Episode_25.07 戦局構築


アーシラ歴498年9月26日


 リリアが姿を消して二日、ユーリーは彼女の行方を追い求めたが、その形跡をデルフィル内に見つけることは出来なかった。分かったことは、二日前の午前に「手伝いに行く」と書置きされていた炊き出しには姿を現さなかったこと。そして、同じ日の午後に彼女と思しき人物がデルフィルからダルフィルへ続く道を馬に乗って進んでいた、ということだ。


(本当にノーバラプールへ向かったのか?)


 デルフィルからダルフィルへ抜け、更にデール河を渡り西へ続く街道へ出れば、騎馬ならばノーバラプールまでの道のりは三日か四日である。「十日で戻る」という彼女の書置きは不自然ではない。状況だけを見ればリリアは書置きどおりにノーバラプールへ向かったと考えられた。


 しかし、ユーリーは状況が教える彼女の足取りに完全に納得した訳ではない。姿を消す直前の夜の、彼女の様子は何度思い返してみても、


(やっぱり……普通じゃなかった)


 のである。元々淑やかで慎み深い女性というよりも、自分の気持ちに率直で奔放さを持つリリアであるから、あの夜の行動・・・・・・は特別なものではなかった。だが、実際に何度も肌を重ね合わせているユーリーは、何かしらの非尋常を感じていた。そして、その直感が彼を今日の日中も宛ての無い捜索へと向かわせていた。


 しかし、この日の捜索でもユーリーは今分かっている以上の情報を得ることは出来なかった。


****************************************


 夕方、悄然とした様子で屋敷の部屋に戻ったユーリーの元にブルガルトから呼び出しがあった。一昨日晩の作戦会議の続きをするという呼び出しにユーリーは、それどころではない、という気持ちだった。しかし結局はコルサス王子派の先遣隊を任されているという立場を思い出し、渋々会議に参加する事にした。


 そんな彼の心の片隅には、


(他の誰かが事情を知っているかもしれない)


 という若干の期待があったことは事実である。だが、いざ屋敷の本館一階で開かれた会議の場に着くと、それを他人に問う気持ちは萎えてしまった。というのも、ユーリーが部屋に入った時、部屋には既に大勢の人々が居たのだ。


 アルヴァンやヨシン、騎士デイルといったリムルベート側の面々もさることながら、魔術騎士アーヴィルやダレス、副官パムスといったコルサス王子派の面々や、「暁旅団」の副官ダリアや参謀バロル、「骸中隊」のトッドといった傭兵の面々、そしてデルフィルの衛兵団幹部までが勢揃いしている。そのため普段は閑散として家主のスカースすら使用していない食堂は、まるで何処かの砦の内の作戦会議室のような物々しい雰囲気に包まれていた。


(……どういう事だ?)


 昨日から今日のまる二日を捜索に費やしていたユーリーは、その間に事態が何らかの進展を見せていた事に戸惑う。そんな彼に話しかけたのはブルガルトだった。


「おお、遅かったなユーリー」

「ブルガルト……これは一体?」

「ああ、沖の旗艦を急襲する作戦だ。概要は前に話した通りだ」

「だが、それは――」


 ブルガルトの説明に、恋人を危険に晒す作戦が進められている事を知ったユーリーは声を荒げかける。だが、その声はブルガルトに遮られた。


「ああ、それなら良いんだ・・・・・・・・。別の方法が見つかった」

「別の方法? どんな?」

「あれだ」


 ブルガルトはそう言うと、部屋の壁際に寄せられた長テーブルと、そこで作業する面々を指す。テーブルにはデルフィル湾の海図が広げられ、船乗り然とした男達がしきりに定規で線や円を書きこんでいる。


「アント商会の船乗りだ。前回のスカリルやデルフィルへの襲撃から敵船団の位置を探っている」


 ブルガルトが言うには、襲撃時刻や撤収時刻、そしてこの季節の海流や当日の風向きからある程度の位置の推測は可能だということだ。実際、デルフィル湾の海図の中央部、丁度デルフィル、スカリル、そしてディンスから等距離に位置する場所に大きさの異なる円が幾つも描かれ、それらの内数個の円が重なった広い区域には朱色が塗られている。


「粗方の場所に見当をつけた後ならば、普通の精霊術師やウチのバロルが持っている魔術具で何とかなる」


 ブルガルトの説明にユーリーは半分納得したような気になった。だが、海図上に朱色で囲まれた区域は見た限りデルフィルからトトマまでの土地に等しい広さがある。ブルガルトは「何とかなる」と言ったが、それでも広大な区域から特定の敵船団の旗艦を見つける方法には若干の疑問が残った。しかも、以前に語られた通りの作戦ならば、攻撃は夜間に実施されるはずである。ユーリーは海上での探索がどういうものか想像出来ないが、それでも困難さを想像することは出来た。


「そんなやり方で大丈夫――」


 しかし、ユーリーが口にしかけた疑問は、別の若者によって遮られる。


「ユーリー、良かったな別の方法が見つかって」

「本当だ。あんな剣幕だったから少し心配していた」


 ヨシンとアルヴァンの二人である。二人は一昨晩のユーリーの様子を心配していたのだろう。そして、彼が態度を硬化させた理由である「リリア」の必要性が無くなった今の状態を心底安心しているようであった。


