Episode_25.20 出撃


アーシラ歴498年10月3日夕刻


 大方の想像通り、事態は何の前触れもなく突然動いた。ストラ近郊の海岸線で沖合に留まる四都市連合軍船団の動向を注視していた「オークの舌」の面々が、軍船団側の行動開始を察知したのはこの日の午後遅くのことだ。


 ――大小併せて五十隻の櫂船、数隻の中型帆船が行動を開始――


 ――櫂船十隻は北上、残り四十隻は東進――


 それらは上空を舞うヴェズルの目を通してリリアが得た情報だった。北へ向かった十隻は大型の三段櫂船で、その目的はデルフィルに集結したとされる・・・・リムルベート王国の海軍だろう。そして、大小併せた四十隻の主力集団は数隻の中型帆船を伴い東進、つまりディンス港攻撃を意図していると理解して間違いない。一方、肝心の旗艦である二隻の大型帆船は、ブルガルトの読み通り沖合に留まったままだ。中型帆船を一隻のみ護衛のように伴っているが、ほぼ丸裸といってよい状況だった。


 「オークの舌」ジェイコブ配下の傭兵がストラの街へ伝令に走った。


 この報せを「今か今か」と待っていた襲撃部隊合計二百人は逸る気持ちを抑えると、少人数に分かれて海岸へ移動する。一方、西方面軍から引き抜かれた騎士や兵士達は一度北へ向かうと見せかけてから、街道を外れストラを迂回する格好でディンスを目指した。回りくどい行動だが、最後の最後まで四都市連合側にこちらの意図を悟らせないための偽装であった。


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「連中はデルフィルへも部隊を派遣した、こちらの思い描いた最高の筋書きになったな」


 ストラ近郊の海岸には続々と襲撃部隊が集結しつつある。そんな中、「暁旅団」ブルガルトは四都市連合の行動をそう評価した。彼の口調は自身が思い描いた中で最上の筋書きをなぞる現状を評して満足げである。これから困難な作戦に身を投じるという力み・・が全く感じられないところは、流石に名の通った傭兵団の首領といえる。


 一方、そんなブルガルトに近づくのはジェイコブ率いる「オークの舌」の面々である。先ほど合流したばかりの彼らは首領ジェイコブを始めとした「オークの舌」が誇る精霊術師数人の集団だ。その中には小柄で分厚い外套を着こみ目深にフードを被った人物、つまり「オークの舌」の一員のように変装したリリアの姿もあった。


「だが、ディンスに向かった敵の数は櫂船四十隻、少なく見積もっても陸戦兵が三千……それが河の対岸に陣取る敵部隊と連携してディンスを挟撃するんだぞ……」


 ジェイコブはそんな風にブルガルトに釘を刺す。ジェイコブの言いたいことは、如何に洋上の敵旗艦襲撃作戦が成功してもディンスが陥落してしまえば全てが徒労に終わる、というものだ。基本的に報酬のために作戦に従事している傭兵彼らだから、雇い主が苦境に陥れば事後の報酬支払に支障が出るかもしれない。その事を心配したような発言だった。


「確かに、俺はデルフィルから報酬を分捕っているから良いが、お前のところは王子派が雇い主だものな」

「そうだ、王子様は追加報酬の約束はしてくれたが残念ながら後払いだ……これで王子派が倒れたら骨折り損の草臥れ儲けだぜ」


 事情はジェイコブの語る通りである。尤も、彼らが後払いで仕事をするのは雇い主に対する相当の信用が前提となっている。思い返せば、長い間王子派軍の一翼として内戦に参加しているジェイコブは敢えてその点には触れないが、内心では王子派に肩入れする気持ちが強いようだった。


「まぁ今回の件はお嬢ちゃん・・・・・の存在が無ければ成り立たない作戦だからな……お嬢ちゃんの分くらいはウチから出してもいいぞ」

「それだけかよ、ケチ臭いな、お互い長い付き合いじゃないか――」


 ブルガルトの言葉にジェイコブは「ケチ臭い」と抗議の声を上げる。一方「お嬢ちゃん」と作戦の要のように言われたリリアは何事か言葉を発しようする。しかし次の瞬間、或る人物の気配を察して、傭兵達の集団の中に隠れるように身を引っ込めた。


