Episode_25.06 彼女の決意
翌日のユーリーは浅いまどろみから中々脱する事が出来ず、結局目を覚ましたのは正午前だった。その時リリアの姿は部屋に無かった。ただ、テーブルの上には
――炊き出しの手伝いに行ってきます――
という彼女の書置きがあった。
それを目にしたユーリーは、特段の不安など感じるべくもない。書置き通りの内容と受け止めると、早々に身支度を済ませて外出することにした。目指すのはデルフィルの街中にある細工物職人の店だ。昨晩彼女から預かった髪飾りを修理に出すのが目的だった。
港の方面は襲撃の傷跡を癒す復興作業で騒々しい。だが、内陸側を東西に伸びる街道沿いの商店街は殆ど被害を受けておらず、拍子抜けするほど平穏としている。その街並みを一人で歩くユーリーは、ふと現在の状況を忘れた。
愛する女性の事を考え、彼女が大切にしてくれた自身の贈り物をより良く修復する腕の良い職人の店を探す。元が安物であるというのが玉に疵だが、物の価値は必ずしも価格に比例しない。リリアが大切に使い続けてくれた、と言う事自体がユーリーにとっての物の価値になる。
店探しはそれほど難航しなかった。道行く人に評判を聞けば、小間物の修理を生業とする腕の良い職人の店は直ぐに見つかった。店は表通りから一本裏に入った場所にひっそりとあった。店の中には職人なのだろう、年老いたドワーフが店番を兼ねて一人で居た。彼は店に入って来たユーリーの姿をサッと見まわし、腰の剣と両手の
「ウチは鍛冶屋じゃないぞ」
「いえ、修理をお願いしたいのですが」
そんなやり取りの後、ユーリーは布に包んだリリアの髪飾りを差し出す。
「……想い出の品かい?」
老ドワーフ職人の言葉は、まるで
「まさか……大切なものですが、普段使いのものですよ」
対するユーリーは少しムッとしてそれを否定する。
「そうかい……二日で直す、お代はその時で結構」
それだけのやり取りだった。
店を出たユーリーは少し時間を持て余している事に気付いた。既に議論すべき議題など無い小規模会議は数日後までは開かれないだろう。一方、スカースの屋敷の本館で行われた作戦会議は昨晩の続きがあるかもしれないが、
(呼ばれれば行くさ)
とユーリーは考えている。昨晩の蒸し返しになるはずの作戦会議だが、ユーリーはブルガルトの作戦を正式に拒否し、別の方法を探すよう促すつもりだ。場合によっては作戦自体を思い留まらせ、いっそデルフィルはこのまま放置して四都市連合に次の手を打たせた上で対応する。それが、今のユーリーの結論だった。
「仕方がないんだ」
現実に引き戻された気分となったユーリーは、自身の出した結論から感じる僅かな後ろ暗さを言葉にして吐き出した。そしてしばらくの間、街を宛てもなく歩いていた。
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夕方というには少し早い時間、ユーリーはスカースの屋敷にある別館の部屋へ戻っていた。午後の遅い日差しは南向きの窓へは差し込まず、部屋は薄らと暗い。だが、部屋には彼が不在の間に僅かな変化があったようだ。
「ん?」
漠然とその変化に気付いたユーリーは、室内を照らすため灯火の魔術を発動する。光の球がゆらゆらと揺れながら天井付近に生みだされる。白っぽい魔術の光に照らされた室内からは、リリアの荷物が無くなっていた。そして、テーブルには先ほどユーリーが読んだ書置きとは別の物が置かれていた。
――ノーバラプールの知り合いが急病と報せを受けました。十日ほどノーバラプールへ行ってきます。心配しないでください、必ず戻ります。 リリア――
「……」
尋常ではない、ユーリーの直感はそう伝えていた。幾ら急ぐといっても自分が戻るまでの数時間も待てない事は無いだろう。そう考えると、昨晩の彼女の様子も奇妙に思えた。漠然とした不安が胸を衝き、ユーリーは思わず屋敷の庭へ出る。リリアの馬が残っているか確かめるため、彼が向かったのは厩舎だった。
「あれ、ユーリー隊長……どうしたんですか?」
