Episode_24.19 包囲殲滅作戦


「伏兵だ! 距離は凡そ百メートル、近いぞ!」


 ジェイコブの緊張した声が丘の斜面に響く。まさに一瞬前に手に入れた報せと、それに呼応するように上がった警告の声。両者が持つ意味は、深く考える余裕の無い状態でも、アルヴァンに一つの決断を下させた。


「全軍、丘の下へ前進! 隊列を保て! 急げ!」


 少し甲高く戦場の喧騒を貫き通す彼の声質は、軍勢を指揮する者には天稟てんぴんの才なのかもしれない。八百の歩兵に伏兵出現の動揺が伝播する前にその機先を制したアルヴァンの号令により、混成歩兵部隊は平地を目指して丘の斜面を駆け降りた。


「陣形を組み替える余裕はありません! 傭兵を殿しんがりに配して後退の時間を稼ぎましょう!」

「いや、先ずは平地へ下りる、背後を突かれては殿の役割も期待できない。犬死させてしまうだけだ!」

「っ! ……わかりました、時間を稼ぎます!」


 斜面を下りながら、騎士アーヴィルとアルヴァンは短く言葉を交わす。既に背後からは敵軍の上げる雄叫びと、弓弦を強く弾く一斉射の音、そして風を切って飛び込んでくる矢の風切り音が迫る。そんな中、アルヴァンは自勢力を温存したまま丘を下ろうとする。その結果、丘に陣取った際に最後列に配されていた「オークの舌」の傭兵達を中心に、矢による被害が出た。だが、間一髪で時間稼ぎに回った騎士アーヴィルの力場魔術が矢の被害を抑制した。更にアーヴィルが放った火爆波エクスプロージョンによる爆発音が斜面に二度響いた。


 戦いの状況としては最悪であった。高所の利を背後に回った伏兵にあっさりと明け渡した格好だ。だが、無理にその場に留まり、不利な隊列で敵と戦うよりは被害は少なかった。「オークの舌」の首領ジェイコブの索敵と、それを受けたアルヴァンの素早い決断、騎士アーヴィルの魔術による援護が部隊の後退を助けた。不幸中の幸いであった。


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 丘の下、北門を潜ろうとしていたデルフィル軍の指揮官オルストは、突然、猛烈な勢いで丘を駆け下り始めたリムルベートとコルサスの混成軍の動きに驚いた。彼は咄嗟にその軍勢が、自分を討ち取りに襲いかかって来た、と勘違いしたのだ。そう思うだけの心当たり・・・・が彼には有った、ということだ。


 だが、血相を変えて丘を駆け下る兵達はオルストの大隊の方を見ていない。街から少し離れた街道を目指しているようだった。


「な、なんだ?」


 思わず疑問の声を発するが、オルストに答える者は居ない。それより早く、丘の上では弓弦が鳴り、矢が飛び、二度の爆発が起こった。そして、装備の種類が異なる兵士の集団 ――四都市連合海軍の陸戦隊―― が斜面の上に姿を現す。その時点で、流石のオルストも事態が呑み込めた。


「ふ、伏兵か!」

「どうしますか?」


 退くか進むか、選択肢は二つしかない。指揮官が十人いれば十人とも「退くべきだ」と答える状況だろう。更には街の中へ進ませた部隊も早急に引き揚げさせて、伏兵への対処に当たるべきだ。だが、不測の事態に際して、オルストの指揮官としての経験の浅さが災いした。彼は明らかな結論を咄嗟に選びとれない。そんな彼の部隊に、丘の上を占拠した敵の伏兵が弩弓を撃ち放つ。


 海上で敵船に対して射掛けることが出来る強力な弩弓は連射が効かないが威力は強い。太い矢が雨のようにオルストの大隊を襲った。その事態に、


「進め、先行した部隊と合流する!」


 遂にオルストは間違った判断を下した。そして、自ら先頭に立つと、逃げ込むようにスカリルの街へ入って行った。


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「報告します! デルフィル軍、スカリルの街へ逃げ込みました!」

「なんだと!」


 何とか丘の斜面を下り切ったアルヴァンの元に伝令兵が駆けつけて状況を報せる。アルヴァンとしては、北門付近に留まっていたオルストの大隊と共同して丘上の伏兵に対処しようと考えていた所だった。だが、彼の目論見はオルストの非常識な指揮によって台無しになってしまう。アルヴァンは悪態と共に握り拳で掌を打った。


