Episode_24.13 兵力工面
ヨシンの手前、自信がある風に装ったマーシャだが、実際のところ「金貨百枚の工面」を簡単に行う当ては無かった。ほんの一年前までは、北の開拓村から王都に出て来た田舎娘であった彼女としては、それは仕方の無い事である。そんな彼女は商業区の通りを気も
(やっと借金を片付けたばかりだし、お金は借りたくないわよね)
そう考える彼女の足は自然と或る商家の方へ向かっていた。その店は大通りに面した立派な店構えを持つリムルベートでも有数の薬種問屋だ。その軒先を前にして寸前の所で踏ん切りが付かないマーシャは、一度店の前を通り過ぎると少し離れた別の商店の軒先で足を止める。
夏の終わりの午後の日差しが、石畳の通りに濃い影を投げ掛ける。その影に佇んだマーシャは人知れず溜息を吐いた。つぅっ、と汗が耳の裏からうなじへ伝い落ちる感覚があった。
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この薬種問屋とマルグス子爵家が面識を持ったのは最近の事であった。
先のインヴァル戦争での功績に対する報奨として、マルグス子爵家は従来の所領地の西側に広がるヘドン山山腹の森林地帯を加増領地として与えられていた。その土地は元々別の爵家の土地の一部であったが、時折白い噴煙を上げるヘドン山の南西側火口の麓であり土地が痩せているため手付かずであった。
打ち捨てられたも同然の地域には、狩猟や採取で生計を立てる数個の山村が点在するだけで、そんな土地に出入りし村々から直接薬草などを買い付けていたのがこの薬種問屋であった。薬種問屋の主人は、戦争後の論功行賞により土地の持ち主が変わったため、マルグス子爵家に対して「従来通り」の領地への出入りを求めて来た。「従来通り」とやけに強調する取引の対価は、年間金貨三十枚という破格の条件であった。
だが、その
「当主交代の折り、何かと多用なため後日改めて」
と、家宰セバスに言わせて引き取らせた。すると、薬種問屋の主人はその場で条件を「年に金貨五十枚」まで引き上げたという。恐らく貧乏子爵家と高を括って足元を見ていたのだろう。家宰セバスに言わせると、
「思わず、勝手に承知しそうになりました」
という事だから、その交渉術はあながち間違いではないかもしれない。
その後、薬種問屋の主人の態度が気になったヨシンとマーシャは実際にその地域を検分し、土地で採れるものを持ち帰ると、更に知恵を借りる意味でウェスタ侯爵家に客宿するメオン老師に意見を求めた。二人が持ち帰った物を見たメオン老師が言うには、
「それは、硫黄が取れるからじゃろう」
ということであった。ヨシンもマーシャもその方面には全く知識が無いが、メオン老師に言わせると、硫黄は各種の薬や金銀の精製、更には軍需物資として需要が高い素材だという事だ。しかも、西方辺境域では山の王国とドルドの森の奥でしか産出しないため、高価なものでもあった。「年に金貨五十枚」で勝手な採取を許されていた薬種問屋は膨大な利益を上げていた事になる。
その事実を踏まえたヨシンとマーシャは、再び訪れた薬種問屋の主人に対して、今後の取引は相応の相場に従って行う、と伝えていたのだ。
(どうしようかしら……)
依然として商店の軒先に佇むマーシャは決心を付けかねる。目の前の薬種問屋と面識はあるが、相手は余り良い印象ではないだろう。膨大な利益の素を取り上げられたのだから仕方が無い。そんな相手に金の工面を頼むのは気が引けるが、借金を避けて纏まった金額を準備する方法はこれしかなかった。
マーシャは決心を付けるように、一度大きく息を吸う。その時だった、
「あれ? マーシャ様じゃありませんか?」
不意に背後から落ち着いた雰囲気を醸した女性の声が掛った。その声に驚いたマーシャが振り向くと、そこには街女房風の格好に不釣り合いな剣帯を着け、柄頭に片手を置いた状態で凛と立つハンザ・ラールスの姿があった。
