Episode_25.01 焼け跡のデルフィル


 四都市連合の櫂船団による襲撃を受けた後、デルフィルの街は復旧作業に追われていた。特に被害が大きかったのは港湾地区の大型船用岸壁や中型船用の桟橋、その奥に続く幾つかの倉庫、そして港湾地区に西に広がる労働者達の居住区であった。


 その内、大型船用岸壁では打ち壊された荷役用設備の修復や、防衛用の大型兵器の修復が可也の早さで進められている。大量の人と資材を投入して真っ先に港の機能を復旧させたい、という優先順位の付け方は交易によって成り立つデルフィルならば当然の判断であった。だが、港が復旧したとしても、デルフィルの港に交易船が入港する目途は立っていない。依然として沖合に四都市連合の軍船団が留まっている状況では、そんな危険な航路に大切な船を差し向ける海商人が居るはずも無かった。


 一方、同じく被害を受け、区画の三分の一が焼失した居住区は殆ど手付かずの状態であった。襲撃から五日が経過しても尚、労働者の居住区は焼け落ちた家屋の残骸を片付けたのみで復興へ向けた兆候は見られない。焼け出された人々の内、他に伝手がある者は居住区を離れているが、それでも残った大勢の人々は、元の長屋の焼け跡に粗末な天幕を張ると不自由な暮らしをしていた。


 そんな彼等の僅かな助けとなったのは、幾つかの豪商が私財を投じて行った炊き出しだろう。豪商達の中でも先陣を切って活動を開始したのはスカース・アント率いるアント商会デルフィル支部であったという。だが、炊き出しを行う場所にはアント商会の屋号を示すものは何もない。誰が意図した慈善活動か分からないようにしてこれを行う所にスカース・アントという青年の人柄が表れているといえる。


****************************************


「大したものだよな……」


 焼け跡となった居住区に幾つか設けられている炊き出しの基地、そこに並ぶ人達は憔悴した風であるが、食糧の確保に一定の安心を持っているように見える。そんな光景を見てユーリーは感心するような声を漏らした。その声に、一緒に街の様子を見て回っていたリリアが振り向くと、


「え、何が?」


 と言う。少し弾んだ声色だ。無残に焼け落ちた居住区では似つかわしくないと顰蹙を買い兼ねないが、これでも彼女なりに自制した方だった。


 つい数日前までは別行動で、傭兵としてスカリルの街に滞在していたリリアは、戻った後はリーズの看病に当たっていた。そのリーズが昨日目を覚ましたので、ようやく日中の行動をユーリーと共に過ごす事が出来ているのだ。声が弾むのは無理もないだろう。


「スカースさんだよ……大した人だ」


 そんな彼女の質問に応えるユーリーは努めて笑顔を装うが、それも束の間のことで、直ぐに表情が曇る。ユーリーが表情を曇らせた理由は、まさに目の前にある炊き出しの光景にあった。勿論、炊き出し自体が気に入らないのではない。だが、それを数名の有志に頼っている状況に問題があると感じていた。本来ならば、施政府議会が先頭に立って行うべき行動であるが、現在その施政府議会は麻痺状態に陥っていたのだ。


(それに引き替えて議会は……仕方が無いと言ってしまうには、余りにお粗末だよ)


 リリアの心配そうな視線を余所に、ユーリーは深く溜息をつく。炊き出しの大鍋から漂う麦雑炊の匂いがふと漂っていた。


****************************************


 デルフィルという立地は、本来ならばリムルベートとコルサスという二つの大国に挟まれ、両国が覇権を競い合う場になりえる土地である。だが、実際はリムルベートとコルサスの両国が緩衝地帯と定めたことにより、実に百数十年に渡る平穏な日々を享受していた。嘗て、五十年ほど昔に一度、リムルベート王国の前王ローディルスが即位した前後にこの地域の政情が一時的に不安定化したことはあった。だが、その当時でさえもデルフィルは直接的な武力による攻撃に晒されることは無かった。


 そのような地政学的な状況はデルフィルの街に、外敵への備えに割り振るべき力までも経済の発展へ向ける事を許した。ギルド政治と呼ばれる政治形態はその最たるものである。そして、外的環境がもたらした平和な時間を経済の発展に費やし、その恩恵を享受していた独立交易都市国家は、今になって代償を要求されることになったのだ。


 だが、長く続いた平和はデルフィルから外敵に対処する能力を奪っていた。それは金や兵力の問題ではない。それらを能率的に運用する組織と仕組みがデルフィルには無いのだ。その事実はスカリル襲撃から奪還に至る軍事行動で明らかになっていたが、今は被害を受けた街の復旧という作業で支障が出ていた。


 例えば、復旧を急ぐ港湾設備の作業一つをとっても、それはデルフィル施政府議会の議決を伴った行為ではなく、実害を受けた港湾ギルドと海商ギルドの独断による行動であった。しかも、その独断に対する追認を求める二つのギルドに対して、デルフィル施政府議会は追認を与えることさえ出来ない始末であった。


 そのような状況が、ユーリーの溜息の原因であった。


「ねぇ、そろそろ時間じゃないかしら?」

「あ、ああ。もうそんな時間か」

「行きたくなさそうね……」

「本音はね」


 炊き出しに並ぶ人々を遠巻きに見ていた二人であるが、そのような会話になっていた。浮かない表情のままなユーリーに時間だと告げるリリアは少し不満気な表情だった。そんな彼女はハシバミ色の瞳を細めて見透かしたように言う。対するユーリーの答えは素直だった。行きたくないのが本音だとユーリーが語る場所はデルフィル施政府議会であった。正しくはスカリル攻略の際に設置された軍事行動を議論する小規模会議である。


 施政府議会の麻痺状態はさておくとしても、四都市連合側が次の襲撃を仕掛ける可能性は高かった。そのため、可能な限りの対応を、と小会議は継続されている。


「今日はブルガルトも参加する。多少の進展は有るだろうさ」

「そうだといいわね……じゃぁ、私はあの炊き出しを手伝ってくるわ」

「分かった、また今晩に」

「うん」


 炊き出しの列へ駆け出していくリリアの後ろ姿は少し不機嫌そうだった。そんな彼女を目で追ったユーリーは、今頃になって後悔を感じる。久し振りに二人で外を出歩いたというのに、自分は素っ気なさ過ぎたのではないか? という後悔だ。


(……ダメだな)


 気が進まない道のりを議事堂へ向けて歩き出したユーリーは、今晩の彼女の機嫌をどうやって取り持つか? という事を考えていた。少なくとも、これから先の会議の内容を考えるよりは心楽しい想像だった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る