Episode_25.08 後宮
アーシラ歴498年9月27日
コルサス王国王都コルベート
この日の午後、ガリアノは名目上の第二王子として四都市連合第二海兵団バーゼル・ホットン提督の謁見に立ち合っていた。午後の遅い時間に
――明日早朝に出港いたします。陛下並びにコルサス王国に栄光ある勝利が
と述べていた。
提督の述べた「栄光ある勝利」とは、この後に予定されているディンスに対する海上からの上陸作戦を念頭に置いた言葉であった。予定通りならば、現在西トバ河を挟んでディンスと対峙している第一騎士団分遣隊と四都市連合傭兵軍は、第二海兵団及びカルアニス海軍の海上からの攻撃を合図に全力渡河攻撃を行うことになっている。
ディンス奪還作戦は現在王子派に有利な戦局を見せている内戦の潮流を再び王弟派に向けるための重要な作戦だ。その鍵を握る戦力、つまりデルフィル湾の洋上に留まり、デルフィルへの攻撃を偽装している四都市連合の海軍勢力の規模、所在、目的は全て秘密とされている。バーゼル提督の言葉が曖昧に「栄光ある勝利」のみに言及するのは、そのような理由があったのだ。
これに対して国王ライアードは、返答をしばし躊躇う様子を見せた。普段ならば、側に控える宰相ロルドールが受け答えをするため、謁見の場に在ってもライアードが自身の言葉を発する事は少なかった。しかし、現在宰相ロルドールは王都の東に位置する都市タリフへ出向いている。そのため、自分で言葉を発する必要に迫られたライアードは、
――ディンスの人々にはくれぐれも被害が出ぬよう、配慮を願う――
と返していた。思わず秘密であるはずの攻撃目標を口にしてしまったライアードであるが、本人はその事に気付いていない。対して、バーゼル提督は一度だけ左眉をピクリと動かしたが、その後は深々と頭を下げ、
――最善を尽くします――
と述べて謁見の間から立ち去って行った。
その一部始終を眺めていたガリアノは、宰相ロルドールを伴っていない時のライアードが、如何にも「国王」という重責にそぐわない人物のように思えていた。アーシラ帝国期から西方鎮守府として脈々と続いた王家の、更に帝国崩壊後は中原地方から押し寄せる混乱を堰き止めた西方辺境域最強の国の王として、ライアードは如何にも頼りないのだ。
(糸の切れた操り人形……とは流石に言い過ぎか)
喩え実父であってもライアードを父と思えない境遇で育ったガリアノは、一歩引いた醒めた目で玉座に座る老齢の男を見る。そこには、元が立派な体格だけに余計に貧相に映る痩せこけた白髪交じりの老人の姿があった。何処か不安気な表情を湛え、気弱な雰囲気を纏う老齢の男は国王としての着衣や王冠、玉座といった装飾を取り去られれば、コルベートの
(……憐れ……なのか)
一方、そのように自分に向けられた視線に気付いたライアードは、視線を送る主へ目を向けると、不意に慈しむような笑みを浮かべる。そこには確実に親愛の情が在った。まるで全てを失った老人が唯一手元に残った昔日の思い出を懐かしむような、最後の拠りどころを愛でるような切実な表情である。ライアードの表情はその情を得る事で生気を取り戻す。ガリアノはレスリックから聞かされていた生母とライアードの関係を思い出す。何故か突然に、
(私が護らなければ)
という、慣れない感情が湧きあがっていた。
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その後宮の中核を成す白亜の居館は歴代の王と王妃、そして成人前の王子王女が居住する場所であった。取分けて美しい白色を発する石灰岩を用い、滑らかに整えられた外壁を持つ居館は、王宮や周囲を取り囲む第一城壁よりも一層分背の高く、優美な塔の佇まいを見せる。
しかし優美な外見とは裏腹に、居館は万一の場合に王を守る最後の砦という役割を持つ。合計五層からなる居館の第一層は備蓄倉庫となっており、直接外へ通じる出入り口が存在しない。通常の出入りは王宮と居館の第二層と繋ぐ短い橋のような渡り廊下か、同じく居館の第二層から庭園に降ろされた木製の階段から行われる。それらの経路は居館側から操作する跳ね橋になっており、万が一の場合はそれらを跳ね上げて侵入者を遮断することができる。また、同様の跳ね橋が最上層の屋上にも設置されており、こちらは第一城壁の上へと連絡すること出来るが、通常は跳ね上げられたままで使われる事は無い。
居館内部には、王とその家族の身の回りの世話をする専属の侍従や使用人が詰めている。その他には、嘗て前王ジュリアンドが健在だった頃は「王の隠剣」と呼ばれる者達が護衛として少数詰めていた。だが王とその家族の身辺を護衛していた「王の隠剣」たるイグル郷の猟兵達は、前王ジュリアンド急逝の際に暗殺の嫌疑を掛けられ首領であるレスリック・イグルともども王の身辺から遠ざけられていた。今ではその嫌疑は晴れているが、それでも彼等が再び護衛の任に就く事は無かった。そのため現在は第一騎士団から選りすぐられた精鋭騎士十人が護衛を務めている。
全体として優美でありながら有事の際には防衛の拠点となるように造られた後宮の居館は、本来のコルサス王国の規模や権威に見合った立派な建物だ。内部は清掃が行き届いており、華美ではないが質の高い装飾が施されている。また第二層や第三層の一部では晩餐の準備を行う使用人や侍従の立ち働く気配もある。だが、その居館に案内されたガリアノは、建物全体が醸し出す空漠とした寒々しさを感じ取っていた。建物全体として
(……寂しいところだな)
という感想が拭えないガリアノであった。
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四都市連合第二海兵団のバーゼル提督との謁見に立ち合ったガリアノは、そのまま王宮内部、謁見の間の控室に留まっていた。そして、夕刻を幾らか過ぎた頃合いに後宮専属の侍従から準備が整ったと連絡を受けて、後宮の居館へ足を踏み入れたのだ。
因みに、王宮の二層から渡り橋を通って居館に入ったガリアノは、側仕え兼護衛として付き従っていた騎士ドリムと魔術師アンを渡り橋の王宮側に残していた。王族以外は限られた者しか足を踏み込めない後宮であるから、二人がその場で待機するのは仕方のないことであった。
(そこまで心配する事は無いと思うが)
別れ際にドリムやアンが投げ掛けた心配そうな視線を思い出し、ガリアノは内心苦笑いをする。今日の日中に垣間見た国王ライアードの様子から、彼が自分に対して危害を加える意図が無いことは明白だった。一つだけ気がかりな点といえば、「無明衆」と呼ばれる南方からの暗殺者集団が王都に入り込んでいるという話しであった。しかし、その報せを齎した「割れ声のムエレ」は数日前から姿が見えなくなっている。
ムエレの姿が見えないことをガリアノはドリムに尋ねていたが、
――表に出るよりも裏に回った方が何かと
という答えを得ただけだった。表と裏の違いや、何が
「殿下、お腰の物はこの場所でお預かりいたします」
居館の中を案内に従い進んでいたガリアノは、第三層へ登る階段の前で侍従の言葉に従い剣帯ごと鞘に入った剣を侍従へ預ける。これ以降の階は武器を外から持ち込む事が禁止された国王ライアードの私的領域という事になる。
「お預かりいたします」
剣帯を受け取った侍従はガリアノとは視線を合わせないようにしながら、慇懃に一礼する。そして、
「さ、此方へ」
と促す侍従の声に従い、ガリアノは細い階段を登りはじめた。
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