Episode_25.16 決断


 ディンスの街はデルフィル湾東岸随一の規模を誇る港街である。内戦以前の世に於いては、コルサス王国王都コルベートへ乗り入れる内航船への物資の中継基地、又は四都市連合やデルフィルの交易船の停泊地として栄えた街であった。


 しかし内戦が始まってからは、その規模と天然の要害たる西トバ河の北側に位置する立地により、ディンスの街はしばしば戦火に晒されることとなった。特に王弟派から見れば、攻めにくい東のリムン砦と比較して、長大な河沿いの殆どが平地や森となっているディンスの方が攻め易い。そして何より王子派領の経済の中心地であるディンスを抑えることが出来れば内戦の行方は一気に王弟派に傾くものと思われていたからだ。


 そのような背景があり、今から六年前に起こった王弟派の総攻撃によりディンスの街は一度陥落している。それから四年間、レイモンド王子が王子派領の実権を掌握しディンスを奪還するまでの間、街の住民は王弟派の(というよりも、スメリノ王子の個人的な)暴政に晒されていた。たった数年前まで街を苛み続けた記憶は今も人々の脳裏に強く焼き付いている。そのためだろうか、再び戦火が迫りつつあるディンスの人々は、自らと家族、そして財産を守るため、積極的に行動していた。


女子供や老人達は北の街ストラへ逃された。そして残った壮健な者達は我先にと衛兵団の志願者募集に殺到した。その結果、受け入れ側の衛兵団の対応が追い付かない事態となると、溢れた者達は進んで自警団を結成し、衛兵団と協力する体制を築きつつあった。西方面軍のマルフル将軍や副官オシアの抜け目ない手配りである。その結果、ディンスの街は日を追うごとに緊張感と防衛力を高めていくことになる。


 その様子を、ディンスの街に入ったユーリー達は肌で感じていた。何処となく、外敵からの攻撃を他人事のように考えるデルフィルの街の人々とは明らかに雰囲気が異なっていた。


(戦火に晒された経験の差か……良いや悪いでは測れない違いだな)


 そんな風に二つの都市の対応の違いを評価するユーリーの目の前には荷車の列があった。先の戦いにおける王弟派の失敗 ――防衛拠点への食糧備蓄不足―― を考慮したマルフル将軍が港の倉庫に備蓄されていた食料を運び出すように命じたのだ。自警団によって港の倉庫から運び出された食料は荷車の列となってディンス城塞やコモンズ砦と呼ばれるようになった東の砦へ伸びている。その列を追い越すようにユーリー達は城塞へ入っていった。


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 ディンス城塞は街のほぼ中央、西トバ河を見下ろす小高い丘の上に建っている。一重の城壁に守られるのみであるが、その威容は王子派領内随一の人口を誇る街の城塞らしく立派なものである。


二年前のディンス奪還作戦に於いて、王弟派第二騎士団将軍オーヴァンが部下達と作戦を議論した大部屋には、王子派の主要な面々とリムルベートからの先遣隊の一部、そしてデルフィル施政府に雇われた傭兵の姿があった。


「先駆けの報せにより概要は理解しているつもりだ」


 ユーリーやアーヴィル、ダレス達騎兵に対して数か月に渡る任務をねぎらった後、レイモンド王子は数年ぶりに再会したヨシンや、アルヴァンと言葉を交わした。しかし再会を喜ぶような場面でないことをまきまえているレイモンド王子は、ユーリーに対してそう言うと、視線をブルガルトへ向けた。まるで問いかけるような、または見極めるような視線であった。


「状況は、目に見えるままデルフィルを狙った作戦ではない、ということを教えている。しかし、信じるかどうかはそちら・・・次第だ」


 碧眼から放たれる視線を物ともせず、「暁旅団」の首領は淀みなくそう言った。あれこれと説明しなければ分からない相手ならば、そもそも最初から理解は得られない。そんな風に割り切ったのだろうか? ブルガルトは状況の再説明を行うつもりはないようだった。


対して、レイモンド王子は視線を宙に外すと、しばし考えるように瞑目する。彼としては難しい決断だった。


 ――ディンスの兵を一時的にストラへ動かす――


 ユーリーが送った先駆けの使者がもたらした書状にはそう書かれていた。王子派がデルフィルからの援軍要請を受け入れ兵を割いた風に見せかけるための一手ということだ。洋上に留まる船団の旗艦を叩くためには、どうしても四都市連合側に「ディンス攻撃」の契機を与える必要があった。


だが、その一手は結果としてディンスの街へ敵の攻撃を呼び込む格好となる。防備を固めつつあるディンスだが、実際に戦いが起これば必ず犠牲者が出る。その犠牲者には、今は自警団や衛兵団に志願しているが、本来ならば無辜の民といえるディンスの住民が大勢含まれることになるだろう。その事がレイモンド王子を躊躇わせる。


(しかし、デルフィルを巡る状況によって既にトトマやストラ、ダーリアへ流入する物資は影響を受けている……このまま放置すれば、時が経つに従い状況は悪化するか……)


 将来生じるかもしれない大きな損害を防ぐため、今に犠牲を求める。片や将来の予想であるのに対し、もう片方は限定的ながら確実に生じる犠牲だといえる。理屈で言えば将来生じるかもしれない大きな損害に対する手立てとして、行動に移すのが正しい判断だろう。だが、確実に生じる犠牲を考えざるを得ないのがレイモンド王子だった。


 無言で考えを巡らせるレイモンド王子。その様子に答えを急かす者はいなかった。マルフル将軍、ロージ団長、魔術騎士アーヴィル、そしてユーリー、更にはヨシンやアルヴァンも、皆がレイモンドの沈黙の正体を知っている。


(難しい判断だ……)


 レイモンド王子の沈黙を見守る間、ユーリーは内心でそう呟いた。万の被害を防ぐため千の損害を甘んじて受ける、レイモンド王子に求められる決断とはそのような性質のものだった。しかも、その決断が必要となる作戦とは、ユーリーがたった一人の女性リリアのために止めさせようとまで考えた作戦であった。


(……僕には出来ないよ)


 親友とも思う王子の葛藤と、自分自身が経験した葛藤を対比したユーリーは、不意に自分がひどく小さな人間に思えてきた。たとえ大切な存在だとはいえ、たった一人の人間と大勢の人間を秤にかけ、いや、実際は秤にかけるほどの思考もないまま、全部を否定したのはユーリー自身だ。


(もしも、あの時の僕の考えにリリアが気付いていたら……愛想を尽かされても仕方がないか)


 恋人が姿を消した理由が「ノーバラプールの知人を見舞う」という書置き通りではないと直感しているユーリーは、不意にそのような考えに行きついた。自分がどうしよもなく馬鹿な事を考え、愚かな選択をしようとしていた、と今更ながらに気が付いたユーリーは身悶えるような後悔を感じた。


「……是非は無し……か、分かった協力しよう。明日、西方面軍の一部をストラへ下げる。マルフル将軍、人選は任せるが、皆には『デルフィルへの緊急の援軍』と周知してくれ」


 不意に起こった後悔の念に心を奪われたユーリーを後目に、レイモンド王子は力強くそう答えていた。


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