Episode_24.17 思惑


 ユーリーの頼みによって単身南下しスカリルの街を偵察していたリリアは、街から二キロほど北に外れた海岸沿いの丘に潜伏していた。スカリルの入江の北端から続く丘の海側は切り立った崖になっており、足元の地面はごつごつとした岩場となっている。それが所々風雨の浸食で崩れているため、リリアは身を隠す場所に不自由する事は無かった。


 そしてこの日の朝、彼女は街道上に堂々と野営陣を構えていたデルフィル軍が南へ進軍を開始したことを察知していた。勿論、上空を舞う若鷹ヴェズルの視野を用いての事だ。


(この調子だと、ユーリーがスカリルに着くのはお昼前ね)


 本隊の位置と迅速とはいえない行軍速度からリリアは大まかな時間を見積もる。そしてしばらく考えた後、ユーリーと合流するために身を隠していた場所から離れようとした。デルフィル軍は街を目指して進軍しているため、この場所で待っていたほうが合流に要する労力は少ない。だが、四日ほど顔を見ていない恋人ユーリーに早く会いたい、という健気な気持ちが彼女に行動を選択させたのだろう。


 そんな彼女は岩陰から立ちあがると南西を目指して歩き出そうとする。だが、一歩踏み出しかけた彼女は、ふと足を止めると音も無い素早い身のこなしで再び岩陰に身を隠した。


(あ、あぶな……油断したわ)


 彼女の咄嗟の動きは付近に人の、それも大勢の集団の気配を感じたからだ。そんな彼女は、内心の言葉通り少し油断していた。尤も、この場に潜伏してから三日間、人の気配はおろか碌な生き物の気配も無かったので、彼女の油断も仕方ないかもしれない。とにかく、寸前で姿を見咎められる危機を回避した彼女は岩陰から大勢の集団の様子を探る。


 集団の気配は南から海岸線沿いに北上して来た。そしてリリアが隠れる岩陰から百メートルほど南の地点で一旦止まると、今度は進路を西へ、つまり街道の方へ変更した。集団の立てる物音は金属鎧や武器同士が擦れる不快で騒々しいものだ。その集団をリリアは、


(四都市連合の……傭兵じゃないわね……海兵? 違うわね、重装備だから陸戦隊、だったかしら)


 と見分けていた。傭兵とは異なり、その集団の装備には統一性があり、尚且つ船上での戦闘に不向きな金属鎧を身に着けた重装備であったからだ。一方、岩陰から風の精霊や地の精霊を用いて様子を探るリリアに気付く事が出来ない一団は、そのまま少し西へ進出すると周囲に散開し、待機状態に入った。


 その数は六百。リリアは思いも掛けずその集団に包囲される格好となってしまった。


****************************************


 特命指揮官オルストに率いられたデルフィル軍は、彼等の予定通り、正午にスカリルの街を視界に捉えた。


「第四大隊まではこの場に待機、第五、第六大隊は街の西へ回れ!」


 急場に集められた傭兵達は、オルストの号令を受けてもたもた・・・・と移動を開始する。


 オルストは三千人の傭兵達を五百の大隊に分けて全部で六個大隊を編成していた。しかし、四都市連合の傭兵運用機構である常設部や作軍部といった組織を持たないデルフィルでは、彼等の部隊を直接指揮できる人材が居なかった。そのため、比較的経験の長い傭兵ギルド職員や、普段から傭兵団を組織している者に大隊の指揮を任せている。そのような状況であるから、末端の戦闘単位である小隊に至ってはまともな指揮官など存在せず、ほとんど烏合の衆といった出来栄えになっている。


 だが、オルストはそこまでの仔細に頓着していない。彼の頭の中の大部分を占めるのは金貨の勘定と、デルフィルから大国の影響を排除する、という政治的な目標であった。


(金貨一万の予算で傭兵三千を集め、ギルドの収益が金貨三千……後二、三回同じ規模の募集をすれば、二年後の議席改定で多数派工作が出来るな。これで独立派の数的有利を確保しなければ)


 というのが、彼の内心である。いみじくも傭兵団「オークの舌」の首領ジェイコブがユーリーに言った言葉が、オルストの意図の半分を言い当てていた格好だ。だが、当の本人であるオルストに罪悪感は無い。利益集団である「ギルド」に充分な利益を誘導する、これはギルド政治と評される政治形態を持つデルフィルでは、各ギルドの長に求められる素質であり、評価されるべき功績であるのだ。


 また、常に二つの大国に影響を受けるデルフィルならばこそ、大国の影響を排除して独立の尊厳を勝ち得たい、という政治的勢力が存在する。そんな政治的勢力の盟主となりたい、という野望が彼にはあった。


