Episode_25.22 投降


「ガリアノ様、お出でなさいませ」


 落とし戸から差し込む灯火が船倉の湿った床に人影を作る。その言葉の主は紛れもなく四都市連合同盟顧問としてコルサス王弟派に送り込まれたザメロン師のものだ。彼独特の飄々とした口調には殺気や警戒、緊張といった色は含まれない。まるで、午後の茶会に誘い出すような気軽で普段通りの調子であった。


 しかし、その声を受けた一行の中でガリアノは身を固くして緊張の度合いを高める。先ほどまでは「もしかしたら上手く脱出できるかもしれない」という一縷の望みを持つことで苦しい船倉での潜伏を耐えていた。しかし、そんな淡い期待は今の瞬間、無残に打ち砕かれる格好となった。


(こうなっては……仕方ない、もはやこれまで――)


 ガリアノは全てを諦めるように思い極める。四都市連合の海兵ひしめく船の上では、逃げ場など土台有るはずもなかった。普段と変わらぬ様子で余裕を示すザメロンの口調が、そんな事実を何よりも強く訴えかけていた。この状況でガリアノが考える事といえば、大人しく恭順の意を示すことで同行者の、特に自分に想いを寄せる幼馴染同然のアンの身の安全を確保することくらいであった。ガリアノは投降の意思を発する寸前に一度、物陰の暗闇の中でアンの顔を探した。そして青ざめて見える彼女に「大丈夫だ」と言い聞かせるような視線を送る。


 しかし、ガリアノが無言の思考から行動に移るまでの間、彼を守ることを第一の任務と心得るドリムは全く違う思考を以って行動に移ろうとしていた。


(たかが魔術師崩れめ!)


 ザメロン自身が公言することはないが、その恰好から彼が魔術師の端くれであることは皆が知るところだ。技量のほどは不明である。だが、少なくともドリムの目からは高位の術者には見えなかった。時折白珠城パルアディス王宮内に姿を現しては、今と同じような飄々とした態度でコルサスと四都市連合の同盟関係を維持する助言を行う彼は、ドリムのような武術に秀でた者には生白い文官のように映っていた。


 イグル郷出身の猟兵を束ねる立場のドリムは、大剣を振り回す豪傑な騎士の外見とは裏腹に隠密や潜行といった猟兵独特の繊細な戦闘技術にも通じている。特に周囲の気配を察して見えない場所の状況を探る術は、精霊術師ニーサをして「本当は風や土の声が聞こえているんでしょ?」と言わしめるほどだ。その技能には当人も誰に憚ることなく自信を持っている。


(……たった一人、ならば!)


 そんなドリムだからこそ、今の状況をそのように認識した。敵は生白い魔術師崩れが一人。それが船倉へ続く落とし戸付近に居るだけ。他には鼠一匹の気配もない。一気に距離を詰めれば討ち取ることが出来る。その後は自分達が囮になることでガリアノが逃げる隙を作る。具体的に何をどうしてどのように洋上の船から逃れるか、仔細にまでは思考は及ばないが、今行動を起こさなければ逃れる好機は二度と訪れない。それが追い詰められた状況下でドリムが下した判断だった。


 そして、ドリムは大剣の鞘を抱えるように持つと、大振りな柄を握る手に力を籠める。使い手に重さを感じさせない強力な「軽量」の効果が付与された魔剣「羽切」は歴代王の隠剣として働いたイグル郷の猟兵を束ねる者の象徴だ。太ましい柄は握り込む掌に揺るぎのない手応えを返してくる。狭い船倉に大剣は不利この上無い武器だが、真銀ミスリルを鍛えた刀身ならば、多少の障害物を敵諸共に切り倒すことさえ可能だ。


「――っ!」


 しかし、ドリムはその大剣に手に掛けつつも抜き得なかった。裂帛の気合を呼吸と共に溜め込んだ抜剣は寸前のところで不意に制止を受けた。もう一人の男 ――割れ声のムエレ―― の枯れ枝のように節くれだった手がドリムの右手を押しとどめたのだ。