「馬鹿が……」


 丘の上からの弩弓の射撃はその斜線を北門の中へ逃げ込むオルスト大隊に向けている。射撃以外に敵兵の追撃は今のところ無い。


 周囲には小隊長アデールを始めとした各部隊長達は自部隊の隊列を整えようと躍起になって張り上げる声が響く。先ほどの被害報告では、傭兵団「オークの舌」とコルサス王子派遊撃歩兵隊の一部に被害が出ていた。だが、状況の割に被害は軽微であった。


「このままでは、デルフィル軍はスカリルの街に閉じ込められます」

「そうだな。敵から見れば此方をまんま・・・と分断したように見えるだろう」


 騎士アーヴィルとアルヴァンが言葉を交わす。自軍は丘に対して隊列を整えつつあった。その隊列はリムルベート王国第二騎士団所属の従卒兵が重厚な盾を前面に押し出した横隊列を形成し、その背後には小隊毎の方陣形を取った遊撃歩兵隊、そして、こちらも方陣を整えた傭兵達だ。特に部下に被害を出したジェイコブは怒りと共に丘の上を睨んでいる。合図が有れば、いつでも強烈な精霊術を叩きつけるつもりなのだろう。


「一旦退きますか?」

「……いや、気に入らないが友軍だ。見捨てる訳には――」


 問い掛けるアーヴィルにアルヴァンは渋々といった表情で答える。その時丘の上の敵兵に動きがあった。約半数の重装歩兵が丘を下りスカリルの北門へ向かい始めたのだ。その意図は、開いたままの門を封鎖する、ということで間違いないだろう。


(やはり罠だったか……)


 言わずもがな・・・・・・な感想を呑み込んだアルヴァンは全軍に号令を発する。


「隊列を保ったまま北門へ接近する!」


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 袋の鼠。窮地を喩えてこの言葉を使う事はあっても、実際に袋のように出口の無い死地に立った者は少ない。だが、自ら窮地に飛び込んでしまったデルフィル軍の指揮官オルストはその言葉の絶望感を味わっていた。


「部隊を纏めよ! 隊列を保て!」


 声を限りに叫ぶが、周囲の傭兵達はそれどころではない。四方八方から神出鬼没に攻め立てる四都市連合の兵に翻弄され、戦列を保つ事が出来ないのだ。一方の路地から姿を見せた敵に対応すると、脇の路地から別働隊の突入を受ける。そして、戦列を乱した所に容赦なく矢が射掛けられる。デルフィル軍はまさに翻弄されていた。


 スカリルの街中はさながら殲滅戦の様相を呈しつつある。その状況で、指揮官オルストは指揮を誤ったことを実感していた。


(おのれ……敵の策に嵌ったか)


 オルスト率いる大隊が逃げ込むように街の中に入った時、先行していた三個大隊は既に別個に半包囲された状況だった。


 スカリルを占領した四都市連合の軍は短期間で街の地形を頭に叩き込み、路地や通り、建物を巧みに利用した戦術を確立していた。生半可なことではない。常設軍として普段から錬度と士気の高い海兵団や海軍の陸上戦闘部隊ならばこそ、可能であった事だろう。そこへ錬度も士気も乏しい寄せ集めの傭兵達が無策で突入したのだ、結果は推して知るべきである。


 部隊間の連携は元より、同じ大隊内でも共同して戦うことが儘成らないデルフィル軍は、路地や辻で細切れに孤立させられ、各個撃破の憂き目を見ていた。


「部隊を纏めろ! 退却だ!」


 その中、指揮官オルストは自分の大隊を中心に浮足立った傭兵達を北門に続く大通りに纏めると、来た道を逆戻りし始める。その間も大通りに繋がる路地からは何度も敵兵の突入を受ける。一度「退却」の声を聞いた傭兵達は、その度に戦いを放棄すると北門を目指し駆け出していく。そして、北門から百メートルの距離に至った時点で、遂にオルストの大隊は崩壊した。全員が一目散に北の門を目指す。だが、そんな傭兵達の先で北の門は無常にも塞がれようとしていた。


 丘の上を占拠した伏兵部隊が丘を下り、北門を塞ぐように布陣したのだ。袋に入れられた鼠は、最後の希望をきつく閉ざされてしまった。


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