【最後の正塔編】崩壊の足音

Episode_25.00 「魔女の大釡」放火事件


 この日、メオン老師の姿は王都リムルベートにあった。ユーリーが持ち込んだ生命魔術に関する魔術書の鑑定を旧知の老魔女レナに託してから約ひと月後のことである。あの後、メオン老師は一時樫の木村の自宅へ戻っていたが、つい先日、その老魔女レナから


 ――粗方調べ終わったから結果を聞きに来い――


 という連絡を受け取っていたのだ。そのため、メオン老師は昨日の夕方にサハン・ユードース男爵の屋敷の一室へ「相移転」の魔術で移動すると、一晩の宿を借りた後、この日の正午前に「魔女の大釡」という奇妙な名の魔術具店を訪れる予定をしていた。


 この時、四都市連合によるデルフィル襲撃の報せは未だ王都リムルベートに伝わっていなかった。そのため、王都の人々の関心は西のオーバリオン王国との軍事的な緊張の高まりに向けられている。しかしそれも遠方の出来事であり、人々の関心もそれほど高くない。王都に暮らす人々の日常は尋常なままに過ぎていた。


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 大通りを歩くメオン老師の姿は齢九十歳に近い高齢とは思えない矍鑠かくしゃくとしたものだ。尤も、老師に言わせれば魔術師というのは押し並べて長寿であることが多いという。古代ローディルス帝国の主人であった魔術師達は、今の人間と比較すると長寿であった。そして、現代において魔術を操り得る者とは、そんな古代ローディルス帝国の魔術師の血を他より濃く受け継いだ者達だ。その器質の一部である長寿の影響を僅かでも受け継いでいる、と言う事である。


 だが、世間一般には「魔術師即ち長寿」という理解は浸透していない。研究に没頭する余り不摂生な生活を送り短命に終わる者や、危険な古代遺跡の探索に挑み命を落とす者が多い、という理由からだ。また、魔術師側もそれ以外の人々から気味悪がられる部分を隠しがち・・・・という理由もあった。


(まぁ、気味悪がられるのは仕方が無いじゃろうて)


 魔術師側が如何に気を使っても、彼等の存在が一般に受け入れられる事はないだろう。やはり、今の世の中は遥か昔にあったローディルス帝国による魔術師以外への弾圧の記憶を潜在的に引き摺っているのだ。そんな事を考えるメオン老師は、次いでそんな魔術師への偏見を助長するような怪しげな店の佇まいを思い出した。勿論、それは老魔女レナが営む「魔女の大釡」の事である。


(確か……この先の辻だったか……)


 記憶を頼りに大通りを進むメオンは、しばらくして店の近くに差し掛かった。正午近くの大通りは通常の人出である。だが、もうすぐくだんの怪しげな店構えが見える、というところでメオンは足をとめた。


(ん、なんじゃ?)


 丁度、店があるはずの場所に人だかり・・・・が出来ているのだ。その人だかりはまるで野次馬のようにレナの店を遠巻きに見ている。彼等の間にはそれと分かる衛兵隊の姿もあった。衛兵達は野次馬を店から一定の距離に遠ざけているようで、その場所に人垣が出来ているのだ。平均よりは長身であるメオンの目は、そんな野次馬と衛兵隊の頭上にレナの店の軒先を捉える。だが、それは遠目に見ても分かるほど焼け焦げていた。明らかに火事の後である。


「燃え広がらなくて良かったなぁ」

「怪しげな婆さんの店だったが……ったく、これだから魔術師ってのは」

「レナ婆さんはどうなったんだ?」

「オーディス神殿へ担ぎ込まれたらしいぞ」

「へぇ、無事だったのか」


 メオンの耳に、そんな住民達の会話が聞こえて来た。


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 知恵と学識の神オーディスの神殿は王城を取り囲む三重の城壁の最外周、第三城郭内に存在している。神殿の立地が一般の人々にとって不便な第三城郭内に在るのは、その信仰が一般の人々向けではないからだ。この神殿に信仰を捧げるのは学者や魔術師、又は高級官僚といった人々だ。そのため、神殿は王立アカデミーからほど近い場所に存在している。


 無残な火事跡を晒した「魔女の大釡」を後にしたメオンは、その足でオーディス神殿へ向かっていた。そして、神殿というよりは大き目な礼拝堂といった趣の建物の一室で、焼け出された老魔女レナと面会を果たしていた。


