Interlude_25.02 大崩壊の追憶
突然発せられたアンナの声はその前後に脈絡がないものだった。そのため、同行するエグメルの魔術師二人は困惑した様子となった。そんな彼らは、恐る恐るといった風情で彼女の顔を窺おうとする。
二人ともに世間一般では可成り高位の魔術師であり、一般的な魔術ギルドの定める階梯では専ら名誉職である第一階梯を除いて最高位である第二階梯を名乗ってもおかしくない実力者だ。そんな強力な魔術師達だが、アンナの様子を窺う目には畏れと困惑の色が浮かんでいる。
「あ、あの……導師?」
「何か異変でも?」
「……なんでもないわ、少し黙っていて頂戴」
一方のアンナは、同行者達の声を無造作に制する。リムルベートの魔術アカデミーに居た頃の彼女ならば、畏敬の念を以て接せられるこのような遣り取りには幾ばくかの小気味良さや爽快感を得ただろう。しかし、今の彼女には何の価値も無いことだ。
そんなアンナは、同行者の存在をしばし意識の外に置き、目の前の対象物に集中する。
彼女の前に聳え立つのは、寒々しく連なる急峻な峰々の列から外れた独峰。錐のように鉛色の空に突き出している。その造形は厳しい自然が造り上げた奇岩のようにも、又は見ようによっては人の意思が作用した人工物にも見える。だが、それは全て古代ローディルス帝国の魔術師達が造り出した幻影、
その事を既に知っているアンナは峰の麓、妙に滑らかな岩肌に手が届く距離まで近づくと、そこで歩みを止めた。峰はそこに在るが如く在り、巨大な質量がもたらす圧迫感を伴いアンナの頭上を覆う。そっと伸ばした彼女の掌には冷え切った岩の感覚さえあった。
(大した幻影ね、力場魔術と変性系の複合魔術かしら……質感すら再現するなんて)
アンナはもう何度目かの素直な感心を心の中で吐露する。実際、この峰を形成する魔術による幻影は過去に聞いた事が無いほど大規模なものだ。しかも、
(内側に向かって閉じた「場」を形成し、その外側に偽りの像を貼り付ける……貼り付けられた像は視覚のみならず触覚や一部の物理現象にも干渉可能な具現相を保持し続ける。このようなことは今の世で魔術師を名乗る未熟な者達には不可能であろう。これこそが吾輩達偉大なるローディルスの魔術師の――)
アンナの感心を受けたラスドールスの思念が饒舌に語りだす。少し興奮を帯びた老人の声は、自らを含めた古代の魔術師達を誇るように続くのだが、
(偉大になりすぎて「自ら創造主となり世界を造り変えよう」という思い上がりの極みに到達したって訳ね)
(ぐぬ……まぁ、その通りだ。しかし、それは吾輩の知ったことではない。一部の連中の傲慢が招いたこと……そのことはお主も知っておるだろ)
アンナの皮肉に対してラスドールスの思念は機嫌を害したような声色で同意を求めてくる。その中には大きな怒りと幾ばくかの妬みがあった。そんな彼の思念が今やアンナ・ラスドールスというべき存在となった彼女の
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その記憶はローディルス帝国滅亡の原因となった「大崩壊」前後のものだ。ただ記憶といっても、ラスドールスの主観や印象が混ざり込み混然としている。それはまるで叙情的な絵画のような情景の連続であった。
――死霊術を冷遇する中央への不満を溜め込む日常――
――突然停止した魔力の供給と混乱する魔術師達――
――機能不全に陥った都に押し寄せ始めた蛮族の大軍――
――治安維持を担う魔術衛士隊の不在と、自衛の戦いを決意する魔術師達――
――必死の抵抗、捲き起こる炎、雷と氷の嵐、蛮族の手に掛かり死んでいく仲間達――
――生き残った一族を率いて、都からの決死の逃避行――
――西の新天地での同族による裏切り、石室に封印された結末――
(――行き過ぎた召喚術の発展、未曽有な規模での異次元との接触、異なる世界の住人である
(度を越していたのね)
(そうだな、勿論帝国の中にはそれを抑止しようとする勢力もあった)
(生命魔術を専門とする魔術師一派、白き鼓動の会……アルヴィリア、だったかしら)
(まぁ吾輩の死霊術は生命魔術の系統ではあるが、アルヴィリアの連中の趣味には合わなかったようでな……お呼びは掛からなかったが)
そう言うラスドールスの思念には自虐的な響きが込められていた。結局のところ、死霊術の名門であるエンザス家は、当時のローディルス帝国では主流から遠ざかった存在であったのだ。
(でも、そのお陰で「大崩壊」前後の戦い、制御に失敗し暴走を始めた強大な存在を制するための戦いに巻き込まれずに済んだのでしょ?)
(結果的にはそうなるな……だが、蛮族どもに飲み込まれ崩壊する帝都から脱出した同朋達も今の世に消息が残っていない)
(……)
(あの時帝国は滅んでいたのだ、そして同朋達の殆どはその理由を正確に知る事無く死んでいった……だが吾輩は幸運だ、当時分からなかった事を今の世で知ることが出来た)
(皮肉なものね)
(そうかな? 吾輩は感謝しているぞ)
感謝している、というラスドールスの思念が言葉通りではないことはアンナにも分かった。だが、全くの嘘でもないこともまた事実だった。実際、アンナ・ラスドールスとなって以後の行動、特に魔術結社エグメルの一員となって得た知識や、使徒と呼ばれる種族であるアズールが
(あの忌々しい石室から解き放たれた直後、あの時の意識は今となっては
(私がアズールの行動に同調するのも、復讐という目的が思念の底にあるから……なのかしら?)
(お主はお主であって且つ吾輩だ……吾輩の感じる復讐心が、その理由として存在するのは道理だろう)
(……)
(もっとも、お主の理由はひとつではあるまい)
(どういうこと?)
(さぁな……強いて言うならばアズルールという使徒に対する情……なのではないか?)
(……ただの思念体のくせに、意外と生臭い事を言うのね)
(ははは……さぁ、お喋りはこれくらいで仕舞にしよう。お主の情夫と合わせた時間が近い)
(そうね)
(願わくば、「応援」という名の邪魔が入らないことを祈ろう)
(祈る? 何に?)
(さぁ、な……)
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幻影が造り出した峰の岩肌を前に、死霊の導師アンナは長い間身動ぎひとつせずに無言であった。その様子を同行の魔術師達は気を揉んで眺めるだけだが、次第に
「……なかなか厄介な欺瞞の幻影だけど、やっと解除方法が分かったわ。さぁ、始めるわよ」
進展を予感させる突然の宣言を発した彼女は、振り返ると二人の同行者に何ともいえない視線を送った。それは悪戯を思い付いた少女のように
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