Episode_25.30 急変
降伏宣言を発したカルアニス海軍提督スタッド・バーミルに対して、襲撃部隊の指揮官であるユーリーは幾つかの条件を出す。最低限の飲料水と応急手当用の医療物資を除くほぼすべての補給物資の海上投棄。生き残った兵士達の武装解除と武器の投棄、及び船に備え付けられた攻撃兵器の破壊。通信用の魔術具である「双身の石板」を用いて出撃した部隊へ撤退を呼びかける事、及びその後の魔術具の没収。五本の帆柱の内中央の一本を残し、残り四本が備える帆と予備の帆の破棄。そして、速やかにデルフィル湾内の海域から退去することである。
その一方で、傷付いた敵兵の治療を認め、旗艦「カルアニス」の拿捕は行わない事を告げた。一見譲歩のようにも見えるが、戦いが終わった後に敵側の負傷兵の治療を最低限に行うことは、陸で戦う騎士達にとっては普通のことである。それに、旗艦「カルアニス」の拿捕は、それを行うほどの人員的な余裕が無い、というのが実情だった。
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「せっかく勝ったのに、船を頂戴できないってのは勿体無い気がするなぁ、ユーリー」
とは、甲板上に姿を現したユーリーに対して、ヨシン・マルグス子爵が発した言葉。
一連の降伏条件を受け入れた旗艦「カルアニス」の船上では、武装解除された四都市連合側の海兵達が勝者であるコルサス・リムルベート連合軍の監視の下、条件を実行するための作業を始めていた。そんな船上の甲板へ、船倉奥で最後まで抵抗していた十数人の兵士を説得し降伏させたユーリー達が戻ってきた、そんな場面での言葉だ。
「ディンスへ引っ張って行けば、レイの貧弱な海軍も少しは強くなるんじゃないか」
勿論ヨシンとしても、今回の作戦にそのような意図も余裕も無い事は理解している。それに、ユーリーが突き付けた降伏条件に不満があるわけでもない。どちらかと言えば、難しい作戦を終えた後に発する冗談の類だ。だが、それを聞いたスタッド・バーミル提督はキッと音が鳴るほどの表情でヨシンを睨みつける。
捕縛こそされていないが、武装を取り上げられ両脇をコルサスの騎兵に挟まれた状態のスタッド提督は、敗北の事実に蒼褪めた顔色であったが、四都市連合が誇る海軍提督としての矜持を全て失ったわけではなさそうだ。その証拠に降伏宣言後は見苦しい抵抗を試みることは無く、毅然とした態度を保ちつつ勝者側の言い分に従順に従う態度を見せていた。
「やめろよヨシン、スタッド提督は協力的だ」
「うむ、素晴らしい統率力を発揮して兵士達を投降させた」
ヨシンの言葉が幾分挑発的であったことを受け、ユーリーと騎士デイルがそのような言葉を発する。スタッド提督が捕虜として従順な態度を示しているのは、こちらが無体な振舞いや屈辱的な侮辱をしない、という暗黙の了解があっての事だ。その上、今後の四都市連合との交渉を見据えた時、スタッド提督の存在は両者の重要な橋渡しとなる。
「そ、そうだな……」
結局、軽口に同意を得るどころか、二人から反論を受けたヨシンは少しバツが悪そうな顔つきとなり、睨み付ける表情のスタッド提督に軽く頭を下げる仕草をした。一方のスタッド提督は短く鼻を鳴らすと、視線を逸らす。その視線が向けられた先には、配下であった海兵達が粛々と物資を海へ投棄する光景があった。
「とにかく、こちら側は何とか作戦成功だけど――」
一方のユーリーは、当然の心配として、もう一隻の大型帆船へ仕掛けた攻撃の行方を気にする。ようやくそんな余裕が出てきた、といったところだ。しかし、視線を右舷側へ向けるが、生憎船の中央部付近の甲板からはその先にある筈のもう一隻の大型帆船「海魔の五指」の様子は見て取れなかった。
「伝令は何か
その様子を受けて騎士デイルがその問いを発する。因みに「伝令」とは傭兵団「オークの舌」から借り受けた精霊術師の事だ。彼等が風の精霊術である
「確認してきます――」
デイルの問いを受けて、ダレスが左舷側へ走る。だが、彼が三歩四歩と駆け出したところで、向かう先の左舷側から声が上がった。その皺枯れたダミ声の主は「伝令」役の精霊術師。声の様子は可成り焦っており、また、三メートルほどの高低差を縄梯子と格闘して登ってきたためか息が上がっており、直ぐに聞き取れる言葉ではなかった。
「何かあったのか?」
「――はぁはぁ、あ、あっちの船がたいへ――」
問いただすダレスの声に、息を整えつつも、やはり焦った声で伝令役が答える。だが、その言葉が全て口から吐き出される間際、ユーリーはゾクリとした異様な気配 ――波動ともいうべき力の波―― を感じた。うなじの毛が逆立ち、全身の肌が粟立つ感覚。これまでの戦いで幾度か経験した、この世の存在ではない者の気配。
(まさか!)
