Episode_25.11 脱出


 部屋に飛び込んできたのは暗褐色の外套を纏ったムエレである。既に抜き身の三日月刀シミターを手にしたムエレは、ガリアノを襲う三人に背後から斬り付けた。暗殺者達は自らが作り出した無音の空間に紛れて接近したムエレに気付くこと無く、夫々が急所に鋭い一撃を受けて倒される。あっという間の出来事だ。


 一方、ガリアノは倒れ込んだライアードに止めの一撃を試みる暗殺者に体当たりした。ドンッという衝撃と、暗殺者が剣を取り落とす音が室内に響く。既に静寂場の影響は消え去っていた。


「父上!」


 ガリアノが発した叫び声にライアードは言葉にならない呻き声を発する。暗殺者の一撃は肩口から鎖骨を断ち切り肺へ達していたのだろう、口から泡ぶくの如く血を噴き出したライアードは既に瀕死の状態であった。ガリアノはそんなライアードに駆け寄ると抱き起こす。


 室内では割れ声のムエレと残り二人の暗殺者が戦っているが、その勝負は完全に不意を突いたムエレの勝利であった。低く籠った男の呻き声と、甲高い女の断末魔が相次いで響く。


「父上、しっかり!」


 大声で呼びかけるガリアノ。既に異変に勘付いたのか下の階では騒がしい物音や男の叫び声が聞こえる。だが、この時のガリアノは自らの腕の中で急速に光を失っていく父親の瞳しか見ていなかった。


「ガ、ガリアノ……逃げよ」

「しかし」

「にげ……よ」


 血反吐を呑み下したライアードは渾身の力でそう言うと右手を襟首に差し入れ何かを引き千切りガリアノに押し付ける。それは血に塗れた古い鍵であった。


「寝室に……寝台の下に抜け……」


 そこまで喋るとライアードは大量の血を吐き出す。もう息が続かないのか、その口は釣上げられた魚のようにパクパクと開くだけだ。そして彼の手はガリアノに鍵を押し付けた後、何かを求めるように虚空を彷徨う。その仕草と、自分を見つめる瞳に何かを察したガリアノは床に落下した見開きの絵を拾い、ライアードに見えるように差し出した。


「ア……リア……」


 その瞬間、虚空を彷徨っていた手が絵と共にガリアノの手を掴む。そして苦しげだった目元が緩み、血塗れの口が最愛の人の名を呟く。大量の吐血と共に吐き出された最期の言葉にガリアノは何度も頷いていた。


「ガリアノ様!」

「ご無事ですか!」


 国王ライアードが絶命したのとほぼ同時に、第四層の部屋にドリムとアンが飛び込んできた。


 ドリムとアンは後宮居館に続く渡り橋の王宮側に控えていたが、別の場所に潜伏・・していたニーサから居館内部の異変を聞くと直ぐに行動に移ったのだ。因みに精霊術師であるニーサは第一城郭内の北側の庭園に潜伏していた。万が一の事態を警戒したムエレの手配りであった。


 橋を駆け渡った二人はドリムを先頭に居館へ突入した。第二層に詰めていた護衛の騎士達はそんな二人に驚き制止を試みた。しかし、彼等はドリムが突進の勢いそのままに振るう魔剣「羽根切り」で殴り倒されていた。その時点で少し時間が掛ったが、その後の二人は迷わず第三層に駆けあがった。第三層には三人の護衛騎士が詰めていたが、彼等は先んじて居館に侵入したムエレによって無力化されていた。


カンッ、カンッ、カンッ、カンッ――


 外からは異変を報せる半鐘の音が響く。室内は咽るような濃い血の匂いに満たされている。


(ガリアノ様! ドリム、どうなってるの?)


