Episode_25.21 密航発覚


 櫂船の集団を送り出した後、洋上に留まる大型帆船「海魔の五指」の船室で第二海兵団の提督バーゼル・ホットンは夕食後、就寝前のひと時を杯の酒を舐めるようにして過ごしていた。流石に四都市連合が誇る海兵団の提督が使用する船室だけあって、室内の調度は狭さを別にすれば快適なものである。


 だが、室内に据え付けられた長椅子にもたれかかるバーゼルは余り機嫌が良いようには見えない。というのも、櫂船集団出撃に際してカルアニス海軍提督スダット・バーミルと意見の齟齬があったからだ。全戦力を以ってディンス攻撃を主張したバーゼルに対してスダットは戦力の一部をデルフィルに向ける事を主張した。


 以前のノーバラプール沖海戦に於いて一度壊滅したリムルベート王国海軍、その再建中の戦力がデルフィルに集結しつつある、という情報から、


――弱い敵こそ優先して潰すべきだ、リムルベートにまともな海軍力の整備を許せば、後日我々の西方進出が困難になる――


 というのがスダットの主張だった。四都市連合中央評議会議員ヒューブ・ロキシスを後ろ盾に持つ作軍部上がりの提督は、結局自分の意思を押し通すとカルアニス海軍所属の櫂船団の一部をデルフィルへ差し向けてしまった。


「若造め……」


十歳近く年下のスダットに自分の意見を無視されたことにも腹が立つが、それ以上にバーゼルは自分の出世、つまり四都市連合海軍総督の座、が覚束なくなった気がして機嫌を損ねていた。作軍部の将校とは違い、海兵団一筋のバーゼルは中央評議会に対して発言権が少ない。その点が急に心もとなく・・・・・感じられる。


「……ちっ」


 五十代手前まで無事に過ごし、提督にまで上り詰めた彼は本音のところでは早く船を下りたかった。長く海を戦場として戦っていると、かえって海で溺れる最期が一番怖いと感じるのだ。同僚であるフロンド第三海兵団提督が現役に固執するのと対照的である。だが、船を下りて閑職へ追いやられるくらいならば、


「このままの方がいいのか……」


 現状、ロ・アーシラの海軍と事を構える状況でもない限り、四都市連合の海軍勢力に比肩する勢力は無い。ならば難破の恐れが最も少ないといえる大型帆船「海魔の五指」に留まる方が良いのではないか? そんな考えにもなる。


 そうして、バーゼルは就寝までのひと時を酒と独白で過ごす。任務中とはいえ、何の変哲もない夜のはずだった。だが、変化は彼の元に突然訪れた。


「夜分にすまぬな、提督」

「うわっ!」


 自分以外誰もいないはずの船室、しかも直ぐ近くから突然声を掛けられたバーゼルは驚きと共に杯の酒を盛大に零した。


「な、何者!」


 振り返りつつ腰の短刀カトラスに手をやるバーゼルだが、その視界に映った人物に再び驚いた。


「ザ、ザメロン師?」


 そこには、四都市連合の中央評議会顧問として知られるザメロンの姿と、黒ずくめの浅黒い肌の人物、そして若く見える魔術師風の男の姿があった。


「ど、どうして……?」


 あまり広いとはいえない部屋に、突如自分以外に三人もの人物が出現した事実にバーゼルは混乱の様子を呈する。しかし、問いかけられたザメロンは飄々とした表情のままで、


「用事があるから来たのじゃよ、カドゥン、説明してやってくれ」


 と答える。そして、傍らの黒ずくめの男が一歩前に進み出ると、妙にどんよりとした黒い瞳でバーゼルを正面に見て言う。


「船倉を検めたい」

「は?」


 全く意図が掴めないバーゼルは、自分でも可笑しく感じるほど間抜けな声を出していた。


****************************************


 ミシミシと木材が湿って軋む音、ゆっくりではあるが常に揺れ続ける足元、そして周囲を満たす湿気に満ちた空気、全てが混ざり合い大型帆船の喫水線下に位置する船倉は不快極まりない空間となっている。周囲に光源の類は無く、わずかに物資の積み下ろし用の吊り具が通る吹き抜けの天井板から外の明かりが漏れ込むだけ。その薄い月明かりを通して、船倉に詰め込まれた物資類が薄く輪郭を持っている。


 その物資の隙間に身を隠すガリアノは、同行者の様子を確認するように視線を送る。一人は彫像のように身動みじろぎ一つせず、じっと周囲の気配を窺っている痩せた男、割れ声のムエレだ。その隣には同じように周囲の気配に耳をそばだてる屈強なドリムの姿もある。そしてもう一人は積みあがった物資に背を預けて膝を抱えている女性 猟兵の魔術師アンだ。


「アン、大丈夫か?」

「はい、私は大丈夫です。それよりガリアノ様は?」

「大丈夫だ。ひどい臭いに鼻が慣れてくれたのは助かるよ――」


 ひそひそ声でアンと話すガリアノはそう答えながら鼻をひくつかせるふりをする。わざとお道化どけて見せるのだが、彼らの置かれた状況は全く楽観的ではなかった。


 四人が潜む場所は四都市連合第二海兵団の旗艦「海魔の五指」の船倉だ。


あの夜、後宮居館から抜け穴を通って街中に逃れた四人だが、王都コルベートからの脱出は容易ではなかった。その時点で王都内には「無明衆」によるものと思しき監視の目が張り巡らされていたのだ。


 時間を置いて白珠城パルアディスから繰り出されたガリアノの行方を追う兵士達は、四人にとって支障とはならなかった。しかし、「無明衆」の追手達による追跡は元凄腕の暗殺者である割れ声のムエレや猟兵達を取りまとめるドリムを以てしても逃れることが難しいものだった。恐らく「無明衆」側に有能な精霊術師が居たのであろう、四人は王都内で徐々に港の方面へ追いつめられる格好となった。


 その時点で、ムエレは深夜の時間帯でも大勢の作業者が働いていた港に侵入し、気配を紛れさせようと意図した。しかし、今にして思えばその考え自体が「無明衆」の思惑通り・・・・だったのかもしれない。積み上げられた積み荷の中に身を隠した四人は、迫る追手の気配に身動きが取れない状態で、積み荷と共に船に運び込まれてしまったのだ。


(……無明衆、いや四都市連合は我々がこの船に潜んでいることを知っているだろう……)


 今となっては、諦めにも似た気持ちでガリアノはそう考えている。しかし、自分達から進んで姿を現す気にはならない。僅かでも可能性があるならば、このまま潜伏して脱出の機会をうかがうべきだと考えていた。


(しかし、四都市連合の思惑とは一体……父上を暗殺し、スメリノを王位に付けるのはロルドールの筋書きと合致するだろうが、やはり四都市連合は別の意図で動いているのか?)


 そうなれば、自分の身柄は四都市連合にとってコルサス王国王弟派に対する何等かの意味を持つことになる。場合によっては、スメリノとロルドールを排して、ガリアノを担ぎ出すことによって、コルサス王国王弟派を完全な傀儡として操ることも可能かもしれない。


「まったく……いい迷――」

「シッ」


 そんな想像にガリアノは溜息とともに声を吐くが、それはムエレの発した制止に遮られる。


「?」


 四人は不意に生じた周囲の気配の変化に身構える。そして四人ともが固唾を飲むように身構える中、船室の天井の一部が不意に軋み音を生じる。上から灯火の強い明かりがさし込んだ。そして、


「ガリアノ様、お迎えに参りましたぞ」


 という、聞き覚えのある声 ――ザメロン師の声―― が明かりの向こう側から聞こえて来た。


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