「あ、ああ……心配掛けてゴメン」

「ったく、リリアちゃんの事になると直ぐ頭に血が上るんだもんな。前だって、黒蝋事件の時はデイルさんに向かって行ったからな」

「ああ、密売組織を捕縛した時だな」

「そんな……昔の話――」


 幼馴染と親友の言葉にユーリーの注意が逸れる。その様子にブルガルトはホッと胸を撫で下ろしたい心境であった。嘘と詭弁で誤魔化すにしても、準備した筋書きの一番弱い場所・・・・を的確に突かれそうなったからだ。


(たく、面倒くさい奴だ)


 ブルガルトとしては、腕が立つだけでなく、そのような部分に注意が向くユーリーの鋭さを含めて彼を好意的に捉えているのだが、それだけに、誤魔化して言い包めるには厄介な相手であった。


「よし、今までのところで一度纏めよう。バロル、竜骨杖を――」


 これ以上突っ込まれる事を避けるように、ブルガルトは室内の面々に声を掛けた。幾つかに分かれて行われていた話し合いは一旦中断されると、全員の注目が傭兵団の首領に向けられた。


 一方、名を呼ばれた「暁旅団」の参謀役である魔術師は、一つ頷くとローブの懐から象牙色の小杖を取り出し、それを振るう。竜の額の骨から削りだされた魔術具の杖が精霊力を遮断する力場「虚無の空間ヴォイドフィールド」を周囲に形成した。


****************************************


「先ずリムルベート側だが、此方の申し出に対しての反応をもう一度説明して欲しい」


 ブルガルトは防諜の準備が整ったのを確認すると、アルヴァンへ話しを振る。


「一昨晩に送った書状に対して、今日の午後に返事が届いた。ウェスタ侯爵とウーブル侯爵が夫々保有していた河川用の運搬櫂船を五日後にダルフィルの河川港へ集結させる。数は五十隻になる」


 アルヴァンの説明は、沖合に留まる四都市連合の軍船団の注意を惹くための算段についてだった。先のインヴァル戦争に於いて河川を用いた補給の実施に活躍した河川用の櫂船は、戦いが集結した後は用途が無くウェスタ侯爵領とウーブル侯爵領の河川港に放置されていた。それをあたかも海軍勢力のように偽装して四都市連合の注意を惹くというものだ。


「それでは、アント商会の伝手で『リムルベート王国が海軍勢力を差し向ける』という噂を街に流してくれ」


 アルヴァンの説明を受けたブルガルトは同席しているスカース・アントに対してそう言う。勿論、デルフィルに多数潜伏していると思われる四都市連合側の密偵に状況を察知させるためだ。


 実は一昨日晩の話し合いから、スカースの屋敷は複数人の密偵と思われる人物に監視されている。彼等は、


 ――機能不全に陥ったデルフィル施政府議会を見限り、豪商アント商会が中心となって何らかの行動を起こしつつある――


 とでも考えているのであろう。そこに「リムルベートの海軍勢力」の話が加われば、彼等からすれば納得の出来る筋書きが出来上がる訳だ。


「リムルベート側の対応はこれで充分だろう。それでコルサス側なんだが」


 ブルガルトはそう言うとユーリーに視線を向けた。


「実は『オークの舌』の連中を勝手に使っている……どうしてもデルフィルからコルサス王子派領に掛けての海岸線の安全を確保する必要があったんだ。すまない」


 ブルガルトがそう言うのは、精霊術師ジェイコブを首領とする「オークの舌」が現在コルサス王子派に雇用され先遣隊の一部を担っているからであった。彼等への指揮権はユーリーが持っている事になるのだが、それを越権して海岸線の安全確保に派遣した事に対する謝罪であった。


「い、いや……構わない。確かに以前の沿岸部襲撃事件のように海岸線に敵が潜んでいると何かと厄介だ」


 一方のユーリーは、それを咎める気持ちにはならない。寧ろ、言外にここ二日の自分の行動を咎められているような気がするくらいだった。少なくともこの二日間、ユーリーの頭の中を占有していたのは、デルフィルの状況でもディンスに矛先を向ける四都市連合でもなかった。


「そうか、良かったよ」


 ユーリーの返事に安堵の表情を浮かべるブルガルトは、その後ユーリーにコルサス側の行動を要求する。彼が伝えた内容は一部、一昨晩の話し合いでも言及があったものだ。それは主に、


 ――四都市連合の攻撃を誘うため、ディンスの兵力を引き抜く――


 ――以前に四都市連合から接収した小型帆船をストラ近隣の漁村に回す――


 ――アント商会の小型快速船と、急襲部隊の戦力が王子派領に入ることを認める――


 というものだった。それらの要求は全て四都市連合の旗艦を襲撃するための準備である。四都市連合軍船団の真の攻撃目標が王子派領ディンスである、という蓋然性が高まった事態に、コルサス王子派が作戦を成功させるための努力を惜しむという選択肢は無かった。しかも、


(これならば、リリアが居ない間に作戦を実行できる……巻き込まないで済む……)


 という、ユーリーの個人的な思惑もあった。


 その後、会議は細かい部分の調整を終えると襲撃部隊の人選に入った。人選ではひと悶着起きたが、結局は小型船二隻に百人ずつ、合計二百人の少数精鋭が選抜される事になった。


「旗艦襲撃作戦の準備は五日後に完了。それ以降はいつでも実行可能な待機状態に入る」


 ブルガルトが全体を総括するような言葉を発した時、屋敷の外は白み始めた早朝の空気に包まれていたという。


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