Interlude_25.07 企みと誤算


 鞘の上に浮き上がった幾何学模様の燐光は徐々に光の度合いを増しながら明滅し始めた。その様子はまるで生き物の鼓動のようにも感じられる。自らの手の内で起こる変化を見つめつつ、アンナはこれから始める自分達の企み・・・・・・について、再確認するように思考を巡らせた。


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 そもそも「大崩壊」の再現を阻止しようと考えるアンナとアズールが、その鍵となる「北東の逆塔」を解封するための魔術具をわざわざ逆塔の基部まで運んで来たのには訳があった。


単純に考えれば、エグメルを欺き、鍵となる魔術具の短剣を入手した段階でそれを破壊すれば全てが済む話のはずだ。実際、アンナとアズールは破壊を試みようとした。しかし、実際の行動に移る前、綿密に魔力鑑定アプライズマナを行った結果、二人はその試みを中断せざるを得なかった。その理由は魔術具の短剣に施された幾つかの魔術的防御によるものだ。


防御の内容はこの魔術具が造られた当初から備えている強力な「保全」の守り、及びその「保全」の効果発動を起点として自動的に発動する「転送アポート」の仕掛けにあった。万が一破壊に至るような外力が加えられた場合、無生物の外観形質を保護する強力な付与術である「保全」が発動し、その発動を契機として別の魔術である「転送」が発動するという仕掛けだ。


更に調べた結果、自動発動する「転送」は後から付け足された魔術であることが分かった。古代ローディルス帝国期に作られた魔術具に後から別の魔術を追加することはかなり高度な魔術的な知識を必要とする。今の世の中で、そのような技術と能力を持った魔術師は皆無といってよい。更に、その「転送」先が示す位相 ――エグメルの本拠地である「凝集の逆塔」―― から考えて、自動発動する「転送」の仕掛けを施したのはエグメルの魔術師の中でも群を抜いて強力な存在、つまり元師であると考えて間違いなかった。


 また、そのような魔術的な防御の仕掛けに守られた核心部分、解封の鍵となるべき魔術陣は強力な防護である「保全」の付与術によって覆い隠され、その全容は不明瞭な状態だった。辛うじて分かった事は、


――特定の位相に到達した時、保全が解除され内包された解封の魔術陣が露になる――


 という事だ。つまり、解封の魔術陣に手を出したければ特定の位相である「北東の逆塔」の基部へ鍵となる魔術具を運ばなければならない、という事になる。そのような事情により、アンナはエグメルの幹部「死霊の導師」としての振舞いを続け、不意打ちにより同僚二名を殺害しこの場に至った、という訳だ。


 肝心の鍵となる魔術陣に対する対処法は物理的な破壊が不可能である時点で対応が難しいと思われた。逆塔の基部へ魔術具を持ち込み「保全」が解除された一瞬後に破壊的な魔術を叩き込む、という方法は一連の行程に不明確な点が多く危険であると判断できた。かといって、解封の魔術陣が保全という殻の外に出た後では既に物理的な干渉は不可能になっていると言わざるを得ない。魔術陣とは概念上の抽象であり、発動以前のものに物理的に干渉することは出来ないのだ。辛うじて可能性がある方法といえば解呪ディスペルを直接魔術陣にぶつけるという方法だが、成功の保証はなかった。


 鍵を破壊する術が無い以上「北東の逆塔」解封阻止の試みは実現が限りなく不可能に思われた。だが、その状況を打破する策は意外にも二人の身近に存在していた。それは、アズールが持つ「使徒」としての能力、つまり強力な「消魔」の力である。


その事に気付いたのは、約十年前にその力を身を以て体験した古代の魔術師ラスドールスの思念であった。当時、西方辺境リムルベート王国の開拓村近辺の洞窟内で、調査に訪れた女魔術師アンナの意識と身体を乗っ取ったラスドールスは、自身が編み出した死霊魔術「憑依」の術を進行させつつ、同時に近隣の村である樫の木村を襲撃した。


