Episode_25.12 ニーサ、走る


 後から振り返ってみて、ニーサはこの狂乱の数日間の記憶が曖昧だった。特に出来事を時系列的に並べて整理することが酷く難しく感じる。期間にして三日間ほどであるとは分かっているが、まるで只管続く長い長い一日だったように感じるのだ。猟兵として、しかも猟兵達の首領イグルの娘として幼い頃から姉と共に修練を積んでいた彼女であっても、王都からの脱出と、その後に続いた強行軍の日々は並大抵ではなかったということだろう。


 あの夜、第一城郭の王宮側に面する庭園に潜んでいたニーサは、後宮居館で起きた出来事を風の囁きウィンドウィスパで察知していた。


 ――城に残った者を連れて逃げろ、ニーサ――


 後宮居館内と繋げた遠話テレトークが途切れる間際、ガリアノが言った言葉はニーサ達猟兵が想定していた最悪の事態・・・・・が、想定とは違う形で発生した事を示していた。


 猟兵達が本来想定して最悪の事態とは、即ちガリアノ殺害だった。元々、王弟派内におけるガリアノの地位は微妙な力関係の上に成り立っている。妾腹ながらガリアノは国王ライアードの実子、しかも長子である。しかし、王位継承権では正室の息子で宰相ロルドールの甥にあたるスメリノが序列一位であった。宰相ロルドールの権勢凄まじい王弟派に在っては、スメリノ王子の王位継承は揺るぎ無い既定路線だと皆が考えている事実だ。


 だが、その一方で国王ライアードがガリアノに寄せる関心もまた並み並みならぬものがある。その様子はガリアノ本人には自覚が少ないが、周囲から見れば一目瞭然であった。ガリアノを手元に引き寄せるために国王即位を承諾した、と噂が立つほどだ。そんな噂はスメリノ王子の一風変わった性情と相まって、


 ――ライアード陛下はガリアノ様に王位を委ねたいに違いない――


 という噂に変化するのも自然な事であった。そして、その噂が宰相ロルドールの主流派のあらぬ企て・・・・・を呼び込んでしまう事が懸念されていたのだ。


 その懸念は、タバン太守アンディー・モッズの不審な事故死と南方アルゴニア帝国からやって来た「無明衆」と呼ばれる者達の暗躍を以って、いよいよ現実味を増していた。しかも、その出来事に前後して猟兵達の首領であるレスリックとその配下の大半の猟兵にはタトラ砦防衛の命令が下された。


 ガリアノの身辺を直接守る猟兵達の大半が戦場へ送られる事態となった時、王都を離れる前のレスリックは、片腕のドリムや二人の娘アンとニーサを含めた居残り組に或る事・・・を言い含めていた。それは、


 ――もしもガリアノ様に危害が及ぶならば、ガリアノ様を王子派領へ逃がせ――


 というものだった。また、


 ――ガリアノ様に万が一の事があったなら、郷の者達を連れて同じように逃れろ――


 という、ぞっとする内容でもあった。しかし、その話しを聞いた時のニーサは父の言葉に頷きつつも、


(そんな事、起こる訳が無いじゃない)


 と内心では高を括っていた。幼さとは決別したが、それでも若いニーサにとって白珠城パルアディス内の権力闘争や、兄とも慕うガリアノの命が脅かされる状況、それに自分達が王子派の軍門に下る未来など想像もつかなかったのだ。


(あの時の私に石でも投げてあげたいわ!)


 第一城郭から脱出する際の間隙に、彼女はそんな感想を抱いていたものだった。


****************************************


 ニーサ達の脱出は何とか成功していた。王宮側が事態の拡散を恐れて緘口令を敷いたことがニーサ達猟兵に奏功した格好だ。


 彼女は精霊術による恩恵を存分に発揮すると、ガリアノが住まいとしている第三城郭内の館に留まる十五人の猟兵達を伴い白珠城パルアディスの城壁を越えて王都へ脱出した。既に深夜の事であった。


