Interlude_25.06 逆塔の基部で


 一瞬の浮遊感を与え、地下へ続く昇降装置は下降を開始した。悠久の時を放置されていた装置であるが稼働は問題がないようだ。今は封印されているとはいえ、制御の塔が自然に放射する魔力マナを動力源としているからだろう。このような魔力装置を造り出す術は今の世では失われている。それを少し残念に思うアンナは、目の前の壁面に視線を移す。磨き上げられた黒曜石の壁面には自身の姿と、その斜め後ろに立つ偉丈夫の姿があった。


 北東の逆塔探索の任務に就いてからというもの、二人きりで過ごす時間は少なかった。アズールの存在が露呈することや自分達の企みが露見することを警戒せざるを得ない状況に、企みの打合せはごく短時間に限られていた。それは要件を手短に伝える会合であり、とても男女の逢瀬と呼べるものではなかった。


 そのためだろうか、アンナは急に湧き上がってきた感情に正気が翻弄されるのを感じた。


(……)


 こういう時、アンナの中に存在するラスドールスの思念は意識の底に気配を隠す。彼なりの配慮なのか、それとも今のような境遇に至る切っ掛けとなった「使徒」の力を本能的に畏れるためなのか、それはアンナには分からない事だ。


「アンナ……」


 斜め後ろから掛けられた男の声にうなじの毛が逆立つ。何故か振り向けず、前を見る。そこには碧い瞳に自分に負けないほどの情を宿した男の姿がある。その立派な体躯に吸い込まれるように、アンナは斜め後ろに半歩下がりながら、さらに手を伸べて温かさを探った。


「あ……」


 その瞬間だった。これまで一定速で下降を続けていた床面が減速を開始した。不意に体の重さが増す感覚に、地に足の着かない心地だったアンナはあっけなく姿勢を崩す。そして、一拍後には、たくましい両腕に抱き支えられた格好になっていた。


「……大丈夫か?」

「えぇ……」


 まるで乙女のようにか細い声で答える自分。染み入ってくるような温かさ。耳鳴りに感じるほど高まった鼓動。このまま全てを、企みの事など忘れてしまいたくなる。しかし――


(……おい、いい加減にしないか……)


 聞き馴染んだ皺声が脳裏に響いた。少し呆れたようなその声は、流石に場所と状況を弁えろ、と言いたいようだった。


「……さ、さぁ……着いたみたいよ」

「あ、あぁ……そうだな、行こうか」


 気恥ずかしさを取り繕うような二人の会話。それを待っていたように、目の前の壁面は音もなく両開きに開く。先には光源不明の燐光に照らされた真っ直ぐな廊下が続いていた。


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「身体がおかしくなりそうな量の魔力だな」


 頭上に広がる広大な空間を見上げたアズールは、こめかみを押さえる仕草でそう言った。


「そうなの? そんな風には感じな――」

「いや、上は見ない方が良い。魔力を視る魔術・・・・・・・を使っているのだろう。目が潰れる」

「……頭上に魔力を遮る力場があるって事かしらね」

「封印というモノの効果だろうな」


 長く続いた廊下の先、突如として開けた空間に出た二人はそんな会話を交わした。声の反響具合から頭上には広大な空間が存在する事は分かったが、先に見上げていたアズールは彼に倣おうとするアンナをそう言って制止していた。


 二人が今立っているのは全体的に磨き上げられた黒曜石で造られた真四角の空間だ。足元には当然床があるが、頭上には天井の存在は感じられない。


「なるほど、逆塔とはよく言ったものだ」


 アンナを制止しつつ、自分は何度か瞬きを繰り返しながら上を見上げ続けていたアズールは納得したような声を出す。彼の特殊な視力は分厚い雲のように頭上にわだかまる魔力を透かし見る事が出来た。その結果、この場所が巨大な逆四角錐型の空間の底部であることが分かったのだ。


 一方、アンナの方は頭上を見るのを諦めて足元に視線を落とした。魔力検知マナディテクトの力を得た彼女は中央部の床に赤紫色の光を認識する。状況からして、その場所が「封印」の核であることは当然の推察になる。


「感心するのは良いけど、早く終わらせましょう」


 そう言ってアズールを促したアンナは、防寒用のローブの懐から短剣を取り出す。その短剣は、先ほどまで同行者だった魔術師の一人が口にした例の魔術具・・・・・である。精緻な細工が散りばめられているとはとても評し難い、古びているが何の変哲もない鞘に収められている。とても古代ローディルス帝国の遺物、「大崩壊」の再現に関係しているような秘物アーティファクトには見えない。それどころか、一般的に高値で取引される魔術具にすら見えないほどだ。


「地味で面白味の無い外装よ」


 短剣の柄を握ったアンナの感想は、正しくはラスドールスの基準による評価だ。非常に長い間続いた古代ローディルス帝国期。その全時代を通して魔術具は盛んに造り出された。その内、中期以前の神代に分類されるような時代の作品は簡素さと美しさを両立させようという造り手の意図が感じ取れるものが多い。一方末期に近づくほど装飾が華美になる傾向があった。


 その基準でいえば、アンナの掌にある魔術具はローディルス帝国最後期の作品ということになる。だが、アンナの評価通り地味な外装は造られた時代の作風と一致していない。それは、


「よほどに切羽詰まった状況で作られた物、という事が出来るわね……」


 という背景があるようだった。アンナとラスドールスの推測では、恐らく「大崩壊」を経験して間もない時期に、各地に設置された制御の塔を封印した勢力が存在したと考えていた。それは「大崩壊」を生き延びた魔術師達で、中央に近く、しかし異神の召喚実験には参加していない勢力、つまり


白き鼓動の会アルヴィリアの連中が造ったものだろう。だが連中は主に生命魔術系だからな、付与術や魔術具製作の見識では劣ったのだろう)


 というラスドールスの思念の通りで間違いないだろう。


(もっとも、魔術具など機能を果たせばよいのだ。吾輩の杖がそうであるようにな……)


「……経緯に興味はあるけれども――」

「――今はやるべきことをやろう」


 アンナはラスドールスの思念に区切りをつけるような言葉を発する。対して彼女のもとに歩み寄っていたアズールはそんなアンナの内にあるラスドールスの思念が聞こえていたように言葉尻を補う。その言葉に少し驚いた表情を浮かべたアンナは、短く頷くと視線を掌の短剣へと向ける。


 つい先ほどまで無地だった鞘の表面に、徐々に複雑な幾何学模様が赤紫の燐光と共に浮かび上がってくる。塔の封印と共鳴している証であった。



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