Episode_25.17 状況展開


 レイモンド王子決断は、正しく速やかに、そして本当の意味を隠したまま実行に移された。


 ――デルフィルの危機に対し援軍の増援を行う――


 という報せは、それに先んじてディンス入りしたユーリー達の存在も手伝い、真実味を増して全軍に伝えられた。外見上は、デルフィルへ送った部隊の指揮官であるユーリーや王子派軍の重鎮である魔術騎士アーヴィルが、レイモンド王子に援軍増援を直談判したように見えたのだ。


 ただし、その急な援軍増援決定は、戦力を引き抜かれる格好となったディンス防衛、特にディンスの住民らによって構成される衛兵団や自警団内部に少なくない動揺を与えた。野火が燃え広がるように不安や動揺が広がる状況に、ディンス防衛の指揮にあたるマルフル将軍は、


 ――ダーリア駐留の民兵団をディンス防衛に増派する――


 という説明を行い、事態の収拾を図った。しかし、正規兵である西方面軍の騎士や兵士と比較すれば、自分達とさほど差の無い民兵団の兵士達は心許なく感じられたのだろう。結局衛兵団や自警団に広がった動揺や不安を払しょくするには至らず、最終的にはレイモンド王子自らが、


「アートン城の中央軍本隊から増援をディンスに送る。そしてこの私はディンスから動かない。この街の守りをおろそかにするものではない」


 と声明を発し、事態はようやく収拾されたのだ。


一連の出来事はレイモンド王子の決断から数えて実に一日半の間の出来事である。その間、ディンス防衛力の大部分を占める元住民の兵士達は大きな不安に晒され、王子派軍首脳陣は二度も声明を出して事態の収拾に努めた。全体として士気が高く、内部の統制が取れている王子派軍としては珍しい「綻び」が垣間見えた出来事であった。


 レイモンド王子側としては思いもかけない事態の展開であったが、その事態を別の目的を持って見守る者達の目にはどう映ったのだろうか? 街に入り込んでいた四都市連合の間者達は、にわか・・・に足並みを乱した王子派軍の様子と、その原因となったデルフィルへの援軍増援の決定を逐一沖合の軍船団に伝達していた。


 ――王子派軍、デルフィルへ増援決定――


 ――ディンス防衛力減衰、士気低下による混乱の兆候あり――


 ――後方戦力投入を決定、四日後から暫時戦力が到着する見込み――


 「双身の石板」という特殊な魔術具を介して伝えられたそれらの情報が、デルフィル湾洋上に留まる四都市連合軍船団の次なる行動を促すのは確実であった。


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アーシラ歴498年10月1日


 沖合の四都市連合軍船団、その旗艦である二隻の大型帆船「海魔の五指」と「カルアニス」を襲撃するというブルガルトの作戦は着実に準備が進行していた。襲撃を実行する二百人の選抜は既に終えられており、今はストラの街に待機している。作戦開始の寸前まで、その意図を秘匿するための偽装であった。何処に潜み、紛れ込んでいるか分からない四都市連合の間者の注意を惹かないためには、ディンスからの避難民で一時的に混沌とした様相を呈するストラの街は都合が良かった。


そんな襲撃隊の「足」となる二隻の小型帆船もストラ近郊の漁村に係留され出撃の準備を整えている。一隻はアント商会スカース・アントが提供した小型快速帆船。そしてもう一隻は先の沿岸部襲撃事件の際に王子派が接収した南方様式の小型帆船だ。それらは、目立たないように黒染めの帆に張り替えられ、沖へ繰り出す時を静かに待っているようだった。


 一方、「目」を担う者達は数日前に沖合の軍船団の位置を特定し、この情報をブルガルトの元へ届けていた。しかし、彼らの役目はそれで終わりではない。今も変わらずにストラ近郊の漁村に留まり、発見した軍船団の動向に注意を傾けて続けている。というのも、五十を超える櫂船に護衛されている船団の旗艦を叩くには、旗艦と櫂船集団が別行動を取り、旗艦が孤立する状況が必要だからだ。


