Episode_26.04 「海魔の五指」の戦い ――古参の意地――
斜め後方に位置するブルガルトに対して、漆黒の竜牙兵はその巨体に見合わない俊敏さで向き直る。足元の深くめり込んだ大剣を何事も無かったかのように振り上げ、逆の手で持つ大鎌と共に再び攻撃態勢に移った。そして、何の躊躇いも無く、大きな歩幅で一歩踏み出しつつ武器を振るう。だが、その動きは先ほどよりも幾分
(やっと効いたか)
その様子に、ブルガルトは緊張した表情のうちにも僅かに口角を上げる。効いた、とは「付与者」が持つもう一つの効果 ――
しかし、そこは古代ローディルス帝国の魔術師が残した魔術具である。強烈な効果を発揮する負の付与術をほぼ無制限に何度も試行することを可能にする「付与者」の力により、相手の魔術抵抗を遂に上回ったというところだった。その結果――
――ブゥンッ!
衰えたとはいえ、それでも当たれば一撃必殺の斬撃。それをブルガルトは、今度は余裕をもって見極め、躱す。そして懐に飛び込むと同時に、右手の
――パシィッ!
今度は火花が飛ぶことは無く、乾いた音が響いた。その瞬間、ブルガルトの手には異なる二つの感触が伝わる。一つはまさに骨を断ち切るそれ、そしてもう一つは、
――ギィィン
一拍遅れて響く金属が震える音だ。その音を最後に、ブルガルトの剣は持ち手の先、柄元付近で折れてしまっていた。
「ちぃ――」
ブルガルトは無意識に舌打ちする。それは、高価な業物の剣をダメにしてしまった事と、自重の支えを失い、自分目掛けて覆いかぶさるように崩れ落ちる漆黒の竜牙兵の両方へむけられたものだった。
竜牙兵は崩れ落ちる間際も攻撃の一手を忘れることは無く、掴みかかる勢いでブルガルトへ拳を叩き付ける。対するブルガルトは、その一撃を後ろへ飛び退いて躱す。間一髪の間合いで、鼻先を黒い拳が掠める。その間、ブルガルトの右手は先の折れた剣を投げ捨てると、酷い打撲で自由の利かない左手の「付与者」をもぎ取るように持ち替える。
「……」
目の前には、片足を失い屈みこんだ竜牙兵の姿。大きな蜥蜴のような頭部はブルガルトの目線の高さになっている。竜牙兵は、瞳の無い空洞ばかりの眼窩で、その瞬間ブルガルトを
「むんっ」
飛び退っていたブルガルトは、次の瞬間弾かれるように前へ間合いを詰めると、籠った気合と共に逆手に握り直した「付与者」を蜥蜴の頭骨の眉間へ突き立てる。根本まで突き立った魔術具の小剣を中心に、漆黒の頭骨に卵の殻のようなヒビが広がり、そこを中心として一気に骨格が崩壊。瞬く間に黒い塵のように形を失い、後は足元に
その光景に、見守っていたレッツやドーザといった若手の傭兵達は言葉もない。一時、形勢不利に思われたが、そこからの巻き返しが見事過ぎて、漆黒の竜牙兵が大した相手でなかったように思うほどだ。
「ふぅ……」
一方、対峙したブルガルト本人は腹の底から絞り出すような溜息を吐く。傍目で見るほど簡単な相手ではなかった。
「っつぅ……」
張りつめていた緊張が緩むと、途端に左肩が激痛を発し始めた。医者に見せるまでもなく、肩の関節が外れているのが分かる。だが、戦いは始まったばかり。ブルガルトは苦痛の声を押し殺すと、もう一体の方へ視線を向けた。
そこでは、彼が古参と頼む部下達が
「ったく、面白いことを考える――」
その光景を見たブルガルトは、そんな呟きを漏らす。上手く行けば、もう一体の方をそのまま
片膝の状態から、ブルガルトはその場で突っ伏すように倒れ込んだ。それを見たレッツとドーザは、何事か叫びながら慌てて彼の元へ駆け寄っていく。
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「おらぁ、こっちだ!」
「うわっと、藪、しっかり引き付けろよ!」
「うるせー、やってるところだっての!」
声を掛け合うのは藪潜りと優男の二人。彼等は船首側楼閣を攻撃するため、各自の班を率いてそちらへ向かっていたのだが、その途中、丁度第二帆柱に差し掛かったところで、突然現れた漆黒の竜牙兵に奇襲を受けた。
彼等を襲った竜牙兵も形状はブルガルトと対峙しているもう一体と同じ。但し通常よりもひと組多い二対の腕が持つ武器は三又槍と大槌であった。奇襲を受けた彼等の班は、六人もの傭兵がその二つの武器の犠牲になっていた。その上で竜牙兵は更なる獲物を求め、ひと固まりになっている彼等の集団へ突入しかけた。一方、二人が率いる総勢四十ほどの傭兵達は混乱状態に陥りかける。
その状況で、仲間の集団を庇うように前へ進み出た者が二人いた。彼等を率いるようブルガルトに任された古参傭兵、藪潜りと優男である。二人は最初、何とか竜牙兵を食い止め、退けようと立ち向かったのだが、数度の攻撃を辛くも躱す中で、その試みが無謀であることを知った。重厚長大な武器を軽々と立て続けに振り回す竜牙兵に対して、この二人では攻め手を欠いていたのだ。
しかしそこは「暁旅団」設立当初から加わっている歴戦の古参傭兵である。敵わないならば別の方法を考える、という機転があった。そんな彼等が目を付けたのは、先ほどから視界に入っている中型船の存在だった。中型船は彼等が乗り込んだのとは反対の右舷に接舷してあった。三本ほどの太い縄で堅く
「あいつらに
といっても、そこは尋常ならざる異形の竜牙兵を相手にしての事、苛烈極まる打撃斬撃の間合いに身を曝しつつ行う決死の誘導であった。それを慣れない船の上、濡れて滑りやすい足元と散乱した索具に気を回しながら行うのであるから、二人には他へ気を回す余裕はない。
そんな二人に弩弓の狙いを定めるのは、誘導先として目を付けられた中型船の海兵達だ。
「斉射後に渡し板を外し、舫いを解け、いいな ――放て!」
中型船の戦闘指揮官は、そういいつつ射撃の号令をかけた。
「しまっ――」
藪潜りが、その気配に気づく。そして振り向いた彼の視界には今まさに放たれた十数本の鏃の鈍い光があった。
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