Interlude_25.04 急襲


 錐のように突き立った独峰は忽然と消え去り、次いで起こった突風が治まる。あとに現れたのは、周囲の岩棚とは質感と色が異なる白い大理石の地面だった。幻影によって蓋をされ、長年に渡り風雪の侵食から守られていたその表面を数百年振りに冷たい風が吹き抜けていく。


 二人の同行者である魔術師は、幻影が突然解除された状況に、まだ驚愕の余韻を残している。一方のアンナは、そんな二人の様子に構わずにその地面へと足を踏み入れた。滑らかな大理石の表面を防寒用のブーツの底に打ち込まれた金具が擦る音、そして紅血石を頂いた杖の石突が打ち付ける音が妙に甲高く響く。


アンナが歩む先 ――大理石の地面の中央部分―― は、そこだけ周囲と異なり、黒い光沢を持った正六角形の床面となっている。広さにして差し渡し四メートル強のその場所は、鈍い鉛雲から得られる陽の光からは不釣り合いなほどはっきりと、黒曜石の濡れた光沢を発している。魔力検知ディテクトマナを使う必要がないほど明確な異常性、魔力を帯びた装置の一部であることは明白だった。


(……残念、やっぱり「封印」ではないわね)


 黒曜石の床面を前にアンナは内心でラスドールスの思念と言葉を交わす。首尾よく幻影を解除したものの、アンナの言葉には少しの落胆があった。幻影を取り去った後の地表に封印が露出していることを期待していたからだ。


(それはそうだろう。だが、見たところ単なる昇降装置だ……転送門ではないだけまだ簡単だと思うべきだ……)


一方ラスドールスの言葉には少しの安堵があった。というのも、彼等の企み・・・・・において憂慮されていた幾つかの問題の内のひとつ ――封印へ辿り着く手段―― が単純な物理的移動に過ぎなかったからだ。これが「転送門」だった場合、何等かの魔術的な防護を施されている恐れがある。例えばエグメルの中枢である「凝集の逆塔」内部で多用されている転送門には招かれざる侵入者・・・・・・・・を拒むための魔術的な障壁が幾つも展開されている。もしもその種の防護が施されていたら、彼等の企みの遂行はとたんに難しいものになっていただろう。


(種族選別の障壁のせいで主役・・が侵入できない、という事態はなさそうだ)

(主役……まぁそういう事になるわね)


 ラスドールスの言葉に対してアンナは足元に向けていた視線を上空へ向ける。しばらく無言の時が流れる。背後ではようやく状況を呑み込んだ二人の魔術師がアンナへ近づく気配があった。


(――じゃぁ、そろそろ始めましょう)


****************************************


 二人の魔術師は死霊の導師に声を掛けることができず、お互いの顔を見合わせていた。


先ほど解封の魔術具に対する不用意な発言を冷たくあしらわれた直後であること、目の前で起こった出来事 ――精巧な幻影が事も無げに解除される―― に理解が追い付かないこと、更に自分達の想像が追い付かない技量を見せた導師に対する畏れから、声を掛けることを躊躇っていたのだ。


 しかし黙って見ているだけという訳にもいかない。先ほどから空を見上げたままの導師に次ぎの行動を促す必要を感じていた。「北東の逆塔」に対する探索は遅れている。しかし、完遂の一歩手前であることは実感できていた。そして完遂できれば上席への昇進は確実だ。そんな状況が、彼等の足を前へと進ませる。


 三歩、四歩と大理石の上を進む魔術師二人は、直ぐに死霊の導師に対して声を掛ければ届く距離に近づく。そして、恐る恐るといった風に声を掛けようとするのだが――


「っえ?」

「あ、あの……」


 彼等が声を発する寸前、これまで空を見上げていた死霊の導師が二人を振り返った。その勢いで分厚いフードが外れ、細い金髪の巻き毛が毀れる。その唐突な動きに二人の魔術師は言葉を失い、意図を探るように彼女の顔を凝視する。対して風に靡いた巻き毛の奥の導師の瞳は、美しい顔立ちとは相容れないほど冷酷な光を湛えている。


「っ!」


 次の瞬間、魔術師の一人は咄嗟に魔力套マナシェードを発動しようとした。死霊の導師には劣るとはいえ、そこはエグメルで「探索」部門に属する上級魔術師だ。相手の表情に明確な殺意を感じ取ると、一瞬の判断で防御手段を講じる。


 しかし、この場合は相手が悪いという他ない。既に魔術陣の念想と展開を終え、発動段階で振り向いた死霊の導師は、右手の杖の宝玉をその魔術師に差し向ける。黒く昏い光が宝玉を中心に一度瞬き、次の瞬間には魔術師の胸元へ収束して消える。


「な、なに……を……」


 その魔術師は自分の胸を押さえると驚きの声を上げた。発動が間に合ったはずの魔力套が何の妨害にもならなかったこと、そして経験したことのない魔術による攻撃を受けたことに対する驚きだ。だが、その短い声でさえ、全て言い終えることは出来なかった。


「これを負の付与術と今の世では呼ぶのかしらね……本来は死霊魔術の一つ、吸命ライフドレンよ。削命エクスポンジよりもずっと高等な術だわ」


 そう呟く死霊の導師は、無感情な視線を向ける。その先で吸命ライフドレンを受けた魔術師は膝から崩れ落ち動かなくなっていた。


「う、裏切るのか!」


 一方、もう一人の魔術師は一拍遅れで状況を把握すると、そう声を上げる。同時に短い補助動作を伴い魔術の発動を試みる。意図したのは雷爆波サンダーバースト、放射系の攻撃魔術で広範囲に雷撃を加える強力な魔術だ。だが――


「うぐぅっ」


 発動手前で魔術師の頭を刺し貫くような激痛が襲う。激痛は一瞬で去ったが、余りに強い痛みを受け、展開を終えた魔術陣は霧散していた。


「これも負の付与術、苦痛ペインゲインね」

「おのれ……」


 苦痛ペインゲインは現在にも伝わっている負の付与術であるが、そもそも高度な負の付与術を補助動作無しで発動することは、喩えエグメルの導師であっても難しいはずだった。しかし目の前の死霊の導師は二度も補助動作無しでそれを発動していた。格の違いは明らかな状況だ。そのため、残った魔術師は速やかに帰還することを選択する。緊急避難用の転送門への移動は、通常の魔術発動手順よりも短い。特定の展開済みの魔術陣を念想するだけだ。


「裏切りの代償は免れ得ないぞ!」


 精一杯の捨て台詞を吐き、魔術師は転送門への魔術陣を念想する。しかし、一瞬で明確に念想が完了するはずの魔術陣は何時まで経ってもぼやけた輪郭しか結ばない。


「っ?」

「……魔力制約マナ・ギアス

「くそっ!」


 次の瞬間、岩棚に漆黒の閃光が灯る。そして、周囲の峰々を揺らすほどの爆音が轟いたのだった。

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