ユーリーは、そんな力の波を放つ存在を咄嗟に連想した。そして次の瞬間、それが正しいと裏付けるような爆発音が、不快な波動を伴って鳴り響く。遮るものが何もない大海原にも関わらず、どこか籠って低く響く音は聞く者の生命力を奪うような脱力感を伴う。
周囲の面々は戸惑ったような表情。そんな中、ユーリーはいち早く視界が開けた場所を目指して駆け出していた。
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闇の向こうにはもう一隻の旗艦「海魔の五指」の船影がある。爆発音がそこから響いたのは確かだ。その証拠に、大きな船影まるで縁取りのように所々から明るい炎を吹き出している。また、船首と船尾に在るはずの楼閣のうち、船首側が遠目で見てもそれと分かるほど損壊しており、五本あるはずの帆柱も数本が途中で折れて倒れかかっている。
「一体何が……」
向こうの船に乗り込んだ部隊には「暁旅団」の強力な魔術師バロルや「オークの舌」の老練な精霊術師ジェイコブが居る。しかし、彼等が無節操に力を行使したとしても、ここまでの破壊を行うはずはなかった。だが、実際の光景はそんなユーリーの認識を覆している。
「――ッ!」
その光景を呆然と見つめるユーリーの視界に、不意に黒い何かが割り込む。ぐんぐんと速度を上げながら一直線にユーリーの元へ飛んでくるソレは、この場に居るはずのない存在。
「苦戦しているらしい」
「救援に向かいますか?」
背後からは、騎士デイルと魔術騎士アーヴィルの声が掛かる。だが、ユーリーはその声に答えるのも忘れ、視界にとらえた存在を凝視する。そして、
「ヴェズル!」
事実を拒否するようなユーリーの叫びに似た問い。それが向けられた先には鷹の姿を借りた風の化身の姿があった。
「何でお前がここに!」
問いかけておきながら、答えは既に出ていた。
「――」
対するヴェズルは普段のようにユーリーを馬鹿にするような鷹の鳴き声を発しない。その代わり、至近距離で宙に留まった彼の猛禽類の瞳は、精神を共有していないユーリーにもそれと分かるほどの切羽詰まった懇願があった。それはまるで、
(助けてくれ、母さんが――)
と言っているよう。
「畜生っ!」
その懇願に、ユーリーは大きく悪態を吐く。何に対しての悪態か、それは彼自身も分からない。ただ、自分が望まなかった現実が目の前にある、という事実に反発する気持ちを吐き出す。そんな彼は、次の瞬間には、楼閣の手摺を蹴り宙へ飛び出していた。
周囲に真昼のような光が広がる。夜の闇を引き裂いて現れた光はそのまま翼となり、それを背にしたユーリーは海面スレスレの高度を矢のように飛ぶ。目指す先の旗艦「海魔の五指」では、もう一度大きな爆発が起こっていた。
(リリアッ!)
Episode_25 崩壊の足音(完)
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