「今更になって金の心配? ジェイコブさん、レイが約束を破るような男じゃないことは知ってるだろ」


 リリアが察知した気配の主、それは少し非難めいた口調でブルガルトとジェイコブの会話に割って入ったユーリーだった。


「おお、ユーリーか」

「そ、そっちは揃ったのか?」


 一方、突然声を掛けられたブルガルトとジェイコブは歴戦の傭兵にしては珍しく、少し驚いた表情と声で返してきた。二人としては、ユーリーに内緒で彼の恋人の協力を得ている事に後ろめたさがある。しかも、いくらリリアが望んで申し出たとはいえ、その前のユーリーの反応を見ている二人からすれば真相がバレれば相当面倒な事になるという思いがあったのだ。


「こっちは集合完了だ。いつでも出られる」


 そんな二人に準備完了を告げるユーリーは、ここ二日間で平静を取り戻していた。姉リシアから受け取った「まじない」を信じている訳ではないが、不思議と姉が言うならばそうなのだろう、と考えるようになっていた。


「それでブルガルト、そっちの状況は?」


 そして、襲撃隊の一部隊の指揮官として百人を率いる任務に集中すると心に決めたユーリーは、当然の質問を投げかける。そこに、


「ブルガルト、全員揃ったわ!」


 点呼確認をしていた「暁旅団」の副官ダリアの声が少し離れたところから聞こえてきた。その声は、返事に詰まったブルガルトと居心地の悪さを感じたジェイコブに対する助け舟のようであった。


「よし、出発だ!」


 ブルガルトの号令を以って二隻の小型帆船の出航作業が加速する。そして、夕暮れが過ぎ辺りが薄暗くなる時刻に、ストラ近郊の海岸から二隻の小型帆船が静かに沖へ漕ぎ出して行った。


****************************************


 夜の海原を進む二隻の小型帆船は接近した縦列となっている。その先頭は南方大陸の様式で造られた漆黒の外装を持つ小型帆船だ。この船は以前発生した海岸線襲撃事件の際に王子派によって鹵獲ろかくされたものである。南方大陸深南部アンズー族の王族が所持していた船だが、造りが古い割にアント商会のスカースが提供した最新式の小型快速帆船に劣らない船足を発揮していた。


 操船を担当するのは船の鹵獲時に投降した南方大陸の奴隷達三十人である。黒い肌を持つ彼らは投降後に奴隷という身分からは解放され、今は王子派軍の名ばかり・・・・の海軍に所属する兵として働いている。誰一人として故郷であるアルゴニア帝国に戻りたいと希望する者はいなかったということだ。


 そんな黒い肌の水兵達は今回の作戦用に特別にあつらえた黒色の帆に、より強く風を当てるため、きびきびとした所作で作業を続けている。その様子を船尾に近い場所からぼんやりと眺めているのはリリアだった。彼女の興味が操船技術に無いことは確かであった。その証拠に彼女は時折船尾から後ろを振り返ると、夜の闇を見通すように後続のもう一隻の帆船に視線を送っていた。そして溜息を漏らす。


「やっぱり……言い出せないわよね」


 思えば、先ほど出発前の一時いっときが自分の存在をユーリーに示す最後の機会だった。だが、彼女はそれをしないと決心している。迷いを捨てたように決然と任務に集中する態度を見せていたユーリーの決意を揺らがせるような真似は出来るはずがなかった。


 その一方で、たった十日の会えない日々を経て再び目にした恋人の姿は、彼女の胸にきつく締め付けるような、焼け焦げるような強い情動をもたらしていた。二人で積み重ねた様々な出来事が脳裏に蘇り、眩暈を覚えるような感覚に足元が覚束なかったほどだ。


 しかし、理性的な抑止と感情的な衝動のせめぎあいが嵐のようにリリアの心を乱すうち、彼女が自らの思いを恋人に伝える機会は過ぎ去ってしまった。


(我慢する必要なんて無いのに)


 とは、心の中に響いてくるヴェズルの思考だ。上空を舞いつつ時折帆柱の上に止まるヴェズルは、母と慕うリリアの苦悩を察して思考を送ってきた。そして、今度は言葉にならない意図を伴いリリアと同じく後方の帆船を見る。


「止めて! いいのよ、このままで」


 ユーリーの様子をリリアに見せるため、夜空へ再び羽ばたこうとしたヴェズルをリリアの声が押し止める。ヴェズルの意図に抗い難い強い誘惑を感じたリリアは、それを拒むように言葉を続ける。


「それよりも、目的の船の場所が変わっていないか――」

(はいはい、分かったよ母さん)


 呆れたような思考を返事として送ってくるヴェズルの事が不意に憎たらしく感じたリリアであった。


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