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「そう言う事ならば、先ず私の所を訪ねて頂きたかった」
「でも……」
「折角見つけた収入源をみすみす強欲な商人に渡すくらいならば、一度
「はぁ……」
ウェスタ侯爵家の王都邸宅へ続く坂を上るマーシャとハンザの会話である。ハンザは数年前の王都襲撃事件以降に結成された商業区の自警団として市中の見回りを行っている途中で、挙動不審に薬種問屋の店先を見詰めるマーシュを見つけて声を掛けていた。そして事の経緯を聞いた彼女は、マーシャを伴い主家であるウェスタ侯爵家を目指していた。
一方のマーシャは事態が思わぬ方向に進みつつある事に緊張を感じていた。今でこそ貧乏ながら子爵家の夫人であるが、元は夫のヨシン共々、ウェスタ侯爵家の領民であった身の上だ。ハンザが気軽に「
だが、三十歳を超えて益々壮健なハンザの足取りは軽く、それに付き従うマーシャもあっという間に邸宅前の坂を登り切ると、重厚な門前に辿り着いていた。
(どうしよう……)
そんな彼女の内心の戸惑いを余所に、ハンザは門番役の兵士に要件を伝える。門番の兵士は少し驚くと、直ぐに門を開けた。一方、案内を必要としないハンザはマーシャの手を取って敷地内へと入って行くのだった。
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この日、侯爵ブラハリーの執務室には先客があった。一人は老齢の騎士、正確には客ではなく隠居した家臣、ガルス中将ことガルス・ラールスである。そして、もう一人は三十過ぎの若い男だ。如何にも実直で意志の強そうな風貌は武人然としたものだが、今は力無く顔を伏せていた。
「折角の援軍指揮の王命であるにも関わらず……私の力が足りぬばかりに」
その若い男は呻くように言う。男の名はハリス・ザリア子爵。デルフィルに対する有志援軍の指揮を拝命した人物だ。しかし、その言葉は悔しさと無力感が満ちていた。その理由は、
「いやいや、兵力が集まらないのはハリス殿のせいではない」
「如何にも。情けないのは呼びかけに応じぬ他家の者達だ」
という侯爵ブラハリーとガルス中将の言葉にあった。実は、有志を募る、とされたデルフィル向けの援軍は参加する者が極端に少ない状況に陥っていたのだ。その状況を自身の知名度の低さや実力不足と受け取ったハリス・ザリア子爵は、有力な諸侯に対して援軍を出すように直談判して回っているのだ。しかし、結果は芳しくない。
そんな彼は、最後の望みを掛けて三大侯爵の元を訪れていた。しかし、既にウーブル侯爵家には
「このままでは、援軍の体を成しません。どうかウェスタ侯爵様のお力をお借りしたく」
「うむ……」
しかし、ハリス・ザリアの願いに、侯爵ブラハリーは返事を濁す。ブラハリーとしては、ひとり息子であるアルヴァンが率いる先遣隊への援軍であるため、二つ返事で引き受けたいところだ。だが、状況がそれを許さなかった。
先のインヴァル戦争を経て、リムルベート王国の爵家諸侯は等しく兵力を疲弊させている。その状況で、先遣隊として自家の騎士や兵士を多く派遣したウェスタ侯爵家には、対オーバリオン王国の軍役を負担した後に残る余剰の兵力が無かった。
勿論、領地には残り半数の正騎士団と従卒兵が控えているが、彼等は先の戦争で実際に戦陣に立った者達である。疲弊した戦力を整えることと、その間の所領地経営は戦陣に立ち軍役に就く事と同等の立派な任務である。
「どうしたものか……」
「せめて、十騎、いや五騎でも結構です! 何卒、何卒ぉ!」
頭を悩ませる侯爵ブラハリーに、後が無いハリスは自然と大きな声で詰め寄る勢いとなる。思わずガルス中将が割って入ろうとするほどの勢いであった。そんな時、執務室のドアが突然開け放たれた。
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