Episode_25.15 探し出す者、見失う者


 夏の暑い最中にコルサス王国王子派領を後にしたリリアは秋風がそれと分かる涼しさを運ぶ季節に再びこの地に戻っていた。数日前にデルフィルを旅立った後、彼女と「オークの舌」の首領ジェイコブを始めとする精霊術師一行が歩んだ道のりは、終始海岸線からデルフィル湾の沖合を窺うものだった。沖合のどこかに留まる「四都市連合の軍船団」の位置を探る探索の旅である。


 最初は岩がちな断崖であったが、トトマの南西を過ぎストラに差し掛かった今、周囲の光景はなだらか・・・・に続く砂浜へと変わっている。一定の間隔で繰り返す波音、午後の遅い時間の砂浜には彼女達以外に人影は無く、ただ、近隣の漁師村の小さな漁船が放置されるように浜に上げられているだけだ。


この日、リリア達一行は前もってデルフィルのブルガルトが発した伝書鳩による報せ ――アント商会の船乗りによる大まかな位置の推定―― をストラで受け取ると、ようやく効果的な探索・・・・・・を行うことが出来た。この日までは、ただ闇雲に明確な目標もなく、風の気配と上空のヴェズルの視界を頼りに、広大な海原を探すしかなかった。しかし、真新しい海図に朱書きで記された領域は、喩えそれが差し渡し百キロ弱はありそうな歪んだ楕円であっても、彼女達の士気を高めるものだった。


「……」


 今、リリアはやや南西側の沖を半眼で見つめて無言を保っている。但し、その優美な眉を結ぶ眉間には似合わない皺が刻まれ、時折吹き抜ける涼しい秋風にも関わらず額にはじっとりと汗が浮かんでいた。それはヴェズルとの感覚の共有が、彼の成長に従い難しくなっていることを現す現象だった。既に若鷹と呼べないほどに成長したヴェズルとの感覚や意識の共有は、彼の自我の発達とともに飛躍的に困難さを増している。


 その兆候は今年初め、燃え上がるトリムの街からの脱出劇で既に現れていたが、それから一年も経たない内に、更に困難さを増している。今ではリリア側の魔力が充実している状態であっても、頭の中に重く響くような疼痛が常に現れ、断続的な嘔吐感が彼女を苛むほどだ。そして、その感覚は当然のごとくヴェズルにも伝わる。ヴェズルとしては、いくら成長したといっても、リリアの存在は変わらず母である。嘗ては庇護を求め甘えるだけの存在であったが、今はその苦痛を思いやる心が芽生えている。


(母さん、大丈夫?)


 リリアの脳髄に直接響くヴェズルの意思は、いつの頃からか青年の声音を帯びて感じられるようになっていた。


(大丈夫よ、それより何か見つかった?)

(……今のところは……あれ?)


 リリアの問いに答えるヴェズルは、一度眼下の大海原を見渡すように視線を巡らせる。その時、南の端で何かがキラリと光った。ヴェズルはそれを不審に思い、一瞬の反射光の出どころを目指して大空を翔る。空の低いところに浮かぶ薄い雲を飛び越し、午後の西日を照り返す海面が迫る。やがて反射光を発した物体を海面に発見した。


「やっと見つけたわ」


 ヴェズルの視界の中には、二隻の大型帆船、六隻の中型帆船、そしてそれらを取り巻くように海面に浮かぶ無数の櫂船からなる軍船団の姿があった。二隻の大型帆船の帆柱の上には、紛う事無き「四都市連合」の旗が緩い風を受けてなびいていた。


「ユーリー……」


 ほんの一週間ほどの探索行だが、大海原では芥子粒同然の船団を探すという途方もない任務を完遂したリリアは、ほっと溜息をつく。その息は恋人の名となって吐き出されていた。


