Episode_25.05 贈り物
「ご、ごめん。ちょっと話し合いが長くなって」
「いいわ、
咄嗟に詫びるユーリーにリリアは素っ気なく答える。そして後ろ手のままで部屋のドアを開けると、待ち人に中へ入るよう促した。
「お腹は空いてないわよね?」
ドアを閉めて鍵を掛けたリリアは、ユーリーの上着を壁際のハンガーに掛けつつ彼の空腹具合を気にするよう言葉を発する。言葉の上では心配しているが、声の調子は何処か「ツン」としたものだった。
「だ、大丈夫だよ」
その様子に、ユーリーは昼間に彼女の機嫌を損ねていたことを今更ながらに後悔する。そして先ほどの話をどう処理するべきか、考えを巡らせるのだった。
ユーリーとリリアに割り当てられた部屋は丁度良く二人用の部屋だった。ドアから入って十歩もしないうちに反対側の窓に行き着く大きさの部屋には、両壁際にベッドがひとつずつ置かれている。決して広い部屋ではないが、愛し合う二人には丁度良い狭さだった。
その室内で椅子に腰かけたユーリーは、自分に背を向けたまま就寝のための身支度をするリリアの姿を茫と眺める。彼女は愛用の柔らかいなめし皮のブーツを脱ぎ、焦げ茶色の革製のズボンを脱ぐ。そして厚手のシャツも脱ぎ去り、それをユーリーの上着の横に掛けた。よくよく見れば、部屋で待っていたはずの彼女の格好は部屋着ではなく外出を済ませてきたばかりのような格好であった。だが、この時のユーリーはその不自然さに気付かない。今ユーリーの頭の中を支配しているのはブルガルトからの要請だった。
――隠密裏に敵船団に接近して奇襲を成功させるには優れた精霊術師の助けが必要だ――
そう言われたユーリーは、ブルガルトの意図が分かった。そのため咄嗟に、精霊術師ならば「オークの舌」のジェイコブが居るじゃないか、と反論した。だが、
――熟練の精霊術師でも出来ない事がお前の女には出来るだろう。湾のどこにいるか分からない連中の船団を見つける事が出来る「目」は彼女にしかない――
ブルガルトの話す内容は合理的だった。そのためユーリーは理論的に反論する事が出来ず、結局は声を荒げて拒否を示しつつ食堂から飛び出すことになったのだ。
(リリアじゃなくても敵船団の場所が分かる方法……)
椅子に腰かけたユーリーはリリアの後姿を見ながら考える。寝間着とはいえないが、薄い肌着だけになった彼女は肩下まで伸びた明るい茶色の髪を普段よりもゆっくりとした動作で
(いっそのこと、作戦自体を止めるように……)
良い考えが浮かばないユーリーは、遂にそんな事まで考え始めていた。コルサス王国とレイの未来、ディンスやデルフィルの人々、四都市連合に苛まれている、またはこれから苛まれる人々を助けるためにブルガルトの作戦は必要なものだった。だが、
(リリアに危険を強いてまで、そんなことに価値があるのか?)
という自問にユーリーは答えられない。
最近あった幾つかの戦い、特に燃え盛るトリムの街を脱出して以降の戦いで、リリアは務めて主戦場には近づかなかった。勿論避けられない遭遇戦はあったし危険な斥候任務もこなしていた。だが、分かり切った危険からは一歩身を引き、可能な限り後方からの支援に専念していた。そんな彼女の態度のお陰で、ユーリーはある程度の安心をもって戦場に立つ事が出来ていた。だが、
(海の上、船の上での戦いに前線も後方もない……逃げ場の無い戦いになる)
この時代の海上での戦闘は軍船同士が接近し弩弓を射掛けた後は、
(やっぱりダメだ……この作戦は受けられない。リリアを巻き込むなんて出来ない!)
