Episode_25.09 暗殺者の誤算
後宮居館の第三層以降は王とその家族の住まいとなっている。その第三層は第一王子スメリノの住居である。しかし、数年前のディンス占領にて良からぬ性癖を目覚めさせて以降、スメリノは「好き勝手」が出来る王都郊外の離宮を好み、後宮居館には足を踏み入れていない。一応の名目では、精神を患い離宮で静養している母、つまりライアードの正室を見舞うためという事になっているが、その内実を知らぬものは居ない。そのため、スメリノが後宮居館に戻るように積極的に働きかける侍従は皆無であった。
凛気の強い王妃が後宮から離れている状況はもう五年続いているが、ライアードは他に寵愛する女性を持つ事が無かった。そのため、歴史的には歴代の王がその家族や寵妃と住み暮らした華やかな後宮は、ライアードの代ではすっかり枯れた花のようになっている。その雰囲気は、後宮居館全体に染み着いておりガリアノが「寂しい場所」と感じる原因になっていた。
そんなガリアノが案内されたのは居館第四層の一室であった。部屋はそれほど広い訳ではない。中央にクロスを掛けた正方形のテーブルが置かれ、四方の壁を飾る絵画類や丁度品、そして四隅に灯る明かりが温かい雰囲気を取り繕うように演出している。
ガリアノがこの部屋に入った時、中央のテーブルには既にライアード王の姿があった。彼はガリアノが来るのを待ちわびていたのだろう、満面の笑みを浮かべて立ちあがると、
「このように水入らずで話せる時をどれほど心待ちにしたことか」
と言い、臣下の礼を取るガリアノの動作を遮るように腕を取ると席へ座らせる。
「親と子だ、礼は不要。さぁ、ワインで良かろう……今日はゆっくりと話をさせてくれ」
声の調子から本心を探る以前に、既に機嫌の良さが滲み出ているライアードの声。その声を受けてガリアノの背後の扉が開く。扉からは給仕の格好をした男女が、飲み物や食べ物を手に室内へ入って来た。
「さぁ、乾杯しよう」
銀製のポットから銀製の杯へ注がれたワインを片手に、ライアードは優しくガリアノに笑いかけた。
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ガリアノが後宮居館に案内されて一時間以上が経過している。澄んだ秋の夜空には、糸のように細い月が出ていた。
その夜空の下、第一城郭の南側に存在する後宮の区画を取り囲む城壁の構造は、他とは少し異なっている。見張りの警備兵や騎士が城壁の上から後宮の中を覗き込めないように、内側に面した壁が人の背丈ほど高くなっているのだ。一方外側を向いた壁は城壁にはありふれた鋸壁の造りになっている。
高さが約六メートル、幅は城壁上の通路で二メートルという重厚な造りの城壁の上には、通常二個百人隊規模の警備兵が詰めている。彼等は夜の間も定期的に城壁を巡回し、外部からの侵入者に目を光らせている。依然として内戦が続いているコルサスに於いて、国王の警護に手抜かりは無い。まさに鼠一匹入り込む隙が無いほどの警備である
だが、それも超人的な技能を持つ侵入者に対しては心許ない。それが、悪名高いベートの暗殺者集団「ザクア」や、南方からやって来た正体不明の集団「無明衆」ならば厳重な警備に隙を見出す事は可能だろう。
(規則を厳格に守り、予定通りの行動を繰り返す……隙とはそういう場所に生まれるもの)
そう内心で呟くのは「割れ声のムエレ」と呼ばれる暗殺者であった。だが、今の彼は警備の隙を衝き、事を起こそうとする側ではない。縁のあるイグル郷の者達と共に猟兵として、彼等が守ろうとするガリアノを守る立場だ。勿論彼の目的は別にある。それは彼の郷里である名もない郷を破壊した「無明衆」への復讐であった。
「……」
五人ひと組の巡回兵達が、ムエレの
ムエレは数日前からガリアノの身辺警護を離れると、独自に
(両方始末したい者には好都合)
な状況であった。
欲得に目が眩み暗殺という手段を欲する者を見続けてきた濁った瞳には、今の状況はそう映った。それ故に今のムエレには「
(……どう動く?)
ムエレは何度も繰り返した問いを再び心の中に浮かべた。その時であった。まるで彼の問いに答えるかのように周囲の気配が動いた。
「――なっ!」
「うっ」
「ぐっ――」
先ほどムエレの横を通り過ぎて行った警備兵達が、少し先で籠った声を上げる。ザザッと空気が揺らぎ、一瞬だけ鋭い殺気が放たれて消えた。その様子に、ムエレは透明化の効果を破らないようゆっくりとした動きで体を動かすと、音が生じた場所を見る。
その場所には地面に倒れた五人の警備兵と、それを見下ろす三人の人影があった。三人の人影はイグル郷の猟兵が身に着けるような革鎧に身を包んでいる。だが、ムエレは彼等の顔に見覚えが無かった。
(イグルの者に偽装するのか……)
観察を続けるムエレの視線に気付かない三人の人影は、内二人が周囲を警戒しながら警備兵の死体を影へ引っ張り込み、残り一人は器用に城壁の内壁に上がると、そこから小型の弩弓を用いて矢を後宮居館へ放った。無音で夜空を疾った矢が小さい音を立てて後宮居館三層のベランダに落ちると、矢の後ろに繋がっていた細い紐がベランダ際の手摺に巻き付いた。
(なるほど……最初から生還するつもりは無い、ということか)
彼等の行動からその意図を読み取ったムエレは、そう結論を付けた。ザクア本体では行われていないが、他の暗殺を稼業とする者達の中には、そのように死を恐れない暗殺者を育成する集団がある。殆どの場合が幼い頃からそう教え育てるのだが、稀に薬物や魔術具による精神的な拘束、又は本人が
この場合の三人の人影の生い立ちは不明だが、とにかく第一城壁から細い紐を伝って後宮居館に潜入し、ライアードとガリアノを殺害した後に護衛の騎士に斬り殺されるのが彼等の任務だろう。そう見当をつけたムエレは、それ以上待つ必要は無かった。
右手で
「なにっ!」
「うわっ!」
「――」
細い月明かりの下、魔術の強化を受けた刃が三度閃き、三人の人影は抵抗する機会を得ないままに斬り倒されていた。
「……」
五人の警備兵が倒されてから、三人の侵入者が倒されるまでの時間は僅かであった。だが、直ぐに次の巡回兵がやってくるのは分かっている。そのため、ムエレは血糊を拭った
(ムエレ様、居館の中の様子がおかしいです、ガリアノ様が――)
風と共に、狼狽した女性の声が届く。それは、イグル郷の精霊術師ニーサによる
「……詳しく話せ」
(あ、ちょっと、ドリム! 姉さんまで!)
だが、ムエレの要求に対してニーサの声は別の場所の状況を伝えていた。
「――チッ」
一気に切迫した状況に、ムエレは自分が倒した三人が囮であった可能性を考えて舌打ちした。そんな彼の目は、今し方斬り殺した内の一人が腰に繋いでいた細い紐が映っていた。
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