(スカリルを巡る戦線を長引かせ、デルフィルの常設軍として傭兵軍の設立まで漕ぎ着ける事が出来れば、傭兵ギルドの今後は安泰だ。デルフィルから大国の影響を排除する契機にもなる)


 そう考えるオルストは今回の戦いに於ける勝利を端から放棄していた。寧ろ程良く負けて、兵員追加の予算を施政府議会に出させる事を考えている。そのためには、リムルベート王国とコルサス王子派が送った先遣隊や増援軍は邪魔な存在・・・・・であった。


「オルスト指揮官、部隊の配置が完了しました」


 スカリルの北門が見える場所で思索に沈んでいたオルストの意識は、そんな伝令役のギルド職員の声で現実に呼び戻された。


「そうか、所でリムルベートとコルサスの奴らは?」

「はい、歩兵と騎馬に分け、歩兵が北の丘の上へ進出中、騎馬は北と西の部隊の中間に展開済みです」

「ふん! 高見の見物気分か……連中には構うな! 手はず通りに北門への攻撃を開始せよ!」


 オルストが発した攻撃開始の命令は、伝令によって各大隊に伝達される。そして、北門外に展開した四個大隊の内、指揮官オルストの直衛である第一大隊を除いた第二から第四の三個大隊が北門へ向けて移動を開始した。


 傭兵達には、


 ――敵の数は多くて千人、北門を守るのは精々五百未満――


 としか伝わっていない。そのため、三個大隊千五百人の傭兵達は敵軍の寡兵を信じ、粗末な門を打ち破ろうと一斉に前進を開始した。その様子を後方から眺めるオルストは撤退の頃合いを頭の中に思い描く。


(北門は破れても、街の中に深く侵入できないだろう。西側の部隊も壁を壊した所で足止めされるはずだ。四分の一ほど損害を受けた所で撤退としよう)


 手前勝手な作戦である。だが、軍略家としての才能も経験も持たないオルストは知らなかった。戦場に於いて最も難しいとされる幾つかの状況、つまり「彼我両軍の被害制御」と「敵前退却」という歴戦の指揮官ですら余り経験したくない困難な状況を自ら作り出そうとしている事を。


****************************************


 時刻は正午前。初秋の日差しが岩場に造り出す陰にリリアは身を隠したまま、イライラと状況が変わるのを待った。海側の断崖を背負う格好で身を潜める彼女の西側には凡そ六百の四都市連合海軍陸戦隊が潜んでいる。彼等の行動の意図は、


(スカリル攻撃に対する伏兵ね……これじゃ完全に側面を突かれるわ)


 というリリアの推測で間違いないだろう。


 彼女の手には状況を書き付けた紙片がある。だが、それを送る手段が無かった。スカリルを攻めるデルフィル軍の位置は彼女の場所から西に四キロ離れている。その距離は流石に風の囁きウィンドウィスパの範囲外であった。そのため、状況を伝える術は空を飛ぶ若鷹ヴェズルのみである。だが、その若鷹は遥か上空に点のように小さく見える距離に留まったままだ。


 降りてくるように呼び掛けるリリアに対して、明確な感情を言葉として伝えるまでに成長したヴェズルは、


(危ないからダメ。お母さんの場所が分かってしまう)


 と譲らなかった。その声には反抗期を迎えた少年の反発に似た響きがあるが、この場合はヴェズルの意見が正しいだろう。リリアの存在に気付いていないとはいえ、四都市連合の陸戦隊は常に周囲に注意を払っている。視界を遮る樹木が無い岩場で、一羽の鷹が舞い降りれば、それは彼等の興味を惹く事になるかもしれなかった。


 少しの焦りでその危険性に気付かなかったリリアだが、ヴェズルの指摘を受け入れるしかなかった。そして、彼女は状況が変わるのを、つまり伏兵達が行動を開始し西へ移動するのを待った。


 やがて日差しは空の一番高い場所に至る。すると、岩場に待機していた六百の兵士達は簡単な身ぶりで伝達を行い一斉に行動を開始した。彼等は急ぎ足となって西へ向かう。勿論、スカリルを攻めるデルフィル軍の側面を突くためである。


 集団の姿が見えなくなったころ、リリアの元にヴェズルが舞い降りた。彼女は素早く若鷹の逞しい足に紙片を結わい付けると、想いを託して空に帰す。この後は時間の勝負になる。地上を足早で移動する四都市連合の陸戦隊と空を飛ぶヴェズルのどちらが早いかの勝負だ。だが、彼女自身はその勝負の行方に全てを掛けるつもりは無い。彼女もまた、岩陰から離れると、集団の後を追うように西へ移動を開始した。


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