「レナ、何があったんじゃ?」

「……賊に入られた……ようじゃ」


 問い掛けるメオンに、レナは普段の口癖も忘れたように意気消沈としている。先ほどまでは彼女の息子である宮中魔術師ゴルメスが付き添っていたが、今は役目のために王宮へ戻っている。そのため、この場にはベッドに横たわるレナと、粗末な木椅子に腰かけたメオンしかいない。


「王都で賊とは珍しいな。しかし、只の賊なのか?」

「まさか……これでも店の用心は万全のはずじゃった。戸も雨戸も全て魔術的に施錠しておったし、裏口の近くには『鳴き石』の魔石も置いてあった。しかも、夜の間は店全体が恐怖場テラーフィールドに包まれておる……」


 老魔女レナの言うとおりならば、大して高価な品を置いている訳でもない彼女の店「魔女の大釡」は、不相応なほど厳重に魔術で守られていた事になる。だが、


「しかし、破られた、と……」


 メオンの言葉にレナは皴だらけの口元を一文字に引き結んで眼を逸らした。


「やはり例の魔術書か……店に掛けられた魔術的な防御を根こそぎ解呪した上でアレを盗った後に火を放ったのじゃろ。そうでなければ、あの魔術書に仕掛けられた対抗魔術で店は向こう三軒を巻きこんで爆発しておる」

「……まったく、お主のせいで厄介な目に遭った!」


 メオンが披露する考察にレナは顔を背けたままでそう言った。メオンからすれば、もう少ししおらしい・・・・・態度でも良いのではないか? と思わない事もないが、昔から彼女はこう・・であると思い出していた。


「あってしまった事をとやかく言っても仕方ない。とにかく無事で良かったのう、火葬されるには未だ少し早かろうて」

「ふん、言っておれ」

「ところで……例の魔術書、あれにはどのような秘密があったのじゃ?」


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 第三城郭のオーディス神殿を後にしたメオンは老魔女レナが語った内容を整理していた。


 鑑定の内容を聞こうとしたメオンに対してレナが鑑定料金に店を失った見舞金を付け足した金額を要求するという一幕があったが、メオンから金貨三十枚を手に入れた彼女は、その後大人しく説明を始めた。


 ――随分と回りくどく隠されていたが、あの魔術書はどうやら別の魔術具に対して掛けられた封印を解く鍵じゃな――


 彼女が語るには、あの生命魔術を記した魔術書は魔術書としての意味以外に、何かの魔術具に対する封印を解く鍵だということだった。しかも、


 ――封印を施し、鍵を隠しこんだ者達の名はアルヴィリア……または「白き鼓動の会」というらしい――


 ということだった。


 それを聞いた時、正確には白き鼓動の会アルヴィリアという名を聞いた時、メオンは記憶の中に微かな引っ掛かりを感じていた。その場では思い出せなかったが、妙に聞き覚えのある名前だったのだ。


(アルヴィリア……何処で聞いた名じゃったか?)


 今もその名前の由来を思い出せないメオンは、大通りの隅を歩きながら思考を続ける。


(……まぁ良い。とにかく魔術書を狙った連中はあれが鍵であることを知っておったのじゃろう……ならば、封印されているという魔術具の方は既に手に入れたか、手に入れる算段がついておるのか)


 そこまで考え至ったところでメオン老師はふと足を止めた。そして、魔術書を彼に渡したユーリーの説明を思い出していた。


(ユーリーめは確か下位魔神を倒して、魔術書と一緒に何かを手に入れたと言っておったな……しかも、それを同行した冒険者に渡したとも……勿体無いと思ったが、或る意味正解じゃな)


 というのが、今のメオンの感想だった。インカス遺跡群の第四層にまつわる話をユーリーから聞かされた時のメオンの感想は「勿体無い」というものであった。だが、今になってみれば得体の知れない者達から狙われること無く済んでいるという事になる。


(気前の良さで難を逃れるとは……まるでマーティスのようじゃのう)


 嘗ての親友マーティスはユーリーの祖父である。メオンはマーティスの人柄を思い出し、彼に似た部分をユーリーの中に見つけた。自然と口元が綻び、止まっていた足取りが戻る。しかし、次の瞬間――


「マーティス……塔……そうか、エクサルが言っておったのか!」


 往来の中で、メオン老師は「白き鼓動の会アルヴィリア」の名を聞いた顛末を突然思い出していた。


 突然大声を発した老人に往来の人々は驚いた視線を向ける。だが、その老人はそんな人々には構うこと無く、彼等の前から忽然と姿を消した。その様子を我が目で見ていた人々は驚いた風に老人の姿を探して視線を彼方此方へ向けるが、やがて何かの見間違いだと思う事にしたのか、元通り夫々の行く先を目指すのだった。

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