「早まるな……敵は一人だけじゃない」


 ムエレの囁くような声には最大限の警戒が滲み出ている。そして、ムエレの警戒を肯定するような声が、ギョッとするほど近くの物陰から上がった。


「残念だ……向かってくるならば斬れたものを」


 不意に上がった声は低く陰鬱とした調子を帯びている。それが、これまで全く気配を発していなかった物陰から上がったのだ。ドリムのみならず、ガリアノまでが身を固くする。


「ザクア……コルサスの王の隠剣猟兵と繋がっているという噂、本当だったか」


 声の主は姿を現さないが、積み荷が作り出す物陰からはまるで血臭が直接匂ってくるかのような殺気が漏れ出している。


「無明衆……」


その強烈な存在感にドリムの暴走を制止したムエレまでもが無意識に腰の三日月刀シミターの柄を手繰る。


「ザクア排除は上位命令だ――」


 一方、物陰から発せられる声はいよいよ陰惨さを増す。声に比例して身を切るような殺気も人の限界を超えて濃くなる。だが、


「止めよ、カドゥン。私の用事・・・・をしている時は帝令とて意味はない、忘れたのか」

「――承知」


 膨れ上がり爆発寸前となった殺気は、ザメロンの鋭い制止を受けて嘘のように掻き消えていた。


「不調法者が失礼しました、殿下、ささ明かりの元へお出で下さい」


 次いで響くザメロンの声は、先ほどと全く同じ飄々としたものだ。だが、その声の奥に得体の知れない力を感じたガリアノには、従う以外の選択肢はなかった。


****************************************


「これから、我々をどうするつもりだ?」


 警戒感の籠った硬い声はガリアノのものだ。それがガランと広い船室に響く。船室は船尾側の甲板下一層目に位置しており、通常は作戦行動に関わる部隊長達の打合せが行われる場所だ。その証拠に、船室の壁一面には種々の議論の形跡として線や記号が書き込まれたデルフィル湾の海図が何枚も張り付けられている。


 しかし、船室を埋めていた部隊長達の大半は既に出撃した後である。そしてガランとした船室には、灯火に照らされたガリアノ一行の姿があった。その他にはザメロン師と彼が従える魔術師風の男、そしてカドゥンと呼ばれた黒装束の男、更に船の主であるバーゼル提督以下数名の男達の姿もある。


 四都市連合が誇る大型帆船の一つ「海魔の五指」、その船内に於ける全権限はバーゼル提督にある。そのため、ガリアノの声はバーゼルに向けられたものだ。だが、問いを受けたバーゼルは少し困ったようにザメロンの方を窺う。明らかに彼の手に余る状況であった。


「それは殿下のお心ひとつ」


 一方、ザメロンは飄々とした調子のままでそう答えた。中年期を過ぎていると思われるがどことなく年齢不詳な容貌はあくまで普段通りの表情である。勝ち誇ったり見下したり、といった相手に対して優位に立っていることを示すものではない。ただ、どこか相手を小馬鹿にしたような雰囲気のみがあった。


「どういう意味だ?」

「殿下はもとより、お付きの方々の身の安全も……言わずもがな、ですな」


 その言葉にガリアノは口を閉じる。ザメロンの、いや四都市連合の企みが分からなかった。国王ライアード暗殺の罪を着せ、宰相ロルドールに自分を差し出すつもりならば、今のような発言にはならないはずだった。四都市連合にとって同盟国であるコルサス王弟派に対する大罪人としてガリアノを処遇するならば、この場で処断し事後の証拠として首を差し出す位で丁度良いとさえ思うのだ。


「……言わずもがな、では要領を得ない……師ほど明晰な頭脳は持ち合わせていないからな」


 考えた挙句、精いっぱいの皮肉を発するガリアノに、ザメロンは初めて明らかに笑ったと分かる表情になった。


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