Interlude_25.08 ザメロン
その瞬間、アンナはほぼ反射的に防御魔術である
だが、発動された中程度の防御魔術は極属性を得た攻撃魔術の威力を完全に減衰できるものではない。その事をよく知るアンナは、必然的に訪れる熱と衝撃の破滅的な破壊に身を強張らせる。
しかし、彼女を最初に襲ったのはガッシリとした筋肉質の肉体が覆いかぶさる感触だ。
(アズール!)
覆いかぶさるような動きに押し倒されつつ、アンナは名を呼ぶ。しかし、それが声になる前、目が眩むような閃光と共に防寒用のローブを引き裂き皮膚や髪を炙るような衝撃と熱が襲った。そこで彼女の意識が途切れた。
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「――幾分減衰されたとはいえ、頑丈な身体だな……」
轟音が治まった逆塔の基部にそんな声が響く。その声は、きな臭い臭気と熱の残滓が漂う空間には不釣り合いなほど平静として、どこか飄々とした響きを持つ。その声の持ち主が呆れたような言葉と共に見る先には、床に折り重なって倒れ込んだ二人の人物、特に小柄な魔術師を庇うように背を晒して倒れ込む偉丈夫の姿だ。その背は衣服が焼け落ち、肉が焼け爛れた酷い火傷の様相を呈しているが、
「オーガーであっても爆散し、下位魔神すら退ける威力なのだが……」
その声は、まるで溜息を吐くようにそう言うと二歩三歩と歩み寄りつつ、
「――流石は『使徒』と言ったところか……
その時、倒れ伏して動かなかった使徒アズールが
「やはり、あの程度では死なぬのもあの時と同じか」
「……あの時……とは?」
肺まで達する火傷のためか、アズールの声は掠れて聞き取りづらい。だが、その奥には強烈な何かがあった。
「ほう……生きてはいるが喋れるほどとは、驚いた」
「……あの時とは……」
飄とした表情を通り越し、笑いを浮かべた男に対して、アズールは重ねるように言う。
「……二十二年前の冬……ここより遥か西の地……の事か?」
アズールの途切れ途切れの言葉に、男は笑顔のまま目を丸くする。
「同族の死を感知できるのか、驚いた……まさしくその通りだ」
「では、その時、その地で……弟を殺したのは……?」
「ほう、あれはお前の弟だったのか……はは、全く奇遇――」
アズールの問いに、男は嘲りを含む口調で答える。だが、その言葉を言い終える前、男の表情がさっと変わった。目の前で異変が起こりつつあったのだ。
「――そうか、名も知らぬ人間……お前が弟を殺したのか――」
煮えたぎるような怒りを宿した言葉とともに、使徒の特性である「膨大な生命力」と「生命力優位の
使徒としての使命はこの世界の様を見守ること。そこから派生し異次元からの破滅的な介入を防ぐことだ。だが、アズール個人として、弟ジュリームを殺した相手に憎悪を向けることは自然だ。
弟ジュリームは生の意味を求めて下界へ下りた。そして、その意味を見出した。だが、それを長く見届けることが出来ずに命を落とした。それがどれ程辛かったか、悲しく寂しく未練の残るものだったか、同じく生の意味をアンナに見出したアズールには良く分かった。
その共感が湧き上がる憎悪に力を与え、生命力を励起させる。圧迫感を以て輪郭を束縛していた
(――力が戻れば今の世の魔術師などものともしない圧倒的な力を振るうことができる。ジュリームの無念、目の前の男を排除し、やるべき事を果たす、そしてアンナの傷を――)
アズールは足元に蹲ったままのアンナを見る。庇いきれず、白い肌の彼方此方に口を開けた無残な裂傷からは血が溢れ、細く柔らかな金髪は火で炙られたように焼け縮れている。だが、生きている。
愛する者を傷付けられた怒りと、まだ命を保っている希望がアズールの生命力を一段と強く励起させる。そして、
「覚悟しろ、名も知らぬ人間――っ!」
アズールの声がそう宣言した瞬間、彼の背には強烈な光を伴った翼が羽を広げる。だが、
「……愚かしくも、同じ轍を踏むか……流石は兄弟」
制約の魔術を破られ、不利な状況に陥ったはずの男は、その瞬間、明らかにそれと分かる嘲笑を浮かべていた。その手には、先ほどまでアンナの元にあった解封の短剣が握られていた。
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覆いかぶさっていたアズールの重みが消えたことで、アンナは意識を取り戻していた。しかし、全身を襲う強烈な痛みのせいで倒れ込んだままの姿勢を動かすことが出来ない。何とか状況を確認しようとするが視界は茫として焦点を結ばない。そのかわり、聴覚の方は先に周囲の音 ――アズールと別の男の会話―― を伝えてきた。
言葉の遣り取りの中、アズールは珍しく怒気を孕んだ声を出している。しかし、そのことよりもアンナの注意を惹いたのは、アズールと言葉を交わすもう一人の声だ。その声の持ち主が奇襲の如く強烈な攻撃魔術を放ったことは察しがついた。だが、アンナの注意を惹いた理由は、その声に対する
(……ザメロン……なぜ、ここに……?)