 とは、風の精霊術を用いたニーサの声だ。その声には少し離れた所から聞こえる大勢の兵士達の混乱した声が混じっている。


「わ、私は大丈夫だ……」


 その声に答えるガリアノは多少動揺していたが、声はしっかりとしていた。そして、問い掛けるような視線をドリムに向けた。


「父上は逃げろと、上の階に抜け道があるのか?」

「以前に後宮居館には場外へ通じる抜け穴があると聞きはしましたが……」

「ならばそれに違いない」


 そのようなやり取りをする二人。一方、ムエレと女魔術師アンは下の階へ続く階段を警戒している。騒がしい物音が直ぐ近くまで迫っていた。


「時間が無い、急ぐぞ」


 ムエレの割れたような聴き取り辛い声が妙にハッキリと全員に聞こえていた。


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 後宮居館から城外に通じる抜け穴は、今際いまわきわに国王ライアードが言った通り、彼の寝間、重厚な寝台の下に隠されていた。ガリアノらは清潔に整えられているが二度と再び主人が身を横たえることの無い寝台を三人が掛りで取り除き、その下の落とし戸を開いた。


 抜け穴は底が見えないほどの竪穴で、年代不明の梯子が闇の底へ続いている。だが、落とし戸を開けた瞬間に吹き出した風が、抜け穴が正しくどこかに通じている事を伝えていた。躊躇する時間は無かった。既に下階では国王の死体を発見した警備兵や増援の騎士達が騒いでいる。彼らが目の前の惨事を引き起こした犯人を捜すため、上の階に上がってくるのは時間の問題だった。


「大丈夫だ、一度閉めれば鍵が無ければ開かない構造だ」


 素早く落とし戸の構造を確認したムエレは、そう言うと小さな身ぶりと共に灯火の魔術を発動する。白っぽい魔術の光を得てもなお抜け穴の奥は暗い。


「先に行く、ついて来い」

「わかった」


 ムエレの声に頷くガリアノは一度だけドリムとアンを見る。ドリムはともかくアンは不安そうな表情であった。彼女の妹である精霊術師ニーサには、先ほど遠話が途切れる直前に退避を呼び掛けたばかりだ。ガリアノは不安そうなアンに声を掛ける。まるで自分に言い聞かせるような言葉になった。


「アン、心配いらない。ニーサはしっかり者だ、城に残った他の者達を連れてコルベートから脱出出来る」

「……はい」

「行こう」


 既にムエレは抜け穴の中に姿を消していた。意を決した残りの三人もそれに続くように暗い穴へ続く梯子を下って行った。


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 ――国王ライアード暗殺――


 この凶事をどう取り扱うか? また、現場から姿を消したガリアノらイグル郷の猟兵達をどうするか? 宰相ロルドール不在の白珠城パルアディスは混乱の極みに叩き落とされた。彼等が辛うじて下した決断は、この夜の後宮居館での出来事に徹底的な緘口令を敷き、同時にタリフの街に出張している宰相ロルドールへ秘密の使者を送る事だった。


 また、王族のみが知りえる秘密の抜け穴を通り城外へ逃れたと思われるガリアノ一行には追捕ついぶの手配りが成された。しかし、この夜に手配された捜索兵達には緘口令を徹底するため詳細は伝えられなかった。彼等は単に、


「ガリアノ殿下が行方不明、第二城郭の寝所にお戻りにならない」


 と聞かされただけだった。そんな兵士達は、ガリアノが時折街中を視察する際に商業区や港湾労働者達の居住区へ足を運ぶ事を知っていたため、其方を重点的に探す事になった。


 その一方で、第一騎士団の王都居残り組は騎士を中心とした部隊を急編成すると、王都からタリフに続く東の門とタバンに続く北の門を夫々封鎖した。しかし、王都に続く二つの門は通常は夜間厳重に閉じられるため、騎士達の動きが王都の人々に見咎められることは無かった。


 王都コルベートは城内の凶事を知らず、この夜も平穏であった。普段と異なる事といえば、明日早朝の出港が決まっている四都市連合の軍船団のせいで港湾地区では深夜まで荷役作業の追い込みが行われている事くらいだ。その一方で、明日からしばらく陸地を離れる海兵達の中には遅くまで歓楽街で酒を呑み、陸地との別れを惜しむ不心得者達も沢山いた。


 通常ならば荷役を監督し積み荷を監視する海兵達だが、大きな戦いが先に控えている出港前夜である。そのため、第二海兵団のバーゼル提督は部下達の勝手を、片目を瞑って黙認していた。荷役作業は労働者達も手慣れているため特段の監督が無くても進んで行く。しかし、日中から働き詰めの彼等であるから、積み荷一つ一つに対する点検は疎かとなった。


 通常とは異なる何か・・が積み荷の中に紛れ潜んでいても、それに気付く者はいなかった。

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