Episode_25.13 ターポ脱出!


アーシラ歴489年9月末日 


「お父様!」

「ニーサ、無事か!」


 イグル郷の猟兵達に割り当てられた宿舎はターポの街の東側、港を見下ろす丘の上にあった。元は「懐かしの我が家」亭という大きな宿屋であったが、今は第一騎士団に接収され猟兵達に割り当てられている。その宿屋の一階にある食堂で娘ニーサと再会したレスリックは、猟兵達の首領という立場を忘れて一人の父親として娘の無事を喜んだ。だが、それも束の間の事だ。すぐに普段の冷静な声色を取り戻す。


「ガリアノ様はご無事なのだな?」

「はい、アン姉さんとドリム、それにムエレ様がついています」

「ムエレ? ……割れ声のムエレ殿か?」

「はい」

「そうか……」


 ニーサの語る内容、特に「割れ声のムエレ」がガリアノ達に同行している経緯についてはすでにドリムから簡単な報告を受けているレスリックであった。親戚筋とも呼べるタバン近郊の隠れ郷で郷老の役に就いていた凄腕の暗殺者が一緒ならば、ガリアノが無事に王都を脱出できる公算は高いと考えられた。


 そのため、不安な状況の中に一定の安心を無理やり見出したレスリックは続いてイグル郷への手配りを娘に問いかけようと口を開く。しかし、ニーサが詳しい説明を始める前に、その会話は食堂に駆け込んできた配下の猟兵によって遮られた。


「報告します! 宿屋の建物が包囲されています」

「……早いな……数は?」

「巧妙に気配を消しておりますが、数は二百余り」

「尋常の兵ではないな」

「おそらく」


 配下の猟兵の報告にレスリックは一瞬考えこむ。現在ターポの街にはスメリノ王子旗下の第一騎士団分遣隊千五百とタトラ砦から撤退してきた第二騎士団二千五百、合計四千の騎士と兵士が詰めている。彼等はターポ城塞を中心として主に北の王子派軍と東の解放戦線を警戒するように配されている。また、港を中心とした地域には四都市連合が送り込んできた傭兵部隊千五百が展開している。


 一方、レスリックが率いる猟兵は百に満たない数まで減っていた。正面からぶつかれば一溜まりもない戦力差といえる。だが、実際に包囲を仕掛けてきたのは正規軍が持つ尋常の兵・・・・ではない模様だ。


(港の傭兵達の中にその筋・・・の者達……無明衆が紛れていたか……)


 猟兵達に気配を気取らせることなく包囲を達成することは通常の兵や騎士には不可能である。そのため、レスリックは現在「懐かしの我が家」亭を包囲している二百余の勢力を自分達と同等の存在、隠密行動に優れた南方の秘兵「無明衆」だと見極めていた。


「でも城塞の騎士団が動かないのは不思議よ」


 一方、この数日間を王都からの脱出とその後の逃避行で過ごしたニーサは、息つく間もなく起こる異変にうんざり顔・・・・・を通り越してやや興奮気味だった。父レスリックと多くの仲間が共にいる状況が彼女を本来の積極的な性格に戻したのだろう。そんな彼女の発した疑問は当然のものであった。


「確かに……ライアード陛下暗殺の容疑はガリアノ様にかけられ、我らイグルの猟兵も同罪と思われているだろう……」

「とんでもない濡れ衣だけど、その通りと思うわ。だからこそ、もしも騎士団がそれを知ればよそ者の四都市連合が寄越した『無明衆』なんかに私達の対処を任せたりしないでしょ」

「そうだな……」


 娘ニーサの疑問を聞くまでもなく、レスリックも状況の不審さを感じていた。


(王宮……いや宰相ロルドールと四都市連合の間で何等かの齟齬が生じているのか? ならば)


 宰相ロルドールの内心も、四都市連合の軍事顧問達の思惑もわからない状況だが、自分達を取り巻く状況が、その両者の連携に不調が生じた状況であると教えていた。ならば、この状況を最大に利用するしかない。そう考えたレスリックは娘ニーサを始めとした猟兵達に号令する。


「とにかく包囲を脱する。皆を食堂に集めよ」

「でも、包囲を突破した後はどうするの?」

「その後はタトラを目指す、郷の者達と合流できるだろう。いそげ!」


****************************************


 ――無明衆――


 その呼び名自体が既に知る人ぞ知る・・・・・・呼称である。そして、その呼び名を知っている者がその名を使うとき、それが指し示すのはベート国で暗躍する暗殺者集団「ザクア」のような刺客ないしは暗殺者である。だが、この認識は正しくない。


 彼らの正体は、南方大陸に版図を広げるアルゴニア帝国が擁する秘匿軍事組織である。その総数や展開先、任務や命令系統についてはアルゴニア帝国内でも知る者は少ないが、一般的に彼らの任務は対内的な防諜、治安維持、そして対外的な諜報、謀略、暗殺活動だといわれている。そんな彼らの内、特に優れた精鋭上士は単独で潜伏、隠密、諜報、防諜、暗殺をこなす恐るべき刺客であり、彼らが仕出かしたであろう・・・・凶事の数々に対する噂が、「無明衆」という得体の知れない呼称とともに一部に知られているのである。


 その一方で「無明衆」と呼ばれる秘匿軍事組織には多くの兵卒も所属している。彼らは「無明衆」の代名詞となっている精鋭上士には劣るものの、やはり特殊な訓練を受けて選ばれた兵士撰士である。精鋭上士による隠密を主体とした任務ではなく、ある程度の兵力が必要な任務では彼らの方が適任とされている。


 今、ターポの街の東の丘に存在する宿屋を包囲する者共は、そんな「無明衆」の撰士二百であった。彼らは「懐かしの我が家」亭という宿屋から二十メートルほど離れた場所で建物の物陰や路地に身を隠しつつ包囲を狭めていた。


 全身漆黒の装束で覆った者達を背後に、指揮官と思しき人影が物陰から宿屋の様子を窺う。いつかは攻撃を仕掛ける対象として、「猟兵」が寄宿する建物の構造や普段の様子はしっかりと調査済みであった。そしてこの夜、宿屋の建物が醸し出す「雰囲気」は昨晩までと全く変わりはない。その事実を認めた指揮官は部下達への指示を小さな身振りで伝える。


「っ?」


 しかし、その指揮官が指示のために左手を挙げたとき、不意に宿屋の建物に異変が起こった。三階角の部屋の窓に朱色の光が瞬く。次いで窓を破り赤々とした炎が建物の石壁を舐めるように燃え上がった。その異変は一か所ではない。三階の角部屋からの火の手を合図にしたように、宿屋の建物や敷地内で次々に火の手が上がる。火の勢いは凄まじく、それが失火の類でないことは明らかであった。


「ちっ……構わん、掛かれ!」


 指揮官は短く舌打ちをすると、改めて手はず通りの指示を発した。本来ならば、正確に六十を数えたと同時に飛び出す部下の撰士達はやや息が合わない様子となったが、それぞれに割り当てられた場所へ向けて物陰を飛び出していく。にわか・・・に燃え上がる「懐かしの我が家亭」、その炎が作り出す影の如き漆黒の者達が建物へ駆け寄っていった。


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