Episode_24.14 援軍形成


 執務室の前まで来たハンザとマーシャだが、その時にわか・・・に室内が騒がしくなった。聞き覚えの無い男の大声がドアの外まで漏れていた。その状況に、ハンザはノックする礼儀も忘れ、反射的にドアを開け放っていた。


「殿! 如何なされました?」


 咄嗟にかつての女騎士に戻ったハンザは、室内に鋭く声を掛ける。しかし、返ってきたのは、


「ハ、ハンザ! ノックも無しに、無礼であろう!」


 という、無礼を咎める父ガルス中将の叱責だった。


「も、申し訳ありません!」


 殆ど反射的に行動してしまったハンザは、久し振りに父親からの叱責を受けると身を縮ませるように頭を下げて、後退りで部屋を後にしようとする。しかし、そんな彼女に


「ガルスもそう怒鳴るな。それにしてもハンザが顔を出すとは珍しいな」


 と声を掛けたのは侯爵ブラハリーであった。その声には少しホッとしたような響きが籠っていた。


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 ブラハリーは詰め寄るハリスの気勢を殺ぐため、突然現れたハンザを利用しようと咄嗟に考えた。そのため、慌てて退室し掛ける彼女を引き止めたのだ。一方のハリスは、突然現れた女性が彼の尊敬する騎士デイルの奥方であると気付くと、


「少し興奮してしまいました。どうかお許しを」


 と詫びる冷静さを取り戻していた。


 そんな一連のやり取りを茫然と見ていたマーシャは、自分も室内へ入って良いのか判断が付かずにドアの外に立ちつくす。


「ん? マーシャ……いや、失礼。マルグス子爵夫人もご一緒か、珍しい」


 戸惑う様子のマーシャにガルス中将の声が掛る。その声には珍しい取り合わせをいぶかしむ響きがある。ハンザだけでも、邸宅の侯爵執務室を訪ねてくるのは珍しいのに、その彼女が同行者を連れている事が理解できなかったのだ。


「ノヴァのご機嫌伺いに来てくれたのかな? それなら、彼女は奥の――」


 侯爵ブラハリーも引き止めはしたものの、ガルス中将同様にハンザの意図が分からないらしく、適当な理由を探すようにそう言う。しかし、そんな二人に対してハンザはマーシャを促すと彼女を室内に引っ張り込みながら言う。


「実は――」


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 ハンザが語り、その後を受けたマーシャが懸命に説明するところ、つまり、


 ――対オーバリオン王国の軍役に参加しつつ、デルフィルへの援軍にも参加したい。しかし、費えを賄えない――


 という事情。そして、


「しかし夫は、どうしてもデルフィルの援軍に参加したいと……」


 と、マーシャが語るヨシンの熱意は援軍の兵力不足に悩むハリス・ザリア子爵を感激させ、侯爵ブラハリー・ウェスタやガルス中将にも感銘を与えていた。


 侯爵ブラハリーやガルスは、子爵家を引き継いだヨシンとアルヴァンの仲を良く知っている。そのため、ヨシンの熱意がアルヴァンへの友情の上に成り立っている事が理解できた。この時代、爵家同士に血縁や利害による協力はあっても、個人間の友情に基づく無私の助力は珍しい。そのため、二人は身内としてヨシン・マルグスの気持ちが嬉しかった。


 一方、ハリス・ザリア子爵からすれば、先のインヴァル戦争における武勲者の一人であるヨシン・マルグスの参加は大いに歓迎したいものだ。その上で、本来なら援軍に有志として参加するべき第二騎士団所属の軍役対象外の爵家を焚き付ける材料に使いたいと考えた。そんな彼の考えは、直ぐに侯爵ブラハリーにも伝わる。そして、


「金貨百枚の工面など、当家に於いては容易いが……一つ条件が」


 と、侯爵ブラハリーが切り出した条件はマーシャを少し当惑させたが、ハリスは膝を打ってブラハリーの案に同意したという。


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 その日の夕方からリムルベート王都市中、特に商業区でも中小規模な爵家の使用人が出入りするような区画の夜市や商店、更には繁華街では或る噂・・・が突然人々の口に上りだした。それは、


 ――御芋のマルグス様が私財を叩いてデルフィルへの援軍に加わるらしい――


 とか、


 ――いやいや、御芋様の貧乏ぶりでは当てになる私財など無い。ご領地の税収を担保に或る大店おおだなから借金したとか――


 などという噂だ。


 昨日はおろか、この日の午後までは影も形も無かった噂が急激に人々の口に上ったのだ。これは不自然この上ない現象であるが、アント商会の密偵部ならば或いは人為的にこのような噂を流す事は可能だろう。


