Episode_25.18 お説教


 ユーリーが塞ぎ込んで見えるのは、なにもリリア絡みの事だけが理由ではなかった。難しい決断を悩みつつも見事に下したレイモンド王子と、私的な感情で大局を見誤り捻じ曲げようとした自身との対比もまた、彼の感情を鬱屈としたものにしていた。人間としての「格」の違いを見せつけられたようで、その事が二十二歳の青年には堪らない敗北感を与えていたのかもしれない。


 一方、そんな彼と食卓を囲む面々は自然と言葉少なに過ごすことになった。特にアルヴァンは何度か言葉を発しかけるが、寸前のところで口を噤むという事を何度か繰り返していた。


実は今回の襲撃作戦を実行する部隊にアルヴァンは組み入れられていない。当然といえば当然なのだが、危険な作戦に身を投じることは彼の身分と立場が許さない。アルヴァン自身もその分別はわきまえている。そのため、彼はやや悔しい気持ちを押し殺しつつも、会食後はこの夜の内にストラを出発しデルフィルへ向かうことになっている。


 そんなアルヴァンがこれから危険な任務に向かう親友達を気に掛けない訳はない。特に、沈んだ表情のままのユーリーには、その理由が思い当たるため、何か言葉を掛けようと何度も試みている。だが、結局アルヴァンは言葉を口に出すことが出来なかった。


(今更になって、こうも立場の違いが気になるものか……)


 アルヴァンが口を噤む理由はこのようなものであった。彼は生まれた時からリムルベート王国の三大侯爵の一角、将来のウェスタ侯爵としての教育を受けている。そのため、彼の考え方はより大局的なものの見方と、取捨択一的な選択に親しんでいる。それは、裏を返せば身近にある大切な存在でも場合によっては見捨てる、切り捨てることを是とする考え方だ。この場にいる彼以外の面々、ユーリー、ヨシン、そしてデイルには本当の意味で理解できない考え方である。


 生来聡明なアルヴァンには、その違いがよく分かっている。そして、ユーリーにとってのリリアを自分にとってのノヴァや小ガーランドに置き換えて考えることが出来る。そのため、


(ユーリーの立場ならば自分もそうする)


 といった言葉が喉元までこみ上げる。だが、相手はユーリーである。いくら親友だといっても、各自の立場の違いと、そこから生じる思考と判断の違いは十分に理解しているだろう。そうであるからこそ、アルヴァンが呑み込んだ類の言葉は陳腐で慰めにもならないのだ。


「……」


 結局、上手い具合の言葉が見つからないアルヴァンは、視線をヨシンに送る。幼馴染として付き合いの長いヨシンならば、という意味合いの視線である。だが、一方のヨシンは粗末な夕食に集中しているのか、アルヴァンの視線に気付いていない。その様子にアルヴァンはテーブルの下でヨシンの向う脛を蹴ろうとするが、その試みは途中で止まった。意外な人物が声を発したのだ。


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「ユーリー、落ち込むのも程々にしなければ……部隊の士気に響く」


 そう声を発したのはデイルだった。これまで黙々と食事をするばかりだった彼の言葉はある意味正論だった。というのも、ユーリーは二隻に分かれて出撃する襲撃隊の一つを指揮する隊長に任じられているのだ。


 今回の作戦で準備された二つの襲撃隊の内、ひとつはブルガルトが指揮し、「暁旅団」や「オークの舌」といった傭兵団の精鋭で占められている。そしてもう一方の隊はコルサス王子派の騎士や騎兵、精鋭兵で占められており、この隊の指揮を務めるのがユーリーなのだ。因みにリムルベート王国の騎士としてヨシンやデイルを始めとした少数の精鋭もユーリーの隊に加わることになっている。


「危険な作戦だ、指揮官の雰囲気に皆敏感になっている――」


 難しい表情で語られるデイルの言葉に、ユーリーは身動みじろぎで反応した。だが、顔を上げるまでには至らない。


「百人程度の部隊だ、指揮官の顔はよく見える。決死の作戦に於いて、全員が一致協力して全力を尽くすには、まず士気が――」

「わかってます!」


 困難な作戦に於ける士気の重要性を説くデイルの言葉を、これまで顔を伏せていたユーリーは声を荒げて遮った。大きな声が室内に静寂を呼び込む。


「……分かっているんです……でも、僕はデイルさんやハンザ隊長のように強くない」


 静まり返った室内に呻くようなユーリーの言葉が流れる。それは、何故かこの場所にいないデイルの妻ハンザの名前までも引合いに出すものだった。だが、一見場違いのように聞こえる言葉に、室内の面々はその意図を理解していた。それは、


