Episode_25.19 必ず会えるおまじない


 夕食の場は、デイルがユーリーに諭すような言葉を掛けた直後にお開きとなった。ウェスタ侯爵領の兵士が出発準備完了をアルヴァンに告げたのだ。ストラからデルフィルまでアルヴァンを護衛しつつ引き上げる兵士や騎士達は隊商に偽装することになっており、その偽装が完了したということだ。出発は人目につかない夜に行われるが、一晩待つという選択は無い。直ぐに出発となる。


「ヨシンもデイルも武運を……いや、無事を祈る」


 そんなアルヴァンの別れの言葉に二人は力強く頷き返す。


「ユーリー……上手くやると信じている」

「ああ、アーヴも……デルフィルだって油断できない」

「そうだな」


 一方、ユーリーは先ほどまでとは調子を切り替えてアルヴァンに言葉を返す。デイルの発言を受け入れて気持ちを切り替えたのかは定かではないが、ディンス同様に攻撃に晒される可能性のあるデルフィルへ向かう親友に余計な心配をかけまいとしたことは確かなようだった。


 短い別れを、再開を誓う言葉で締めくくった彼らはアルヴァンを伴って北へ向かう隊商の列を見送ると、その後は各自の部屋に戻り休息をとることになった。時刻はまだ宵の口を少し過ぎたばかりで、深夜というほど深い時刻ではない。だが、沖合の四都市連合軍船団の動向が読めない以上、何時下されるか分からない出撃の号令に備えて襲撃部隊の各自は、休める時には休む、という待機状態に入っていた。


 残された三人の内、デイルは先ほどの説教じみた言葉の続きをユーリーに言うことは無く、その代わりに短く「お休み」と言うと部屋へ戻る。一方ヨシンは腹の具合か酒の量か、はたまた体を動かし足りないのか、少し物足りない風であったが、結局ユーリーを何かに誘うことなく自室に戻った。


二人が立ち去った後、衛兵団の詰め所前の門戸に一人残されたユーリーは、ヨシンの後を追うように自室に戻りかけたが途中でその足を止めると踵を返して街中へ向かった。夜の通りを歩くユーリーを秋の夜の冷えた風が追い越していく。頬の熱を優しく冷やすような感触に、


「デイルさんには言われちゃったな……頭を冷やさないとな」


 と、彼は独り言を漏らしていた。


 悔しい気持ちはあった。しかし、デイルの言葉に腹を立てている訳ではない。寧ろみっともなさ・・・・・・を上塗りするように取り乱し掛けた自分に対して、デイルは仔細に立ち入る事無く指摘のみを行ってくれた。ユーリーは、そんなデイルの言葉を素直に聞くことが出来た。これが、デイルではなくアルヴァンやヨシンの言葉だったならば、恐らく素直に聞くことが出来なかっただろう。しかし、少年期から超えるべき目標であった騎士の言葉は、自然と心に沁みたのだ。


「少し歩こうか」


 言い聞かせる相手の無い言葉は、風に乗って夜空に消えていった。


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ユーリーが足を踏み入れた夜のストラは一つ隣の港街ディンスとは異なり、この時間でも人の気配が多く、そこはかとなく賑やかな様子であった。ディンスが王弟派からの攻撃に備えて戒厳態勢を取っているのに対して、ストラの街はまだ敵の姿を目にしていないため警備は普段通りなのだろう。


そんなストラの街にはディンスから避難してきた人々が滞在している。そこに、今度は名目上デルフィルへの援軍として移動を開始した西方面軍の一部がやってきたため、元々小さな街はかなりの過密状態となっていた。


 同じ王子派領であってもディンスという隣街から来た余所者よそものによる非日常的な人口過密、デルフィルの混乱に影響を受けた物資欠乏に対する不安感、そして迫る戦火の気配、それらは人々の暮らしの平穏をかき乱す要素だ。しかし、ストラの街の人々は騒々しさこそ普段以上に感じているものの、迫る危険に対して動揺した雰囲気を持っていなかった。


 寧ろ流入した避難民や、王子派領各地から送られるディンス行きの補給物資流入によって、普段はひなびた印象を与えるストラの街は活況を呈しているといっても過言ではない。それは、着の身着のままでディンスから逃れてきた避難民を輸送物資に関する役務に割り当てて相応の賃金を払う、という民生長官イナシア・アートンが発した政策に依るところが大きい。


