係は、共に組んで仕事に当たる「先輩と後輩」というべきものだった。これは、先達が後進の指導をしつつ一端いっぱしの暗殺者に仕上げる、というザクアの慣例的な指導方法にのっとった取り合わせだった。


 その関係は、ジムがザクアを足抜けし、伝手を頼ってノーバラプールやリムルベートで暮らすようになってからも、数年におきにムエレがジムの元を訪れるという形で継続していた。そうであるから、ジムの元で健やかに成長する少女リリアも自然とムエレとは顔見知りだった。


ジムと組んだ最後の仕事 ――大失敗を犯し、ジムが組織を抜ける原因になった―― と因縁深いリリアという少女に対して、ムエレがどういった感情を抱いていたかは当人のみが知るところである。だが、屈託ない笑顔を振りまく幼いリリアと、それを好々爺然とした柔和さで見守るジム、という取り合わせは、血生臭い稼業に身を置き続けるムエレにとって一時の安らぎになっていたことは確かだろう。


その証拠に、幼少の頃から勘働きの鋭いリリアをしても、ムエレの事は


 ――お父さんの昔からのお友達。私は結構好きよ、ちょっと変な声だけど、お菓子とか玩具を持って来てくれるもん――


 という認識だった。それは、リリアが成長し、養父ジムから真実を知らされても尚、変わることの無い印象だった。つまり、ムエレは彼女の前では冷酷な暗殺者の素顔を完全に隠し切っていたことになる。人の善悪は一元に語ることは出来ない。「割れ声のムエレ」と恐れられた暗殺者であっても、少女に好かれることはあるし、引退後の役として郷の郷老となり後進達を思い遣ることもある。


 とにかく、リリアとムエレのジムを介した交流は八年前、丁度ジムが病でこの世を去る一年前で、ムエレがリムルベート王国ウェスタ領内での仕事に失敗する直前まで続いていた。更に、この二人はその後に一度顔を合わせているが、それはまた別の話であろう。


 そのように長らく顔を合わせる事無く過ごした二人であるが、リリアが遠目にひと目見ただけでムエレの存在を察知出来たのは、その独特の風体 ――枯れ木が如き長身痩躯―― と精霊術師としてのオーラ視の能力に理由がある。その一方、ムエレがリリアの存在を察知したのは何と言っても暗殺者として培った記憶力と観察力、そして少女の頃から余り変化の無いリリアの美しい容姿も理由であっただろう。


(なっ、なぜ、ここに?)


 ムエレはリリアの存在を遠巻きに察知し、その瞬間、思考が止まるほど驚いた。だが、その驚きに長く浸れるほど事態は猶予を与えない。彼等は今まさに虜囚の身からの脱出を図っていたのだ。


「ムエレ様、どうされました!」


 動きの止まったムエレに対して怪訝そうな声を掛けるのは猟兵出身の騎士ドリム。その巨体の背後には、無言ながらも同じように怪訝な視線を向けてくる女魔術師アンの姿もある。


彼等はついさっきまで、中型船の船倉奥の一角に捕らえられていた。だが、次いで起こる襲撃を事前に察知した黒づくめの男 ――カドゥン―― が監視から抜けたのを契機に、監視を突破し船倉を脱出していた。その後は、警備が薄くなった船内を、海兵達を打倒しつつ進み、自分達の装備を取り戻した上で船上へ出た、というところだ。


「い、いや、何事でもない」


 混乱は未だ続くが、ムエレは自分の言葉によって思考を断ち切ると目の前に集中する。そこには、自分達の脱出に気が付かず、突進してくる異形の竜牙兵に立ち向かおうとする四都市連合海兵達の後ろ姿があった。


「とにかく、ガリアノ様をお救いしなければ――」


 焦ったような騎士ドリムの言葉が響くが、その声は次いで起こった海兵達の怒号と悲鳴によってかき消されていた。竜牙兵が中型船へ突入したのだ。


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