Interlude_25.03 北東の逆塔


 アンナの言葉に、二人の同行者達は顔を見合わせる。お互いの顔には隠し切れない表情があった。これで「こんな辺鄙な土地ともおさらばできる」といった安堵、そして、それ以上に「上位階位への昇進」を期待するような喜び、そんな感情をひとまとめにした高揚感が隠し切れない、といった奇妙な表情である。


 そんな彼らの表情にはそれなりの理由があった。それはエグメル内部の組織や最近の事情に起因する話である。


 そもそも魔術結社エグメル内には彼らのような「探索」を主任務とする部門がある。その部門に所属する者達は「探索」という任務が個人の高い技量を必要とする事情を加味し、ほぼ全員が「上級魔術師」の階位の者で占められている。そのため「探索」部門での出世争い ――次の「導師の座」を巡る競争―― はかなり苛烈なものがあった。


 そうした背景があったのだが、数年前の「東の逆塔」解封の際に発生した漆黒の古竜との戦いによって多くの導師や上級魔術師が命を落とす事態を経て、「探索」部門の内情は大きく変化していた。端的に言えば、上席である導師の位に多くの空きが発生したのだ。


 そのため、元々「北東の逆塔」探索の任務に就いていた二人の魔術師達は、この任務に成功すれば次期導師の座は確実、という状況であった。導師になれば、使える予算の額も増えるし自由な裁量が許される。しかし、それ以上に魔術師にとって魅力なのは魔術結社エグメルが長年かけて収集してきたあらゆる魔術具の使用、古代ローディルス帝国期に失われた魔術知識の閲覧が可能になる点だろう。魔術師にとってこれほど魅力的な対価は無い。


そんな事情から、事態の進展 ――それが必ずしも自力によるものでないにせよ―― に二人の魔術師は興奮を隠しきれなかったのだ。


「では、死霊の導師、例の魔術具をこの場で使うのですか?」


 二人の内の一人がそうアンナに声を掛ける。例の魔術具とは「東の逆塔」にて発見された短剣型の魔術具で、魔術的な封印に対する解除を意図する魔術陣が組み込まれている品物だ。状況的に今使用すると考えてもおかしくない。しかし、


「……どうしてそう考えるのかしら? それは誤りよ。目の前にあるのは高度なローディルス期の魔術といっても所詮は幻影を造るだけの力場術。この魔術具は特定の封印シーリングに対して解除の効果を発揮するもの。根本的に全くの別物よ」


 勉強不足の生徒を叱る教師、というには余りにも素っ気ないアンナの否定の言葉に、問いを発した魔術師は反論できずに口ごもる。彼等の技量では、目の前の幻影の岩肌の魔術的な組成までは解析できなかったのだ。一方のアンナはそんな同行者達の様子を無視すると、


「まぁ、今は講釈している時ではないし、そろそろ時間・・だから――」


 と独り言ともとれる呟きを発した。


(時間?)


 アンナの呟きに同行者の一人が疑問を感じた。そして時間という言葉に対して無意識に空を見上げる。大陸の北東の果てに位置するこの場所では日中の時間はとても短い。日暮れの時間を過ぎれば耐寒の魔術を施したローブでも寒さは耐え難いものになる。だから撤収の時間には敏感になっていた。しかし、鉛色の雲に覆われた空には、雲の向こうに太陽の存在を思わせる明るさがあった。


(まだ日が暮れるような時間ではないが……ん? なんだ?)


 大まかな時間を把握した魔術師は、再び視線を目の前の死霊の導師に向けようとする。その瞬間、ふと鉛色の雲の下を何かが横切った。魔術師は、反射的に視線を再び上空へ向けようとする。しかし、その動きは次いで起こった異変によって遮られた。魔術師として目の前の幻影に対する死霊の導師の対処方法の方がより興味をそそるものだったからだ。


****************************************


 同行者の質問に答えた後、アンナは魔術発動に備えて集中を深める。先ほど同行者に対して答えた通り「北東の逆塔」に施された封印を解くのは短剣型の魔術具で間違いない。だが、その封印に辿り着くには、まず目の前の幻影による「蓋」を取り去る必要があった。また、この幻影による「蓋」を取り去らない限りアンナとアズールが遂行しようとする企みにもたどり着けないのだ。


(高度な複合魔術といっても基本は力場魔術――)

(いかにも、それ故、他からの魔力による干渉には基本的に脆弱だ……ただ、問題は力場が内側を向いて閉じているという点だが)

(ならば、こういうの・・・・・はどうかしら?)

 

 内なる相談を経たアンナは極めて短い補助動作で魔術を発動する。発動されたのは放射系の初歩的な魔術である閃光フラッシュだ。ただし、その発動点は目の前に聳える幻影の独峰の内側・・を指定している。


「……なんだ?」

「さぁ……」


 しかし、目に見える魔術の効果は無かった。そのため、二人の同行者は困惑したように顔を見合わせる。一方、アンナの方は無言で少し頷くような仕草を見せる。


(「閃光」とはケチ臭いな……しかし、力場は僅かに揺れたな。狙い通りだ)


 アンナの内面にラスドールスの苦笑いに似た思念と指摘が響く。苦笑いの方はともかく、強固に組まれた幻影の力場には彼の指摘通り微弱な揺らぎが発生していた。


魔力マナは有限資源よ、無駄使い出来ないわ……もう少し続けるからその間に)

(吾輩が変性術の方を解析するのだな?)

(お願いできるかしら?)

(無論)


 一人分の体に二人分の思念が詰まっている利点とはこんな事しかないだろう、アンナの思考はそう続くが、対するラスドールスは鼻で笑うだけだった。そして時間が過ぎる。外面的には、繰り返し放射系の魔術を行使しているだけである。しかも、全て失敗しているように見える。だが、着実に事態は進展していた。


(変性術も複合術で組まれているが脆弱な場所を見つけたぞ、幻影の表面に温感を発生させている部分だ)

(じゃぁ、そこに解呪ディスペルを掛けてみるわ)

(そうだな、対象が不明なままで解呪を使うなど魔力の浪費だが、対象が判明しているなら効果があるだろう)

(紅血石の魔力を使うわよ)

(やむを得んな)


 ラスドールスの思念による承諾を得たアンナは体内を巡る魔力の経路を切り替える。念想上に存在する魔力の通り道はアンナの意思に従い右手に持つ杖へと接続された。たちまち、アンナの体内へ杖が頂く紅色の魔石から魔力が流れ込んだ。そして魔力の供給を確認した彼女は、今度はこれまでと異なる複雑で長い補助動作を展開する。


 魔術の効果は速やかに、そして唐突に起こった。強力な力場魔術はまるで天蓋のように幾つもの複雑な変性術を支えていたが、その内のひとつ ――偽感―― の効力が失われたことにより均衡を崩し、文字通り支えを失った天蓋のように崩壊したのだ。


「うぉ!」

「なんと……」


 岩の独峰は、唐突に霧散するように消え去った。その様子に同行者達は驚嘆の声を上げるが、それは地形の変化に伴い強烈に吹き込んできた冷たい突風によってかき消されていた。

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