 彼の常識では魔術の力を持たない蛮族の村を襲うのは、憑依が進行中という中途半端な状態でも問題無い、という判断を齎していた。また、絶望的な長期間を石棺の間に封印されていた彼は、自分でも抑えることが出来ないほどの破壊的な衝動に理性を欠いていたともいえる。


 とにかく、「憑依」という魔術陣がむき出しの状態で村を襲撃したラスドールスは、そこで一人の少年によって魔術の根幹を成す魔術陣を打ち砕かれることになった。突然少年の背中に生じた純粋なエーテル体による光の翼、それに打ち据えられたラスドールスは「憑依」の行程を中途半端に破壊され、結果として女魔術師アンナの意識と不完全な融合を遂げ、今に至るのだ。


 不完全な融合の結果出来上がったアンナ・ラスドールスともいうべき存在が、彼女に今の境遇を齎した「消魔」と同じ力を持つ使徒アズールと共に在るのは、或る意味


(複雑すぎるわね……運命? なんて呼んでみたり)


 というものだった。


不意に浮かんだ運命という言葉で自分とアズールを括ってみた時、アンナは妙に温かい感情を覚えた。こんな時なのに、頬が緩むのが不思議だった。


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「……始めましょう、アズール」

「そうだな、それの準備は良いのか?」


 微笑みかけるように言うアンナに、アズールはそういうと彼女の掌の短剣を見る。短剣の鞘には既にはっきりとした幾何学模様が浮かび上がり、鼓動のように明滅を早めている。一方のアンナは、その問いに無言で頷くと片手で柄を、もう片手で鞘を握り直す。そして、ゆっくりとした動作で短剣を鞘から引き抜いた。


 現れた刀身は真銀ミスリル特有の白っぽい金属光沢を放つ。その刀身の上には鞘に在った幾何学の魔術陣がそのまま留まっている。一見すると不思議な光景だが、二人の注意はそこには無かった。


「この魔術陣が消えたら、鍵となる魔術陣が現れるわ」

「わかった――」


 説明するアンナの言葉に答えるとアズールはゆっくりと息を吸う。そして、体内に存在する生命力エーテルを励起させた。後は両手を一杯に広げる様を思い描くだけで、彼にとっては産まれ持った能力である光の翼が具現化する。その光の翼で目の前に現れつつある魔力の凝集体をひと撫ですれば、凝集し魔術陣を形成した魔力マナは対となる力である生命力エーテルへと変換される。魔力から生命力へ、またその逆への流転も、全てがこの世界のことわりであった。


(これで終わる……いや、これから始まるのか?)


 希望に似た内心の声に対して逆説めいた考えが浮かぶ。その瞬間、アズールは不意に鼓動が早まるのを感じた。


「――っ?」


 未来に対する期待に胸が躍るのではない。これまで平常通りだった心臓が急に早鐘を鳴らすかのように脈打ち始めたのだ。それは、迫る危険を知らせる本能なのかもしれない。


「ア、アズール?」


 心配するようなアンナの声は、アズールの耳には届かない。突然全てがおかしくなった。逆塔の基部を成す足元と四方を囲む黒曜石の壁面、頭上に広がった広大な空間、四方八方から強烈な圧迫感を受ける。それは、途轍もない速さで自分へ向かって収束する空間そのもののように感じられた。


(なんだ、これは?)


 圧迫する空間を押しのけるよう、アズールは生命力を励起させる。だが、具現化の一歩手前だった光の翼はおろか、種族として内包する強力な生命力は彼の意識に反して変化を起こさない。一方、彼を圧迫する空間は、まるで投網が獲物を捕らえるかの如く、ついに彼の輪郭を捉えた。迫りくる空間と認識されたそれ・・は、今度は分厚い膜のように彼を覆いつくして更に圧迫する。


生命力エーテルが……燃える?)


 次なる変化は速やかに起こる。アズールにまとわりついた膜は、彼の輪郭を削り取るように外側の生命力を侵食し始めたのだ。


「アズール!」

「ア、アンナ……にげ――」


 次の瞬間、逆塔の基部に眩い光輪が広がる。光と同時に生じた高温が淀んだ空気を押し広げ、轟音と共に辺りを舐め尽くした。

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