思い当たった声の主は魔術結社エグメルの高位の導師ザメロンだ。原師に次ぐ地位ではあるが、本来は「謀略」側を統括する責任者としての位置付けになる。権謀術数に長ける反面、魔術師としての印象は薄い。どちらかといえば謀略家として組織の収入面を支える人物、といった印象のある男だ。
そんなザメロンの魔術師としての実力がエグメル内部で語られることは無かった。だが、総じて「魔術師としては大したことは無い」という風潮があったことは確かだし、比較的新参者のアンナもその評価を受け入れていた。
だが、そんなザメロンが今、自分達を奇襲し企みを阻もうとしている。しかも、怒りを帯びた使徒アズールを前にして動じることなく、しかもアンナも話の経緯は知っているアズールの弟ジュリームを殺害した、と仄めかしているのだった。
(……バレていた……完全に掌の上だったというわけか……口惜しい)
(どうすれば?)
(どうも、こうも……お前の情夫が勝てれば良いのだが……)
アンナは頭の中で共生するラスドールスの意識と短く言葉を交わす。どうにか視界は戻りつつあり、周囲の状況が朧げに分かり始めた。
自分を背に庇うようにして立つアズルールの背には光の翼が具現化している。対して、その向こうに立つザメロンはいつの間にか解封の短剣を手にしているが、憎たらしいほど普段通りの風情で立っている。
その普段通りな様子に不安を覚えたアンナは、絶え間なく襲う苦痛の中、必死に魔術の発動を試みる。だが、普段ならば呼吸するほどの意識で発動できる魔術が念想上の魔術陣を結ばない。
(……くっ、何故――)
(落ち着け、別に魔力が
(――そうね……)
魔術が発動困難な状況に、アンナは既に自身が魔術発動を妨げる
(手間がかかる展開は無理……ザメロンの様子が、あの余裕が気になる)
(ならば、簡単なところ
(そうね)
内心の談合の結果、ごく初歩的な魔術の発動に取り掛かるアンナは、普段からは想像もつかない時間を掛けて魔力検知を発動した。そして、
「ア、 アズールっ、だめぇ……」
視覚的に捉えられた展開済みの魔術陣 ――既に発動している魔術的な罠―― を目にしたアンナは切れ切れの声を上げざるを得なかった。
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使徒というのは強力な存在だ。嘗て大崩壊の際、召喚された異神がこの世界に招き入れた眷属 ――夫々が中位から上位魔神並み―― を前に、ローディルスの魔術師は形勢不利であったが、使徒の介入により一気に押し返した。その事を
しかし、その一方で、単純で直情的、しかも自らの力に過大な自信を持っている彼等は、
(コツさえ掴めば対処に難くない)
のであった。
それでも、北西の正塔を巡り、始めて直接対峙した二十数年前の出来事は、その前から引き続いた幾つかの因縁を含めて、ザメロンも一時相当な覚悟を持たざるを得ない事件だった。だが、その事件は目の前の使徒が怒りに燃えるような結末、つまり当時対峙した使徒の死、であった。
本来、魔力を操る魔術師と強力な生命力を持つ上に「消魔」の特性を持つ使徒とでは、魔術師側が非常に不利である。あらゆる魔術は
(場所が悪い……ここは制御の塔、周囲の生命力を取り込み魔力へ変換する炉の中心――)
今、ザメロンに対して憎悪を向ける使徒は、彼が発動した
「その強すぎる生命力が命取りになる……
ザメロンが魔術を発動した一拍後、使徒が彼へと打ち掛かるため床を蹴って飛翔した。
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少し後になってその時の光景を思い出そうとするアンナだが、一連の記憶は曖昧なものに終始しいていた。幾つかの光景が断片的な印象となって脳裏に焼き付いているが、それらの光景の時系列は特に曖昧であり、ほぼ同時に起きたような印象さえあった。
それは、
制止の声を上げる自分、高まる殺気のまま飛び掛かるアズール、笑みを浮かべつつ魔術を発動するザメロン。
そして、
翼を失い墜落、床を転がるアズール、その上に浴びせられる幾重もの閃光、苦痛を忘れて叫びながら魔術を発動する自分。
更に、
逆塔の基部に突き立てられた短剣、唸りだす床、不意に聞こえたアズールの声、拒否しつつも受け取らされた最後の力、悪態を吐きながら相移転を発動するラスドールスの思念体、そして暗転。
最後に、夕暮れの空、妙に見おぼえのある屋敷の屋根飾りと青銅の門。聞き覚えのある老人の声が
――旦那様ぁー! お嬢様がー!――
と大声を上げている。
しかし、その大声に、
――チェロ、うるさいわよ――
と無意識に口を衝いて出た言葉は良く覚えていた。
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