 旗艦が孤立する状況は櫂船集団が陸上への攻撃を期して行動している間に訪れる。しかし、その状況が続く時間は限られている。船団の位置から考えて、その状況は長くて一日、櫂船集団と旗艦が何等かの魔術的な情報伝達手段を備えている場合は半日から数時間に限られると見込まれていた。限られた時間を有効に活用するため、「目」を担う者達は断続的に沖合の軍船団の動向を注視する必要があった。櫂船集団が陸上攻撃に移る様子を察知し、速やかに作戦を開始させるための伝達を行うのが、今の彼らの任務である。


 また、沖合の軍船団が櫂船集団を出撃させる切っ掛けとして用意された状況も準備が整っていた。デルフィルにはリムルベート王国海軍に偽装した、河川用櫂船の集団が姿を現している。その一方、彼らの真の目的であるディンスからは防衛戦力が一時的に引き抜かれた状態だ。


 様々な準備が着実に進んでいる。それは、


「テーブルの上に料理が運ばれ、給仕によって取り分けられた。これを食べない奴はよっぽどの変わり者だ」


 と、いみじくもヨシン・マルグス子爵・・が言うような状況であった。


「しかしテーブルの料理は肉と魚、願わくは両方同時に手を付けてほしいところだな」


 とは、ウェスタ侯爵公子アルヴァンの言葉である。肉と魚、とはデルフィルとディンスのことであろう。公の立場としてアルヴァンが発した言葉ならばやや軽率と受け取られ兼ねないが、この場には数人の気心が知れた面々しかいない。


「肉と魚か……俺たちは芋と干し鱈だけどな」


 ヨシンはアルヴァンの言葉を受けて冗談じみた風に言うと、テーブルの中央に置かれた木皿に盛られた料理 ――まさに芋を干し鱈の塩気だけで茹でたもの―― を豪快に木匙で抉るように掬い取り、そのまま口に放り込む。相変わらずな行儀作法に、アルヴァンは何か言いかけるが、言っても無駄だと思ったのだろう、代わりにテーブルを囲むもう一人に話を振る。


「まったく……ちゃんと取り分けてから食べろよ、なぁユーリー」

「……え? あ、あぁ……」


 だが、不意に話しかけられたユーリーの返事は虚ろなものだった。


 彼ら三人組は、今ストラの衛兵団詰め所に用意された一室で夕食を取っていた。ユーリー、ヨシン、アルヴァンの他には、騎士デイルが同じくテーブルを囲んでいるが、彼は三人の若者の他愛無い話に加わることなく、黙々と食事を続けている。


 準備された食事は戦時下らしく、ヨシンが言った通りの芋と鱈の煮込みと量が多いばかりで食感の悪いパンである。それにワインを付けてくれたのは、ストラの衛兵団がリムルベート王国からやってきた二人の貴族・・・・・に気を遣った証拠であった。


「どうした? 心ここに在らず、だな」

「そ、そんなことは無いよ」


 アルヴァンの指摘を否定するユーリーだが、彼の様子は昨日、丁度レイモンド王子が作戦協力を決断した時から、同じようであった。何かを悩むような、又は後悔するような、とにかく快適な様子ではなかった。そんなユーリーの様子なのだが、流石に付き合いの長いヨシンとアルヴァンは何となく察していた。


「今出来る事以上の事を思い悩んだって仕方ないぜ……ほら」


 芋の塊を呑み下したヨシンは、そう言うとワインの壺に手を伸ばす。そして掴み上げた注ぎ口をユーリーに向けて促すような仕草をした。


「……分かっているんだけど……ね」


 杯を持ち上げ、注がれる暗赤色の液体を見つつ、ユーリーの返事には力がなかった。


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