「小滝村の時よりも危険な任務に、逃げ場のない海の上の戦いにとてもリリアを一緒に連れていけない……だから……だから、僕は作戦そのものを止めさせようと考えたんです」


 というものだ。リムルベート王国内、ウェスタ侯爵領で発生したオークとの闘い「小滝村の戦い」はもう随分と昔の出来事のように感じられるが、あれが初めて経験する本格的な戦争だったユーリーには強く印象に残る出来事だった。そして、その出来事を潜り抜けて振り返ったとき、当時十五歳の少年兵では分からなかった事、見えなかった事に気付くこともあった。


 第十三小隊ハンザ隊長と副長デイルに関する機微もそのような事の内の一つである。当時の二人の恋仲は、既に隊の中では周知の事実であったしユーリーも心得ていた。そんな二人が率いる第十三小隊に、オークの陣地と化した小滝村の背後へ回り陽動攻撃を仕掛けるという「決死の作戦」が命じられた時、二人は敢然と部隊を率いて作戦を成し遂げた。同じ隊だったユーリーにはそんな二人の姿が頼もしく映ったものだ。


 だが、今になって思えば、デイルとハンザの間には人知れぬ葛藤があったのだろうと想像できる。そして、その葛藤を乗り越え二人揃って戦場へ赴いた決意に、ユーリーは剣の技術や指揮の巧みさといった分かりやすい強さ以上の「人間的な強さ」ともいうべきものを感じていた。全く同じとは言えないが、愛し合う者同士で戦場に立つということを考えるとき、ユーリーは自分とリリアを当時のデイルとハンザ隊長に重ね合わせて考えてしまう。そして、同じ結論に至れないと自覚した時、その差を評して「デイルとハンザ隊長ほど強くない」という言葉になったのだ。


 一方、ユーリーに苦言を呈したデイルは思わぬ言葉を聞いて直ぐに言葉を返せなかった。デイルとしては、ユーリーに指揮官らしく振舞うように釘を刺すつもりでの発言であり、決して彼の抱える悩みに足を踏み入れるつもりはなかった。また、デイルの知る限り聡明で理知的なユーリーならば、その意図を理解してくれるとも考えていた。だが、実際には思いもかけない返事が返ってきた。しかも、その内容は自分と妻ハンザに関する事柄であった。


(……考えてみれば未だ二十二か……あの時の俺やハンザよりも若いのだからな)


 若いからこそ、全ての思考や判断が愛する者に結び付いてしまう。デイルにも身につまされて覚えのある青い感覚だ。


歳上面としうえづらをしておくべきか……)


 会う度に成長を遂げているユーリーだからこそ、デイルはいつの頃からか余り歳の差を意識していなかった。だが、ここにきて青っぽい言葉を吐く青年に、デイルはいつかの少年兵の姿を重ね合わせていた。「騎士になりたい」としつこく稽古を迫り、打ち倒される度に強くなる、ヨシンもそうだったが、ユーリーも同じだった。


「俺とハンザと、お前では立場が違う。俺達は騎士で、仕える主と守るべき領民がいた。それでも逃げ出したいと思った。だが、逃げられない立場があっただけだ。お前が思うほど立派なものじゃない」


 口にしてしまえば身も蓋も無い事だが事実だった。最も危険で困難な任務を最も力のある者に厳然と命じた主、死力を尽くして命令に応じた騎士と兵士、それだけの構図だ。


「俺達騎士は主の求めに応じて力をふるう。命じられたまま行った結果がどうであれ、その結果に責任を持つのは命じた主だ。お前がウェスタに残らないと聞いた時、きっとそんな騎士になるのが嫌なんだろうと思ったよ」


 今度はデイルの低い声が、ユーリーに語り掛けるように室内に響く。


「お前は自分の意思でこの戦いに関わっている。自分で考え、選択し、行動している。それだからこそ、お前はそれら全てに責任を持たなければならない」


 デイルの厳しい言葉にユーリーが顔を上げる。だが、その先にユーリーが見たものは、言葉通りの厳めしい表情ではなく、歳の離れた弟を見守るような視線だった。


「全て自分で決めるならば、後悔することも多いだろう。だが、それを人に悟られてはいけない……わかるな?」


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