 労働力を提供させ対価として支払われた賃金によって食料を買い求めさせる、という仕組みは勿論急場凌ぎの政策である。そのため、賃金は何とか食い繋ぐことが出来る程度でしかない。しかし、避難先である程度の経済的自立を得た避難民達の活力は街全体の雰囲気を活発にしていた。


 また、そんな避難民やストラ在住の人々の心の拠り所として、或る人物が大きな役割を果たしていた。ユーリーはふと思い立って、その人物と面会するため街の外れに建てられた「救護院」へ足を向けていた。


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「久しぶりだね、姉さん」


 救護院の建物の奥にある一室、そこでユーリーは双子の姉リシアと再会していた。リシアは普段ならば就寝している時間であるが、この日は寝間着に着替える事もなく、突然だったユーリーの訪問をまるで待っていたかのようであった。


「元気そう……じゃないわね、リリアと喧嘩でもしたの?」


 顔形がそっくりの二人であるが、ユーリーの目には再会した姉が幾らか大人びて変わったように見えた。以前はどこか儚げな美しさを持っていた風貌には自信と生気が共存しており、元は抑揚の乏しかった口調もそれに応じて変わっている。恐らくイナシア・アートンの影響を大きく受けているのだろう。ただ、相手の内心を見透かしてしまう洞察力は相変わらずであった。


「喧嘩……ではないんだろうけど……」


 内心を見透かされたユーリーは、観念したようにこれまでの経緯を姉へと語った。デルフィルでリリアが姿を消した前後の遣り取りや、その時自分が考えていた事を話すユーリーの声には自分に対する自責と後悔が満ちていた。


「そうなの……」


 一方、そんな弟の力ない言葉を聞くリシアは粗方語り終えたユーリーに優しく相槌する。


「嫌われちゃった、だろうね」

「……私にはそういうの・・・・・は分からないわ、でも――」


 男女の機微に関する見識、という分野でリシアには語るべき言葉がない。彼女自身は周囲が微笑ましく、また少しもどかしく感じるような愛情をレイモンド王子と育んでいる。だが、それだけの経験を以って物知り顔をするようなリシアではない。


 そんなリシアだが、男女の機微以外の部分では不思議と分かる事があった。それは、


「心配いらないわよ」

「どうして?」

「あなたとリリア、二人の行く道は必ず先で一つになる」


 まるで占い師のような事を真顔で言う姉に、ユーリーは思わず笑ってしまった。リシアの言葉を、自分を元気付けるための方便だと受け取ったのだ。


「ハハハ、姉さんがそんな気休めを言ってくれるとは思わなかった、でもありがとう」

「あら、気休めじゃないわ」


 しかし、自分の言葉を「気休め」と受け取られたリシアは納得がいかないように少し口を尖らせると、ふと何かを思いついたように立ち上がった。


「おまじないをしてあげる」

「え? パスティナの聖女様がおまじない?」

「そう、必ず会えるおまじないよ」


 少し茶化すようなユーリーの言葉だが、対するリシアは真剣そうな表情で言うと俯き加減で自分の襟元に手を差し入れる。肩の下で切り揃えられたユーリーと同じ黒髪が揺れて、白いうなじが一瞬垣間見える。その動きを目で追っていたユーリーは、立ち上がっても小柄なリシアが差し出した手の中の物に視線を落とした。


「これは?」

「あなたの持っていた物と対になるネックレス」

「そうか……姉さんも持っていたんだ」


 リシアの掌には半月状に欠けたペンダントヘッドを備えたネックレスがあった。細かい意匠はユーリーが持っていた物と酷似しているが、ユーリーの物が下弦の月ならばリシアの物は上弦の月を象っている。


「これを持っていたから私とあなたは出会えた、そう思えば『おまじない』になるでしょ」

「……なるほど、でもいいの?」

「いいわ……持って行きなさい」


 リシアに言われるまま、ユーリーはネックレスを首に掛ける。久しく無くなっていた感触が肌着の下で感じられた。


「ありがとう、信じるよ」

「大丈夫よ、必ず会えるわ」


 不思議と姉の言うおまじないを信じる気持ちとなったユーリーは、その後彼女に急かされるようにして「救護院」の建物を後にした。既に深夜に近い時間だが、ふと見上げる夜空には普段よりも茶色味を帯びた月があった。


「ハシバミ色の月……か」


 ユーリーの声は冷たさを増した秋風によって海の方へ運び去られていった。


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