Episode_25.23 エグメルの魔術師メフィス


(何とも場違いな方面に首を突っ込んでいるな、俺は……)


 中型帆船の甲板下第一層、割り当てられた士官用の個室に入った男は、内心に溜まった不満めいた気持ちを溜息として吐き出した。言葉にして口から出せばもう少し気が紛れるかもしれないが、そうすることは彼一流の配慮で止めておくことにした。本来の役割ではないにせよ、組織の長が直接命じた任務に当たっているのだ。しかも今は別の個室に居るとはいえ、同行しているのは彼から見れば二階級上の立場 ――組織の実質二位の地位―― にある人物だ。どの程度の技量なのかは分からないが、些細な独り言であっても聞き取られたくなかった。


彼の名はメフィス、魔術結社エグメルにおいて探索部門に属する上級魔術師だ。しかし今は元師の命により、謀略部門の長であるザメロン師の補助、という役目に就いている。その経緯は二週間前に遡る。


前々からの任務であった「黄金の心臓」の探索を終えたメフィスは、続く任務として「黄金の心臓」に掛けられた封印を解く「鍵」の探索に当たっていた。「鍵」である魔術書の探索は難航するかに思われた。「心臓」の時と違い、初動が遅れたという認識があったからだ。


そして実際に探索に取り掛かると、メフィスはほどなくして難題に直面した。魔術書の所在自体は比較的簡単に判明したが、問題はその所有者 ――賢者メオンことメオン・ストラス―― であった。エグメル内部でメオン・ストラスは要注意人物の名簿に名を連ねている。過去に何度かエグメルの活動を妨害した経緯があり、直近ではリムルベート王家を巡る謀略に偶発的に介入したことが確認されているからだ。


 思いも掛けない要注意人物の登場に、メフィスは目的である魔術書を前にして様子見の態勢を取らざるを得なかった。特にメフィスが様子見を始めてから直ぐ、メオンは自宅のある開拓村へ一時引き籠ってしまった。 そのため、監視すら儘ならない状況となりメフィスは相当な焦りを覚えたものである。


 だが、事態はその後メフィスに利する形で推移した。突然リムルベート王都へ移動したメオンは、魔術書を王都内の魔術具店に預けたのだ。因みにその魔術具店の店主である老魔女 ――真贋のレナ―― もエグメルの要注意人物として名が挙がっているが、その注意度はメオンよりも遥かに下に置かれていた。


 とにかく、目的である魔術書がメオンの手を離れている間が彼にとって好機であった。その好機を捉え、メフィスは窃盗に秀でた者達を呼び集めると、魔術具店全体に掛けられていた幾つかの力場魔術を解除し、目的物を窃取に成功していた。それが丁度二週間前の事である。


 首尾よく任務に成功した彼は、即座にエグメルの本拠地である凝集の逆塔へ跳ぶ・・と、目的物である魔術書を元師へ献上した。その時の彼は、次なる任務は北東の逆塔探索だと思い込んでいたのだが、その予想に反して元師から告げられた任務は、


――ザメロン師の本来の任務を補助せよ――


 というものだった。


この時、北東の逆塔はザメロン師の関与によって既に解放されていたが、その過程でザメロン師は本来の任務である謀略、特に現在佳境に至っている四都市連合のコルサス王国に対する介入に於いて活動に支障をきたすほど消耗していたのだ。そのため、ザメロン師の手足となって現在進行中の謀略を完遂するため働く、という本来の任務とは違う役目がメフィスに回ってきたということだ。


(……しかし、北東の逆塔探索には参加したかったところだが、惜しかった……)


 海の上、軍船としては快適に作ってある士官用の個室で、服装はそのままに備え付けの寝台に身を延べたメフィスは考えを整理するように思考を動かした。この二週間、正確に言えばザメロン師が動けるようになってからの直近数日間は実に忙しく、また畑違いの仕事をさせられていたため、このように落ち着いて思考を巡らすことが随分久しぶりのように感じる。


(しかし、探索に当たっていた先任の上級魔術師二人と死霊の導師が行方不明……しかも、ザメロン師……あの症状は魔力欠乏症、それもかなり重症のやつだった)


 寝台に仰向けで寝そべるメフィスは、沁みが浮いた天井を眺めながら考えを巡らせる。塔の探索にはメフィスよりもかなり年上の上級魔術師二人が先任として当たっていた。しかも途中から応援という形で、新参にして導師の地位を得ていた死霊の導師も加わっていた。だが、彼等は全員が塔の解放過程で行方不明になったとメフィスはザメロン師から聞かされていた。また、そう語ったザメロン師自身も行動可能になるまで十日間の時間を要するほど消耗していた。


(惜しかったというよりも、命拾いした、と考えるべきか……)


 エグメルの探索部門が長年掛けて探索を進めてきた「塔」である。探索に携わる者として、一度は関わってみたい、そうメフィスは考えていた。古代ローディルス期の魔術師達が造り上げた魔術的遺構に直に接する機会は、そうそう滅多にあるものではない。だが、その任務は常に危険と隣り合わせだ。現に数年前の「東の逆塔」解封に於いては、多数の導師級魔術師が封印を守っていた漆黒の古竜によって命を落としている。


