Interlude 最果ての逆塔
Interlude_25.01 この世の果て
冷たい風が渦を捲いて吹き荒れる。この世の始まり、力の根源たる龍と理の巨人が対立する以前から休むことなく吹き続ける冷気の風である。その風が峻厳な山脈の岩肌を削りながら引き裂かれるような音を発する。まるで世界そのものが発する悲鳴のような音、高低と強弱を幾重にも織り交ぜ重ね合わせたそれは、生物の存在を拒絶するかの如き荒涼とした空間に響き渡り、満たし続ける。
――この世の果て――
足元を埋め尽くす広大な岩原の荒涼。見通す先を取り囲む山肌の氷雪と頭上に重く垂れ込める鉛雲。色彩乏しく全てが相まった光景に、この地に辿り着いた者はそのような印象を覚えるだろう。
決して誤りとはいえない印象である。
現にこの地は大陸の東北の最端に位置している。最も近い文明圏は東方辺境の大国シンと北方の小国カジムンユングであるが、近いといってもそれぞれの勢力圏から優に数百キロは離れている。その上、大陸の突端を切り取るように連なる険しい山脈が壁として外部からの立ち入りを妨げるため、この地の全容は未だ明らかになっていない。地図の上では、切り立った断崖の続く海岸線が輪郭として書き込まれているだけで、それ以外は空白の土地だ。
そのような土地であるから、本来ならば人智の痕跡などあるはずがなかった。また、立ち入る人間も居るはずがなかった。しかし、
「何度来ても殺風景なところね」
そんな人の声が、風の音に紛れて聞こえてきた。見上げるように
声の主である女の名はアンナ・ユードース。西方辺境域の大国リムルベート王国の前魔術アカデミー学長サハン・ユードース男爵の息女である。しかし、或る出来事によって古代ローディルス期の
「死霊の導師、急ぎましょう」
「今回こそは、深所への封を破りませんと」
峰を前に臨む岩棚には、彼女の他に二人の同行者があった。どちらも彼女同様防寒用の黒いローブで全身を覆っている。その二人は死霊の魔術師 ――アンナのエグメルでの呼称―― に急かすような声を掛ける。というのも、彼らに課された
その事実を認識しているアンナは一瞬考える間を置いた後、二人の同僚に対して
「……そうね、急ぎましょう」
と返事をした。しかし、そうは返事をしたものの、彼女はその場から直ぐに動かず思考を巡らすようにひと時瞑目した。頭の中には既に慣れきってしまった老人の皺枯れた声が響いている。その声は求めてもいないのに忠告めいた意見を述べる。それもまた、いつもの事だ。
(「応援を差し向ける」などという元師の言葉は意外なものだ。勘付かれたか、そうでなければ何か別の理由でもあるのか、とにかく急いだほうが良い)
声の主はアンナとの完全な融合に失敗した古代の魔術師ラスドールス・エンザスの思念体だ。彼が生前に編み出した「憑依」という魂の融合術が中断された結果、アンナ側に中途半端に混ざり込んだラスドールスの意思の残渣が人格めいたものを持ち、今のように語り掛けてくるのである。
(勘付かれる訳なんて無いでしょ、考えすぎよ)
(随分な自信だが……アンナ、お主の力量は吾輩の知識と杖の「紅血石」の魔力によるものだ。それが無ければ、お主を「導師」と呼び従うそこの二人にも敵うまい)
(……)
(寧ろ今までボロを出さずに居られたことが奇跡だと吾輩は思うが)
ラスドールスの思念は散々な意見をアンナにぶつける。しかし、これでも生前の彼の性格からすれば驚くべき丁寧さと親切さであった。融合の前後でアンナの性格が別人の如く変化したように、ラスドールスの個性もまた変容を遂げているのだ。生前は誇り高く傲慢な性格であったラスドールスが、彼の尺度では「蛮族」であるアンナとこのように会話を交わす事などあり得なかったはずだ。
だが、今は自身が陥った取り返しのつかない失敗を受け入れているようだ。そのため、二人(と言って良いか分からないが)は、アンナの体を介した一種の共生関係、又は運命共同体のような関係になっている。
(とにかく、
(情夫って、あんまりな言い方ね……)
ラスドールスの思念体が言うアンナの情夫とは人ならざる存在 ――使徒―― と伝わる有翼の種族で名をアズールという。アンナとアズルールの関係は世間でいうところの
(欲求を満たすために一緒にいるのよ。それだけ)
と否定していた。
(お主はそう思っている、という事でまぁよい。それよりも、急がなければあの胡散臭い元師に怪しまれるぞ、そうなれば企みどころか命も危うい)
「――わかってるわよ」
無言の長い問答の末、思わず発せられたアンナの声に、彼女の様子を窺っていた二人の魔術師はギョッと顔を見合わせるのだった。
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