Episode_24.29 急変、四都市連合撤退?


アーシラ歴498年9月17日


 スカリル北に設定された集結地点には前日の夜半までに各部隊が集結を終えていた。集結地点はスカリルへと続く街道の西側、丁度低い起伏の反対側である。街道からは見つけにくい場所が選ばれていた。


 そこに集まったのはデルフィル軍の三千人とリムルベート王国の騎士百騎を含む五百の援軍、さらにコルサス王子派の騎兵四十騎を含む五百の部隊である。彼等は息を潜めて、進軍開始の合図を待っていた。既に時刻は真夜中を過ぎている。進軍開始の予定時刻は間近に迫っていた。


 一方、集結地点の中央に設置された簡易な幕屋では、主要な面々が最終的な作戦の確認を行っている。彼等の元には本隊とは別にスカリルの街直近まで進出した斥候部隊からの最新情報が届けられていた。五十人弱の斥候部隊は「オークの舌」のジェイコブやリリアといった精霊術師で占められている。彼等は、一キロおきに人員を配置し、遠話の内容を伝達することで、素早い情報伝達を行っていた。


 だが、今届けられた最新の情報は、幕屋に集った面々に疑問を感じさせるもであった。


「……本当に撤退しているのか?」

「間違いねぇ、確かにそう聞いた」


 斥候隊からの情報を最後に受け取った「オークの舌」の中年の精霊術師はブルガルトの疑問に答える。風の精霊術「遠話」で情報伝達する場合、沢山の人間が伝言形式で情報を伝達するのだから途中で内容が変質することはよくある事だ。その点を踏まえて「オークの舌」の面々は情報伝達のやり方を仲間内で取り決めていた。余計な言葉を挟まず、聞き取った言葉の並びを全く変えずにそのまま次へ伝える。そのやり方は、知能の劣った下級オークが命令を復唱する様子に似ていることから、「オークの舌」という一風変わった傭兵団の名前の由来になったということだ。


 とにかく、ブルガルトはジェイコブ率いる「オークの舌」の情報伝達を疑った訳ではない。だが、この状況でスカリルの街を占拠していた四都市連合の軍勢が街を離れる理由が分からなかった。


「そうか、分かった」


 ブルガルトは伝令役の精霊術師にそう答えると、彼の伝えた内容を考えた。


 ――数時間前に四都市連合の櫂船が漁港に入港。数は十八隻、漕ぎ手以外は確認できず。その後真夜中の時刻に櫂船はスカリルの漁港から出港。漕ぎ手以外の兵士を満載した模様。一方、スカリルの街中に残った敵の数は約三百、全員が漁港で次の櫂船を待っている様子――


 以上が、リリアやジェイコブといった斥候隊が伝えて来た内容だった。その内容に、ブルガルトが真っ先に考えたのは、


(囮……いや、罠か?)


 というものだ。或る程度の数の斥候がスカリルを監視している事は敵側の四都市連合も気付いているだろう。その斥候達に自分達が撤退したと見せかけ、無防備なスカリルの街を奪還しに来るデルフィル軍の本隊を騙し討ちにする、という計略が真っ先に浮かんだ。だが、彼の考えはユーリーの、


「リリアもジェイコブさんもオーラ視の能力を持っている、夜の闇を利用した見せかけの撤退じゃないと思う」


 という言葉で否定された。


「撤退は本物……寧ろ『何かある』と思わせて此方の攻撃を躊躇わせるのが目的か?」

「でも、だったら、連中はその間に何をするんだ?」


 とは、ユーリーの言葉を受けたアルヴァンとヨシンの声だ。特にヨシンの声は親友二人に問い掛けるような響きがある。だが、ユーリーもアルヴァンもそんなヨシンの疑問には直ぐに答えられない。しばらく、考え込む風になった。


 一方、そんな三人組の会話を聞きながら同じく四都市連合側の意図を考えていたブルガルトは、不意に或る事を思い付いた。それと殆ど同時にユーリーも声を上げる。


「何って……あっ! もしかして――」

「敵はデルフィルを?」


 奇しくも二人は同じ発想に至っていた。


 それから半時後、スカリルの街の北に位置する集結地点からデルフィル軍が動き出した。傭兵と衛兵を主体とする本隊は街道に出るとそのまま真っ直ぐ街道を南下、スカリルの街を目指した。


 一方、リムルベート王国とコルサス王子派から派遣された援軍の内、騎士と騎兵の併せて百四十騎は、一部を本隊と共に南下させると、残り大部分は北を目指した。彼等の目的地はデルフィルであった。


――デルフィル急襲の恐れあり――


 という判断に基づく行動である。この場所からデルフィルまでの距離は歩兵の行軍で半日だが、騎馬のみの部隊ならば夜明けとほぼ同時に到着する事が出来る。四都市連合による急襲前にデルフィルへ辿り着き警戒を促すためには、馬の足が必要であった。しかも、万が一既に急襲されている場合は、立ち向かう戦力が必要であった。そのため、騎兵と騎馬の大部分がデルフィルへ急ぐ。


 北を目指す騎馬隊の先頭付近で愛馬を駆るユーリーは、彼自身が発想したデルフィル急襲の可能性が思い過ごしである事を願う。だが、そんな彼の気持ちと裏腹に頭の中の冷静な部分は、四都市連合側の意図を確信していた。