 そうやって思考を巡らせるメフィスは、仰向けの姿勢から扉に背を向けるように寝返りをうつ。そんな彼の思考は「塔の探索」に対する未練から別の方向へと向かう。


(しかし、何があったのだろうか……ザメロン師の消耗具合、あれは尋常じゃなかった)


 次にメフィスの脳裏に浮かんだのは、そんな疑問だった。


 ザメロン師の補助を命じられたメフィスだが、彼がザメロン師と対面したのはそれから一週間後であった。その時点で、ザメロン師は塔を解放してから一週間は休養していたはずだ。しかし、メフィスの目の前に現れたザメロン師は、半死半生の病人といった風情であった。


(いくら重症であっても、命を保てる程度の魔力欠乏症ならば、長くて三日も休養していれば戻るはず・・・・なのに……)



 魔力欠乏症とは早い話が魔力の使い過ぎによる体調不良の総称である。不可逆的な魔力欠乏症 ――そのまま絶命に至る重度のもの―― を除けば、その状態から回復するための手段は幾つか存在するが、もっとも一般的な方法は休息をとることである。そうすることで失われた魔力マナ生命力エーテルが自然循環することによって補われる。


 この場合、回復に要する時間は不足した魔力の量に比例することになる。これは、魔力量に個人によるばらつき ――魔術の才能として魔力量が重視されるのはこのばらつきに由来する―― があるのに対して、生命力は一般的にそれほど大きなばらつきが無いことと、生命力から魔力へ変換される効率というべきものにそれほど個人差が無いといわれているためである。


 そのため、メフィスの感覚では「三日程度」が回復の目安となっている。これでも、一般的に表の世界・・・・で活動している魔術師よりは魔力量に優れるため長く時間が掛かることになる。しかし、ザメロン師はそんなメフィスの感覚を上回る時間を回復に要していることになる。


(あわせて二週間……それでも本調子ではなさそうな様子だ……一体どうなっているんだ?)


 本調子でなさそうなのは、同じ魔術師であるメフィスだからこそ感じ取れるものだ。行動を共にしたこの数日間、色々と事態が動いたコルサス王国における謀略の軌道修正のため、ザメロン師は方々へ移動を繰り返すことになるのだが、その移動 ――相移転の魔術を用いたもの―― を全てメフィスに肩代わりさせたのだ。移動先の位相を熟知しているからこそ安全に使用できる相移転の魔術を、移動先に関する知識が無い人間に肩代わりさせるのは危険が伴うし、そもそも面倒な説明を行わなければならない。だが、ザメロン師はその危険と面倒さを容認してメフィスの相移転に移動を委ねる状態であった。


(魔術を使えない、もしくは使いたくないほど消耗しているのか……それとも回復に時間がかかる事情でもあるのか?)


****************************************


 寝台の上でそんな事をつらつら・・・・と考えている内、メフィスは眠気を感じ始めていた。考えてみれば、今日はザメロン師以外にカドゥンという得体の知れない男も伴って、カルアニス、タリフ、コルベートの間を相移転で移動し、最後に洋上を移動する船の上へ跳ぶ、という激務だった。


(……明日からはコルサスの王子とやらを連れて船旅か……面倒だなぁ)


 先ほど捕らわれの身となったコルサス王国の第二王子一行には驚くほど興味のないメフィスであるが、明日以降の行動に想いを馳せると億劫な気持ちが湧き上がってきた。


先ほどの尋問の後に行われた打合せで、コルサス王国の第二王子一行の移送は船団に随伴している中型帆船を以て行うことに決まっていた。今は彼等の内、第二王子を除いた男二人と女一人がメフィスと同じ中型帆船の船倉付近に閉じ込められている。一方、第二王子自身は明日の出航までは大型帆船「海魔の五指」に留め置かれることになっていた。両者を引き離しているのは、お互いの安否が不明確な作り出し、逃亡の試みを未然に防ぐためだという事だ。因みに、その行先はザメロン師の一存に委ねられているようで、今の所メフィスは目的地について聞かされていなかった。


しかし、メフィスにとって重要なのは虜囚になった第二王子一行の事でも、これから向かう先の事でもなかった。今の彼にとって重要な事はただ一つ、自分に与えられた畑違いの役目が解かれるのは当分先の事になりそうだ、という事実だけであった。ザメロン師曰く、道中の急な用事に備えるためと、念のため逃亡防止の監視役として引き続き同行することを求められていたのだ。


(……ったく、人遣いの荒い話だ)


 そんな内心の毒づきを最後にメフィスは気持ちを切り替えると積極的に睡眠を取ろうとする。しかし、十分に疲れた彼が眠りに就くことは出来なかった。というのも、


「――魔術師」

「うわぁ!」


 突然耳元で上がった声に、メフィスは驚きと共に跳ね起きた。今更ながら、船室の扉を魔術的に施錠していなかったことを思い出す。そして見上げる先には、灯火を背に影を落としたように陰鬱な男、カドゥンが立っていた。


「なっ――」


 驚きに次いで湧き上がってきた怒りに抗議の声を発しかけるメフィスだが、その言葉はカドゥンの有無を言わせない言葉で遮られた。


「外の様子がおかしい、付き合え」


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