Episode_25.14 無明衆と猟兵


「全員集まったな」


 宿屋の食堂には百人弱の猟兵が集まっている。彼らの内、幾人かは宿屋の建物や敷地内に手早く火を放ち食堂に戻ってきた。言うまでもなくレスリックの指示である。その意図は包囲を済ませ攻撃に移る敵の気勢を削ぐことだ。また、宿屋内での戦闘を期していた敵に対して揺さぶり・・・・をかけることで、正体不明の敵の力量を推し量る意味もあった。


「――、構わず接近してるわ。数は西が百五十、東は五十程度、東の方が手薄よ!」

「そうか……流石だな」

「ちょっと、敵に流石だなんて!」


 一方、風の精霊の力を借りて周囲を索敵するニーサは父レスリックの感心したような言葉に噛みつく。しかし、直ぐに別の仲間の精霊術師の言葉に息を呑んだ。


「東の方が手薄に見えますが……坂の下に伏兵が百ほどいますな。主上、東側の道は罠です」

「ということだ、ニーサ。もっと技を磨け」

「……はい」


 ニーサが探知した敵の布陣は正しかったが、結局それは敵が配した罠であった。その事実を知らされたニーサはムッと言葉を飲み込むと小さく唸るように返事をする。反論できないのは、自らの過ちを理解したからだった。


 「懐かしの我が家」亭が建つ街の東の丘には、街中から伸びる二つの道がある。一つはターポの港湾地区を通り城塞の方へ続く西側の道。そしてもう一つは南トバ河に沿うように街の外周を回る東側の道だ。その二本の道の内、敵は東側をわざと手薄にしたうえで、道の先に伏兵を配置している。明らかに東側に誘う意図を持った兵の配置であるが、猟兵側の心理状態と彼らを取り巻く状況を考えれば巧妙な配置といえる。


 ライアード王暗殺の嫌疑がガリアノ王子にかかっていることは火を見るよりも明らかな状況だ。本来ならば両者ともに葬り、その後「死人に口なし」とばかりに国王暗殺の容疑をガリアノにかけるという筋書きだろうが、とにかく、ガリアノ王子の潔白を主張して聞き容れられるような状況ではない。そのうえで、ガリアノ王子と関係が深い猟兵達の元に包囲の手配りが為されたとなれば、包囲された猟兵達は当然のごとくターポの街中にいる王弟派の兵が自分達に敵対していると考えるはずだ。その状況ならば、人気ひとけが少なく騎士や兵士たちの密度が薄い街の外周に続く東の道を脱出経路に選ぶというのは自然な選択といえる。


(こちらの心情を読んで配置するか……中々やるが、かえって手が込み過ぎだな)


 だが、南方アルゴニア帝国に「無明衆」がいるように、コルサス王国には「王の隠剣」たる猟兵がいる。彼らもまた、長く続くコルサス王国の歴史の中で人知れず王家のために働いてきた者達だ。窮地に陥った際の胆力は並大抵ではない。


(城塞の騎士団や四都市連合の傭兵達が既に状況を知りえているならば、なにも東へ誘導する必要はない……無明衆の単独行動、ということか?)


 宰相ロルドールと四都市連合の間にライアード暗殺を巡る思惑の齟齬が生じているならば、無明衆の単独行動にも説明がつくとレスリックは考えた。全ては曖昧で不明確な推測でしかない。だが、それを理由に判断を保留することはできない。迅速で最適な決断こそがこの状況を打開できるのだ。


「全員、西側の包囲を破り街中へ逃れる!」

「応っ!」


 レスリックの号令に、集まった猟兵達は迷いの無い声で答えていた。


****************************************


 宿の建物を飛び出した猟兵達は、敷地の外に通じる門の内西側へと殺到した。速さこそが唯一生存の可能性を高めると全員が同じく心得ていた。しかし、その様子には潰走する敗残兵のような混乱はない。炎を巻き上げる宿屋を背に、あくまで静粛に、そして何より迅速に行動する彼らは、主の命により一丸となって行動する猟兵の集団なのだ。


 果たして、的確な判断と迅速な行動は目の前で閉じかかった包囲網に突破口を見つけ出した。無明衆の撰士達が門を確保するよりも早く、猟兵達が西の門を通過したのだ。


「なに! こちらに来たか」

「陽動か?」

「いや、数が多いぞ」

「構わん、討ち取れ!」


 猟兵達を東側へ追い立てるつもりであった無明衆の撰士達は、思いもかけない猟兵の動きに動揺しつつも、彼らの行く手を遮るように展開する。物陰や道沿い建物の影から大勢の黒装束が姿を現し、猟兵達の行く手を塞ぐ。ターポの港へ通じる下りの坂道はにわか・・・に戦場の様相を呈した。


 戦いの先鞭をつけたのは突進する猟兵達だ。近接戦に優れた者達が先頭に立って進む彼らは、手に持っていた松明を闇雲に前へなげうった。攻撃ともいえない猟兵達の初手を無明衆の撰士達は余裕をもって躱す。数本の松明は火の粉を散らしながら地面に落ちた。だが、次の瞬間――


「炎よ!」

「炎渦よ起これ!」

「火精よ来たれ!」


 猟兵達の中から、ニーサを含む三人の精霊術師の声が上がった。それぞれが発する言葉は異なるが、同じ火精招来コールファイアの精霊術の発動を意図するものだ。精霊術は声を以って強化された術者の意思が精霊に対して強制力を持つことによって発現する。この場合は、地面に転がった数本の松明の炎が、同時に、まるで油を注がれた篝火のように一気に燃え上がった。しかも、その内一つは単なる火精招来の効果に留まらず、


「猛き炎と強き風よ、焼き尽くす渦を成せ!」


 という号令のような声とともに、文字通り炎の旋風となって周囲を焼き払う。十人前後の黒装束が声もなく炎の渦に飲み込まれた。そして、炎の旋風が去った後に出来上がった空白地帯に、剣を抜いた猟兵達が切り込んで行く。


炎旋風フレイムストーム……すごっ!)