厩舎には馬の世話をしていた一番隊のサジルがいた。彼は、厩舎に飛び込むように入って来たユーリーに驚いた様子だった。
「サジルさん、リリアを見なかったか?」
「あ、ああ、リリアさんならノーバラプールに向かうと言って……二時間ほど前に――」
「そ、そうか」
サジルの言葉はリリアの書置きを裏付ける内容だった。サジルが指した場所にはユーリーとリリアの馬が並んで繋がれていたのだが、今は黒毛のユーリーの馬しかいない。
「何かあったんですか?」
「いや……何でもない」
何か詮索するような調子を帯びるサジルの声に、ユーリーは適当に答えると厩舎を後にした。そして、再びデルフィルの街へと消えていった。探す宛ての無いユーリーが再びスカースの屋敷に戻ったのは翌朝のことであったという。
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デルフィルの東の街外れ。
西のインヴァル山系に沈みかける夕陽を受けたデルフィル湾は、広大な海原に灰色と朱色の乏しい色彩しか映さない。灯台のある断崖に吹く秋風は日毎に増す冷たさを伴い、物悲しさに拍車を掛けるようだった。
その場には十騎の騎馬と数名の徒歩の者の姿があった。数日から一週間分の旅荷を整えた騎馬達は出発の号令を待つように控えている。そんな中、馬の手綱を取った小柄な人影と男の人影が言葉を交わす。
「本当に良いのか?」
「はい」
「……でも何でなんだ? アイツは全力で否定した。あれじゃ恐らく決意は変わらないだろう。生半可な男じゃない、力尽くに従わせる事なんて出来ない。それなのに――」
それなのに何故、自分から進んで危険な役回りを選ぶのか? 男の人影が発する言葉にはそんな響きが籠っている。
「それだからこそ……です。あの人に間違った選択をして欲しくない。今は良くてもきっと後悔するわ。私はあの人の後悔の理由になりたくないんです」
「その口ぶりだと、昨日の晩の話し合いを聞いていたのか?」
「精霊術師ですよ。風の響きに耳をすませれば……聞こえます」
「そうか……」
小柄な人影は凛とした女の声で、決意を変える様子はない。それは有り難い事なのだが、男の人影には少しばかりの懸念があった。
「もしも、ユーリーがこの事に気付いたら? 酷い喧嘩になるんじゃないか?」
「その時は……ブルガルトさんに
「おい、それは冗談じゃ――」
不意に冗談めかして答える女の声に、男の人影は焦るような声を出す。だが、その会話は背後の騎馬の者に遮られた。
「ブルガルト、リリア、そろそろ出発しなければ。今晩中にコルサスへ入りたい」
声を発したのは「オークの舌」の首領ジェイコブだ。騎馬の者達は彼の配下でも特に優秀な精霊術師達である。彼等は先にコルサス王子派の領内に入り、ブルガルトの作戦の準備を行う事になっていた。それと同時に、リリアが若鷹ヴェズルの視界を用いてデルフィル湾の四都市連合軍船団を見つけ出す事になっている。
全ては、今日の午前にリリアがブルガルトを訪ねた所から進みだした話だった。
「分かった、じゃぁ頼む。此方でも粗方の場所の目星は付けるから、連絡はストラ宛てに鳩を飛ばす」
「わかっている。手はず通りにな」
ブルガルトとジェイコブが言葉を交わす。そして、リリアを含めた騎馬の一団は街道を目指して駆け去って行った。
「……面倒くさい女ね」
「はは……そう言うな、俺はイイ女だと思うぞ」
彼等の後姿を見送るブルガルトに、ダリアが話しかけた。何とも嫌そうな表情であるが、長く一緒にいるブルガルトには彼女の表情が心底からの嫌悪を示している訳ではない事が分かる。
「愛情の形の一つなんだろう」
「本当、そういうのって面倒だわ」
「そうでもない……若い内の特権だ、お前だって――」
「何言ってるのよ! ……帰りましょう、風邪をひくわ」
言いかけたブルガルトの言葉を遮るダリアは、後は振り向きもせず街へ続く坂道を下りて行くのだった。
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