 しかし、人為的に噂を作りだしたとしても、人々の興味が無ければ火口に落とした火花のようにあっという間に消えてしまうものだ。その点「芋子爵」や「御芋様」と庶民から呼ばれているマルグス子爵家にまつわる噂は充分に人々の興味をそそった。つまり、マルグス子爵家は有り体にいえば庶民に人気があるのだ。


 嘗ては破産寸前の没落子爵の一つに数えられたマルグス子爵家だが、数年前の王都襲撃事件を契機に様相が一変していた。襲撃事件では当時の当主トール・マルグス子爵が自ら先頭に立ち、屋敷に避難民を匿い食糧の芋を投げつけて四都市連合の襲撃兵を撃退した(という事になっている)。その後は、襲撃とその後の戦役で発生した孤児を引き受けるため、民生官の臨時官職に就き、自らの屋敷に孤児院を建てて身寄りの無い子供達を受け入れた。更に、先のインヴァル戦争では手柄を立てた遠縁の若者・・・・・を養子として自家に迎え入れ、才能を認めると家督を譲る、という度量の深さを示した。


 それらは当時の事情や、思い違いに起因する評判だが、少なくとも庶民の間ではこういう風・・・・・に理解されている。そして、トール・マルグス自身の子爵とは思えない飾らない人柄や、若い当主ヨシンの武勇伝等がそんな評判に拍車を掛けている。


 そういった背景で急に広まった噂は、中小爵家の使用人を介して主人である子爵や伯爵に伝わる。それらの者達の多くは、第二騎士団の対オーバリオン王国の軍役から外れ、かといって有志援軍に加わる意向を示さない者達であった。だが、その殆どはマルグス子爵家よりは余程に裕福な者達である。


 そんな爵家の当主達は、耳に栓をして「マルグス家の噂」を聞かないようにした。だが、一晩明けた翌日には、彼等もそうしていられない出来事が起こった。なんと、マルグス子爵家の若き当主ヨシン・マルグス子爵がガーディス国王に呼び出されたのだ。


 有志援軍の指揮官であるハリス・ザリア子爵に伴われて登城し、国王との謁見に臨んだヨシンは緊張の極致でガーディス国王からの質問に答えた。その中で、出費の対応について問われたヨシンは、この時点で背後のからくり・・・・を良く理解していないにも関わらず咄嗟に、


「それは妻に一任しております」


 と答えたという。


 この受け答えが思わぬ所で反響を生んだ。つまり、王宮に仕える女官や高位の有力爵家の婦女子に受けた・・・のだ。弱小子爵の台所事情などは推して知るべしな時世に、ヨシンの答えは自分の妻マーシャを良妻の鑑と評した、と受け取られたのだ。


 この時代、西方辺境はおろか世界中が武力による問題解決を重視する風潮の只中にある。「男は戦場で戦い、女は家を守る」という役割分担が当然とされ、また美徳とさる時代だ。そんな時代では、女の役割もまた男のそれと同様に尊ばれている。そして、その役割をしっかりと、国王の前で評価されたマルグス子爵夫人は、多くの夫人の羨望を集めた。彼女達が邸宅や屋敷に戻り夫を焚き付けるのは当然の事であった。


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 ガーディス国王との謁見から三日後、ヨシンは王都リムルベートの大通をゆっくりと北へ向けて進んでいた。従卒兵の類は無く、彼は単騎である。だが、彼の周囲には様々な中小爵家の騎士や兵士達が思い思いの隊列で進んでいる。その数は騎士が六十余騎に兵士が百二十前後、デルフィル向けの有志援軍である。


 この数日で急激に参加者を増やした有志援軍は、この日、王都の人々に見送られながらデルフィルへと出発していた。街の北へ出れば進軍速度は歩兵の早足程度に上がるだろうが、今はその勇士を王都の人々に披露するため、ゆっくりとした足取りであった。


「マルグス殿、御内儀の御見送りは無いのかな?」

「一度お目に掛りたいものです」

「そ、そう……ですか」

「はは、そう勿体ぶらなくても」

「では、その内」


 隊列の中ほどを行くヨシンの元には、そんな言葉を掛けてくる他家の騎士が多い。ヨシンには彼等がなぜマーシャの存在にそれほど興味があるのか分からなかった。だが、見送りはないのか? と聞かれれば気になるものだ。


(見送りは来ないか……あれだけやれば充分だよな)


 昨晩から未明まで続いた夫婦のやり取りは出陣前なら尚更情が深い。そんな情景を不意に思い出したヨシンは、口元がだらしなく緩まないように力を込めた。その時、


「ヨシン! どうかご無事で!」


 群衆の声援の中でも不思議と聞き分ける事が出来る声がヨシンの耳に届いた。最後の最後はやはり無事を願ってくれる。そんな妻の声にヨシンはゆっくりと右手の斧槍首咬みを高く差し上げるのだった。

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