****************************************


 その日の夜明け前、ハーフエルフのリーズはまだ暗い内からねぐら・・・としている長屋を後にした。嘗ての冒険者生活では想像もつかないことだが、最近の彼女はこのように規則正しく早起きをすると、港湾地区と市街区の境目にある市場へと足を運んでいた。


 彼女が市場を目指す理由はその他大勢の人々と大差ない。つまり、食べ物を調達するためだ。だが、混み合う市場で目当ての葉物野菜と鶏卵、塩漬け豚肉の塊を買い求めた彼女はねぐらの長屋に帰るのではなく、そのまま港湾地区を港の西側へ向かった。裕福な者達が住み暮らす地域とは真反対の西側、デール河の河口付近で港にも近いこの一帯は港湾労働者が住み暮らす貧しい区画となっている。


 徐々に白み始める空の下、港湾地区の外周をなぞるように伸びた大通りから、一本裏に入ったむさ苦しい・・・・・路地を進む彼女は、やがてデール河の近くに至る。同じような長屋が軒を連ねる場所だ。その中のひと棟を目指す彼女は、同じような玄関扉の並びから迷うことなく一つを選ぶとノックも無しに勢いよく扉を開いた。


「おはよう、怪我人ども!」

「リーズ、待ってたよ!」

「やぁ、おはよう」

「お腹空いたよ!」


 元気は良いがあんまり・・・・な挨拶である。しかし、そんな彼女の声を待ち構えていたかのように室内から答えるのは、彼女の幼馴染でもある三人の青年、モルト、ルッド、タムロだ。


 この三人は先のスカリル襲撃事件で負傷しつつも、辛くもデルフィルへ逃げ伸びる事が出来ていた。そして怪我の治療のためにフリギア神殿の診療所に収容されていたところで、消息を探していたリーズと再会を果たしたのだった。


 その時点で三人の怪我はそれほど重症ではなかった。そのため、診療所側は早々に三人を外へ放り出した。診療所には他に急を要する怪我人が多かったのだ。一方、診療所を出た三人は安長屋に居を構えると怪我の養生に専念することになったのだが、何故か回復が思わしくなかった。


 足を斬りつけられたモルトは自力で歩く事が出来ず、腕に矢が当たったルッドは右腕が肩より上に上がらないという。そして、魔力の使い過ぎで昏倒した拍子に地面に頭を打ち付けたタムロは頻繁に襲う眩暈と頭痛に悩まされている、ということだ。


 そんな幼馴染達の自己申告に、色々あったとはいえ、放っておけないリーズはアント商会での仕事を午後のみにしてもらい、午前は三人の面倒を見ていた。彼女の務め時間の変更について、スカースは(少なくとも表面上は)快く認めたということだった。


「あんた達、洗濯物とかいいの?」

「ああ、昨日の内に片付けたから」

「大丈夫だ」

「それより、お腹空いたよ」


 一応ベッドの上に留まっている三人に声を掛けるリーズだが、彼女に対する三人の返事は弾んだような響きがあった。とても後遺症に苦しむ怪我人には思えない。そんな三人の様子にリーズは、


(元気そうよね……まさか仮病じゃないでしょうね?)


 と、疑念の視線を向ける。すると、まるで示し合わせたかの如く三人は同時に夫々の患部を押さえて苦しみ出した。


「はぁ……まぁいいわ。じゃぁ、いつもと一緒の麦粥で良いわね」


 何となく騙されている気もするが、一時壊れてしまった幼馴染の関係・・・・・・を修復出来るかもしれない、という淡い期待を抱いたリーズはそれ以上の詮索をせずに外の炊事場へ向かう。彼女の背中には、わざとらしく痛がる三人の感謝が投げ掛けられた。


 まだ人気の無い共同の炊事場に出たリーズは、幾つか並んだ竈の一つに手早く火を灯すと燃料の木炭をくべる。周囲は随分と明るくなり、作業には支障が無かった。水を張った深鍋に刻んだ塩漬け肉と砕いた麦を入れる。その後弱火でしばらく煮込み――


「とろみが付いたところで刻んだ野菜を入れて、卵を落とせば出来あがりね」


 ここ数週間の看病とも言えない生活ですっかり得意料理となった麦粥の調理手順を口ずさんだ彼女は、その時ふと空気に違和感を覚えて周囲を見回した。小さく形の良い鼻をヒクつかせる彼女は、直ぐに違和感の正体に気付く。


(煙? 火事かな……やだな)


 精霊術こそ使えないが、エルフの器質を半分受け継いだリーズの感覚は鋭い。そんな彼女は遠くで上がる黒煙の匂いを感じ取った。それは、港の方から吹き付ける風に乗ってみるみる内に濃くなっていく。そして、


 カン、カン、カン、カン――


 突然、半鐘を打ち鳴らす音が響いた。随分と近い音にリーズは驚く。しかも、


「四都市連合だぁ!」

「逃げろおぉ!」


 半鐘の音に混じってそんな悲鳴のような叫び声が響いて来た。思った以上に近い悲鳴に驚いたリーズは、竈から深鍋を外す事も忘れて三人が待つ長屋へ駆け戻って行った。


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