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彼女が終えた任務は全ての始まりでしかない。その全てが終わるまで、つまり、デルフィル湾に留まる四都市連合の軍船団に対する作戦が終わるまで、リリアはユーリーの前では正体を隠し続けるつもりだった。それは彼女特有の決意、つまり、


(貴方は正しいと思うことをして……私のせいで判断を間違えないで)


 という思いから生じた行動だった。


 あの夜、スカースの屋敷で行われた話し合いを別館にいたリリアは風の精霊を通じて聞き得ていた。帰りが遅いユーリーを心配する気持ちと、屋敷の周囲に不審な気配を感じたことが理由で、風の精霊を使った小範囲の探索を行ったのだ。その結果、風の精霊の囁きウィンドウィスパは激高する恋人ユーリーの声を彼女に伝えた。


(……貴方が私を大切に思ってくれるのと同じだけ、私も貴方のことが大切なの)


 その時のユーリーはブルガルトが発案した作戦に対して声を荒げて反対していた。彼にしては珍しい反応だった。だが、その理由がブルガルトの作戦に於けるリリアの役割とその危険性にあると知った時、彼女は嬉しさと共に言いようの無い悲しさに似た感情を得ていた。


(守られるだけの女ではなかったつもりなのに)


 それは悲しさというよりも失望に似た感情であった。その後部屋に戻ったユーリーが全てを話さず、嘘をついて隠すような言動を行ったことが彼女の失望に拍車を掛けた。だが、その失望はユーリーに向けられることは無かった。あくまで彼女らしく、その感情は自分自身へと向けられたのだ。自分のせいで恋人が判断を誤るくらいならば、いっそ自分の存在など無くなってしまえば良い。判断に影響を及ぼさない場所まで遠ざかったと思われれば良い。今の彼女はそう考えていた。


「……だけど、寂しいわね……」


 呟くリリアは、襟に手を差し入れて胸のペンダントを触る。半月状の端面は、まるで欠けた相手を探すような形状をリリアの指に伝える。それが、今の自分自身やユーリーのように思えてしまうリリアであった。


「おーい、お嬢ちゃん。どうだい、見つかったか?」


 遠くから、彼女の名を呼ぶジェイコブの声があった。リリアは呼びかけに答えるため、後ろを振り返る。ひと際冷たい秋風が、その瞬間に吹き抜けていた。


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アーシラ歴498年9月末日


 王弟派内部に起こった重大な異変を知る由もない王子派領の人々。その内、西側で王弟派支配地域と接するディンスの街には戦いの炎が迫っていた。


街の南側、タバンに続く平原には王子派第一騎士団分遣隊三千五百と四都市連合傭兵軍五千余を合わせた九千近くの大軍が迫っている。この年の夏前、タバン北部に王子派が設置した「ノルバン砦」を急襲した彼らは、そのまま前線を押し上げるようにしてディンスに迫っていた。


対して、ディンスの街の守りを固めるのはマルフル・アートン将軍率いる王子派の主力、西方面軍三千を中心としてディンスの衛兵団や遊撃兵団を加えた軍勢だ。「ノルバン砦」を攻撃された際に、西方面軍マルフル将軍はこれに抗戦することなく、部隊を速やかにディンスへ後退させていた。その結果、一時タバン近郊まで迫っていた王子派の勢力はディンスまで押しやられる格好となったが、貴重な戦力は損なうことなく保たれていた。


 にらみ合う両者の距離は約二キロ半、まさに一触即発の状況だ。しかし、実際にはにらみ合うばかりで、大規模な戦闘はこれまで発生していない。それは、両軍の間を隔てて流れる西トバ河によるものだった。この季節、一年で最も水量が少ない西トバ河だが、その川幅は一キロに及ぶ。その滔々たる水流が両軍の直接対決を妨げていた。


 そんなディンスの街に、デルフィル援軍指揮を任されたユーリー・ストラスがリムルベートの騎士やデルフィルの傭兵達を伴って帰還したのは、昨日の事だった。


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