 火と風の精霊に同時に働きかけることによって発現する高位の精霊術は、先ほどニーサの過ちを正した熟練の精霊術師によるものだ。凄まじい炎の明るさから、ニーサは一瞬目を背ける。それが、彼女たち三人の精霊術師にとって幸運に作用した。


「かっ、風よ!」


 炎から目を背けたニーサの視界に、物陰から弓矢の狙いをつける数人の黒装束が飛び込んできた。それらの敵ははっきりと彼女達精霊術師にやじりを向けている。その光景を見たニーサが咄嗟に強風ブローを放ったのと、黒装束達が矢を放ったのはほぼ同時だった。矢と強風が交錯した結果、矢は僅かに狙いを外してニーサ達の頭上を飛び去った。


「ニーサ!」

「大丈夫、そこに敵!」

 

 異変を察したレスリックの声と敵が隠れている場所を知らせるニーサの声。猟兵達の前列は既に無明衆の撰士達の集団中ほどまで食い込んでいる。その様子をやや後方から見ていたレスリックは、ニーサの意図を察して物陰に走り寄ると、飛び出してきた黒装束の男達三人をあっという間に斬り伏せていた。


****************************************


 ターポの港に続く下り坂の戦いは、精霊術によって機先を制した猟兵達が無明衆の包囲を突破する結果となった。そして、坂を下りきったレスリックやニーサ達の目の前に、今度は丘の上の火災を聞きつけた騎士と兵士の集団が姿を現した。後に「この時がターポ脱出で一番緊張した」とニーサが語る場面であるが、この局面を突破したのは当の本人ニーサの出まかせ・・・・であった。


「王子派の急襲部隊よ!」

「なにっ、それは本当か?」

「本当よ! 数は五百ほど、全員が黒装束だから分かりやすいわ」


 咄嗟に発したニーサの言葉に、騎士は少し戸惑ったようにレスリックの顔を見る。幸いだったのは、この騎士が嘗て第三騎士団に所属しレスリックの部下だったことだろう。


「その通りだ、我らは急襲され怪我人が出ている。一旦後方に下がって態勢を立て直す」

「わ、わかりました」

「王子派の狙いは港の制圧、もしくは焼き討ちの類だろう。城塞に増援を求める伝令を出せ、守りを固めるんだ」

「はっ、了解しました!」


 坂道をめがけて駆け去って行く騎士と兵士の集団を後目に、猟兵達は負傷兵を装いつつも粛々とターポの街を北へ進む。途中では城塞から出撃した追加の部隊とすれ違ったが、彼らがレスリック率いる猟兵達の集団を見咎めることはなかった。


 にわかに巻き起こった「王子派軍による急襲」という騒動は、ニーサが咄嗟に口走った出まかせ・・・・の割には大ごとになった。というのも、実際に黒装束の不審な兵を目撃した者が多数おり、また、同様の恰好をした焼死体が何体か見つかったからだ。そのため、ターポ城塞は翌朝夜明け前まで居るはずのない・・・・・・・王子派軍を探して街中を駆けずり回る事になった。その結果、ニーサやレスリック達猟兵は問題なくターポの街から遠ざかることが出来た。


またこの時、猟兵達には別の幸運が知らないうちに舞い降りていた。というのも、丁度ニーサの出まかせにより東の丘で起こった火災が王子派の襲撃であると勘違いしたターポ城塞が騎士や兵士をかき集めている最中、国王ライアードの急逝を報せる使者がようやくターポの街に到着したのだ。しかし、通常ならば馬を乗り継ぎ夜通し駆けて丸々一日掛かる距離を三分の二の時間で駆けて来た急使は、街中で起こった騒動に邪魔されて肝心の報せをターポ城塞のスメリノ王子達首脳陣に伝えることが出来なかった。


 結果として「王子派軍の急襲」がどうやら嘘であると分かりかけた翌早朝、王都からの急使が運んだ報せを受けたターポ城塞は書かれた内容の一つ


 ――ライアード陛下殺害の容疑により猟兵共を捕らえよ、抵抗を示すならば生死は問わない――


 という報せに地団駄を踏んだという。全ては、いち早く父や仲間達に情報をもたらすため危険を顧みず街道を進む、という決断を下したニーサの功績であった。但し、彼女がこの全容を知るのはずっと先の話である。


****************************************


 アーシラ歴498年10月初め


 この日、タトラ砦を預かっていた老将シモンは我が目と我が耳を疑ったという。


 白昼堂々と砦に接近する百人前後の敵兵士達の情報は既に斥候からもたらされていた。そのためシモン将軍はターポの街に陣取る王弟派の軍が威力偵察でも意図しているのだろう、と兵達に警戒を強めさせた。しかし、林間の街道に姿を現した敵兵の姿は、既にどこかで一戦交えてきたように疲弊しており、とても戦闘を意図したようには見えなかった。


 その様子だけでも尋常ではないが、彼らはあろうことか投降を申し入れて来たのだ。


「私の名はレスリック・イグル。この者達はイグル郷の猟兵。故あって貴軍に下りたい」


――レスリック・イグル以下猟兵九十二名の投降――


 この報せは、その端緒となった「事件」とともに、早馬でレイモンド王子の元に届けられた。だが、タトラ砦を発した早馬がアートンを過ぎダーリアに達したころ、レイモンド王子自らが士気高揚のために訪れたディンスの街は、戦いの新たな局面を迎えていた。


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