コルサスの行く末やレイモンド王子との友情、ディンスやデルフィルの人々の苦難。それらは大切な事柄だが、リリアの安全を秤に掛けた瞬間、
「何かあったの?」
考えに結論を着けたユーリーにリリアの声が掛る。まるでユーリーの思考が結論を導くのを待っていたかのような彼女は、いつの間にかユーリーの正面に立っていた。
「いや、何でもないよ」
「……そう……」
ユーリーが平静を装って返した言葉に、リリアは顔を伏せる。少しの間が空いた。まるで何かに悲しんでいるような素振りに、ユーリーは疑問を感じるが、
「実は、昔貰った髪飾りなんだけど……ちょっと前に壊れちゃって」
ユーリーが疑問を発する前に顔を上げたリリアは、後ろ手に持っていた翼を模した髪飾りを差し出す。ちょっと泣きそうな顔の彼女の掌には、言葉通り髪留めの部分が壊れた髪飾りがあった。
「私、明日も忙しいし……細工物屋さんに修理に出すの、頼める?」
「あぁ……ああ、いいよ、勿論」
リリアの泣きそうな表情の原因が随分昔に自分が贈った髪飾りの破損にあると理解したユーリーは、差し出されたそれを受け取る。翼を模した髪飾りは確かに二人の思い出の品だ。だが、壊れたからといって泣きそうになるのは大げさだとユーリーは思う。そして、それだけリリアが
「大切にしてくれてたんだね、ありがとう」
「え……わ、私の方こそ……」
「じゃぁ、直るまで――」
ユーリーはそう言うと立ち上がりつつ自分の首に手を回し、襟元から細い金属鎖を取り出す。それは半月状のペンダントヘッドを持った首飾りだ。赤子として養父メオンに預けられた時から持っている品で、生みの親との絆を予感させる品だが、そうであるからこそリリアに相応しいと思った。
「これを着けててよ」
「え、でも……これって」
「いいんだ、リリアが着けてる方が」
リリアの言葉を遮ったユーリーは、彼女の首に鎖を回し止め金を掛ける。勢い、両肩に腕を回す姿勢となったので、ユーリーはそのまま腕を閉じるように愛する人を抱き締める。
「……ごめんなさい……」
「なんで謝るの?」
「……」
ユーリーの胸の中で小さく呟くリリアの声。謝罪を意味する彼女の言葉にユーリーはその顔を覗き込むように問い掛けた。顔を上げるリリアはやはり涙を堪えていたのか、ハシバミ色の瞳は潤みを湛えていた。その瞳は、森の中に隠された清い泉を連想させる。静謐さを湛えた水面に風紋が立つ。
「ねぇ……」
「なに?」
「……抱いて」
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二人にとって既に日常となった行為を敢えて言葉にして求めるリリア。その様子にユーリーは流石に尋常ではない何かを感じるが、結局それを口にする事は出来なかった。彼はしがみつくように、掻き抱くように、まるで一切の余裕を失ったように押し付けられるリリアの身体、いや気魄めいたものに
絡まり合いながら、素肌の部分を求め合う二人はそのまま狭いベッドに崩れ落ちる。乱暴に衣服をはぎ取り、身悶えするように上と下を入れ替える二人は、お互いを愛おしむのか、それともいっそ憎いのか、分からなくなる。只只、お互いの喘ぎと吐息を耳に閉じ込め、擦りつけるよう律動を強める。
(迷う事なんて無いんだ……この人さえ、リリアさえ居れば……)
下から見上げる格好で、屈んだリリアの顔を見上げるユーリーはそう思い極めた。彼女の首に掛けられた首飾りが、その動きに合わせて振り子のように揺れる。ユーリーはその動きを手で止めると、そのまま上体を持ち上げて彼女と向き合う。そして、
「愛してる」
「私もよ、愛してるわ」
何度言っても陳腐に聞こえない言葉を掛け合いつつ、再びベッドに沈みこんだ。
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リリアが姿を消したのは、翌日の朝の事だった。しかし、ユーリーはその事実にその日の夕方まで気付かなかった。
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