 王都内は深夜にも関わらず兵士の数が多かった。尤も兵士達の様子には、国王暗殺の犯人を探している、という緊張感は無かった。一応ガリアノの行方を捜しているらしい・・・ことはニーサの精霊術で聞き取る事が出来たので、彼女を始めとした猟兵達はガリアノが未だ逃走中であることを知り安堵に胸を撫で下ろしたものだ。


 その後、彼女達は夜明けまでの間を王都東側の市場近辺に潜伏して過ごし、朝市に農作物や畜産品を送り届ける周辺農村の農民に紛れて東の門から王都の外へ脱出した。この時が最初の難関だった。東の門を抜けて王都の外に出る人々に対して通常の衛兵による人定とは別に第一騎士団による検問が行われていたのだ。


 通常の往来を妨げる検問により、東の門の内側に長蛇の列が出来ていた。通常ならば正午前には各自の農村に帰れる農民達は昼を過ぎてもまだ王都内に留まっていた。そんな状況に脱出を図るニーサ達は緊張の度合いを高めたが、ここで不思議な事が起こった。正午を過ぎたあたりで、厳重に警備された馬車の車列が王都内に入ると、その一時間後に検問は解除されたのだ。


「どういう事かしら?」

「わからん……」

「まさか?」

「滅多な事を言うんじゃない、とにかく先を急ごう」


 検問が突然解除された事態に、ニーサ達はガリアノ達が捕縛されたのでは? と不安を感じた。しかし検問を解除する際、騎士達の間に小さな諍いが発生したのを見て考えを改めた。幾人かの若い騎士が、上官の命令を不服として騒いだのだ。「宰相の犬め!」などという言葉が喚かれていた。その様子に、事態の収束に伴う検問の解除、ではないと希望的に考えた彼女達は、東の門を抜けて王都コルベートの外に脱出することに成功していた。


 その後、彼女達は二手に分かれることにした。一方はイグル郷の人々に状況を報せ、王子派領への移動を促す者達だ。この時には王都に留まっていた彼等が纏めて姿を消した事実に王宮側も気付いているはずである。そのため、郷に対して何らかの危害が加えられる可能性があったのだ。


 イグル郷の場所はタリフやターポの北、コルタリン山系の東側に広がる森林地帯と山裾が交わる場所だ。そこから最も近い王子派の勢力圏はリムン砦麓のスリ村やサマル村になる。全行程が深い森の中という厳しい道のりを郷の者達を率いて逃れる役割となった彼等は、ニーサに別れを告げると街道を離れて北へ向かった。


 一方のニーサには、これもまた難しい役割があった。それはターポの街に留まる父レスリックと大勢の仲間の猟兵達に状況を伝える、というものだ。この時、彼女は一つの判断に迫られた。それは迅速さを優先して街道を突き進むか、それとも隠密性を優先して街道を離れて進むか、という選択だ。街道を進めば、彼女の足ならば一日半でターポに着く。しかし、街道を離れて進めば倍の三日を要するだろう。


が状況を急いで伝達するつもりなら、既に鳩が飛んでいるわね)


 ニーサは最初、そう思い街道を離れて進む考えになりかけていた。しかし、直ぐに思い留まった。伝書鳩による情報の伝達は早いが確実性に欠ける。不達もあり得るが誤った場所に届く可能性もある。あの夜、ガリアノを捕えるよりも事態拡散を防ぐ緘口令を優先した王宮ならば、もっと確実な方法を選ぶと考えたのだ。


 しかも、彼女は父レスリックや仲間の猟兵達を案じる気持ちが強い。更に、今の状況下、一人でいる不安も強かった。そして何よりガリアノや姉アン、ドリムの安否を考えると居てもたっても居られなかったのだ。そのため、結局彼女は街道を大急ぎでターポを目指す事になった。


 果たして、国王ライアードを暗殺された王宮側の意図や宰相ロルドールの次の行動など、状況が全く見えない中で下されたニーサの判断は、結果的に正しかった。彼女はタリフの街こそ迂回したがその他は街道を進み、王都脱出の二日後の夕方にターポの街の北の森に潜伏する事が出来た。そして、夜陰に紛れてターポに潜入したニーサは仲間の猟兵に連絡を取ることに成功した。

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