Episode_24.12 オーバリオン動乱


アーシラ歴498年8月24日 リムルベート王国王都


「――武具の調達で金貨五十、補給物資の供出費と雑費で金貨三十……」


 王都リムルベートの一画、王城からやや離れた市街地に近い場所に建つ一軒の屋敷では、不意に生じた出費の内容を読み上げる若い女性の声があった。部屋にはその女性の他に大柄な青年が一人、中年の男が一人、そして老齢に片足を踏み込んだ年齢の男が二人いる。だが、合計四人の男達は「固唾を呑んで」といった雰囲気で、女性が読み上げる金貨の枚数を無意識に足し算している。


「それに、おさとの若い人達に渡す手間賃が金貨二十……丁度百枚ね」


 若い女性はそこまで言うと、結論を付けるように帳簿をテーブルの上に置く。少し勢いが余ったその仕草はテーブルを叩くような音を部屋の中に響かせる。その音に四人の男達は同じように首を竦めた仕草となったが、それは一度きりの事だった。室内は直ぐに沈黙に戻ると、後は外から響いてくる幼い孤児達の元気な声が残るのみとなった。


「や、やはり、二つの軍役両方に兵力を供出するのは当家では荷が重すぎます」


 最初にそう言ったのは中年の男だ。凡庸な顔つきながら、よく見れば身体は鍛えられており、中年特有のたるみは感じられない。腰に粗末な柄拵ではあるが、長剣を帯びていることから、剣士又は騎士か兵士なのだろう、と思われる。


「ドラス殿の言う通りです。ここは大人しく第二騎士団招集令にのみ応じ、オーバリオンへ向かうべきかと」


 中年の男はマルグス子爵家唯一の騎士ドラス、そして彼の言葉尻を捉えて発言した老齢の男の一人は家宰セバスである。という事は、もう一人の老齢の男はトール・マルグス元子爵であり、青年はヨシン・マルグス子爵、そして若い女性は彼の夫人マーシャという事になる。彼等マルグス子爵家の人々は現在、或る問題に直面して頭と財布を痛めていた。それは、


「だけど、ドラスさんにオーバリオンへ行って貰わなければ、俺はデルフィルに行けないんだ!」


 というヨシンの必死な声が端的に物語る事態であった。


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 デルフィルへ赴いたリムルベート王国の先遣隊、ウェスタ侯爵家公子アルヴァンが発した増援要請は直ちに王都へ届けられていた。だが、その時王都では別の差し迫った問題が話し合われていた。それは、


 ――オーバリオン内紛――


 というものだ。一昨年のオーバリオン王国王太子ソマン急死以降、オーバリオン王国ローラン国王の治世がにわか・・・に異変を示していることは、隣国であるリムルベートでも察知されていた。四都市連合との接近や、昨年秋から冬にかけて発生したオーバリオン王国と森の国ドルドの軍事的な緊張の高まりなどは、その最たるものであった。


 当時、「野戦演習」という名目でドルド河の畔に位置するカナリッジ付近まで軍勢を差し向けたオーバリオンは、リムルベートと山の王国の説得により一旦軍を引いていた。しかし、今月の半ばに突如として再び軍勢を動かしたのだ。しかも今回はオーバリオン王国の民である或る遊牧民氏族に対して、レーナム妃と当時彼女の胎内に宿っていたソマン王子の遺子を誘拐した、という嫌疑を掛けた上での軍事行動であった。


 強力な軽装弓騎兵を率いるオーバリオン王国の軍勢は、自国の民であり多くの騎兵を兵力として提供してきた有力遊牧民氏族の族長一族を討ち果たすと、それで飽きることなく残った民を追撃した。一方、追われた側の遊牧民達は近隣で交流のあった山の王国へ庇護を求めることとなった。


 国境を越えて着の身着のままで逃れて来た人々に対し、山の王国のドワーフ王ドガルダゴ四世はこれを追い返す事が出来なかった。避難民と化した遊牧民達を一時的に国内に招き入れると、長く急な上り坂であるオーバリオン側の国境を封鎖し、その一方でリムルベート王国に対し仲裁を求めたのだった。


 突然起こった隣国同士の軋轢あつれきに、リムルベート王国は対処に苦慮することになった。オーバリオン王国が主張する「王太子妃と遺子の誘拐」という理由ならば、その解決方法がどうであれ、それはオーバリオン王国内の問題であり西方同盟を結ぶ同盟国としては、介入を控えるべきである。寧ろドガルダゴ四世の行為の方が、人の道や正義という観点を除外すれば、間違っているといえる。


「しかし、オーバリオンの背後に四都市連合の影が見える以上、放っておく訳にはいかない」


 いみじくも、ガーディス国王がそう発言する通り、ソマン王子急死後のオーバリオンと四都市連合の接近ぶり・・・・はリムルベート王国の警戒心を引き上げていた。そのため、オーバリオンと山の王国との軍事的な緊張の高まりはデルフィルに押し寄せた四都市連合の軍船団による軍事的圧力よりも高い優先順位が与えられることとなった。


 その結果、リムルベート王国は国王ガーディスの命令により軍勢を二手に分けて派遣することを決定した。派遣される軍勢の一つは山の王国領内へ、そしてもう一つはリムルベート王国とオーバリオン王国の国境付近、ロージアン侯爵領へと向かうことになった。これらの軍勢は勿論オーバリオン王国との戦闘を期した部隊ではない。あくまで兵力を展開し、圧力をかけることで暴挙を思い留まらせる事が目的である。そのため、派遣される軍勢は王都詰めと近隣諸侯が動員できる第二騎士団のみとなった。


 アルヴァン率いるデルフィル先遣隊からの援軍要請は、まさにその陣容が決定した直後の王都に届く事になってしまった。間の悪い報せ・・・・・・はガーディス国王、ウェスタ・ウーブル・ロージアンの三侯爵、コンラーク・スハブルグ・デルハルトといった王家と近い伯爵、そして高位の行政官らによって短時間協議された。その結果、


 ――デルフィルへの援軍は第一騎士団及び第二騎士団から有志を募る――


 という決定に至ったのだ。そして、何人集まるか判然としない有志による援軍の指揮は、最近インヴァル半島の都市オーカスに封じられたハリス・ザリア子爵が行うこととなり、合流後の全軍指揮は引き続きアルヴァン・ウェスタに委ねられる事となった。


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 現在「王都詰め」の任期にあるマルグス子爵家であるから、唯一軍役に従事している当主ヨシン・マルグスは王命に従い西へ向かうべきである。だが、親友アルヴァンがデルフィルの地から援軍を求める報せを送った事、そして、その対応が有志のみ・・・・である事を知ってしまったヨシンは、自分を止める事が出来ない。


「アーヴが待っているんだ!」


 そう言うヨシンは、従軍経験も装備も無い(が、一応腕は立つ)騎士ドラスを第二騎士団に従軍させ、自分は有志としてデルフィルへ向かう事を思い付いていた。しかし、貧乏子爵の借金生活からようやく抜け出したばかりのマルグス子爵家は悲しいかな、先立つ物が無かった。


 当然、マルグス子爵家の台所事情はヨシンも良く承知している。しかし、承知する事と納得する事は別である。そんな若い子爵は、


「きっとユーリーだっているはずなんだ。俺だけ戦いにもならない示威行動に馬鹿な顔して従軍するわけには――」


 と、ややもすると悔し涙を伴うような声色で言う。だが、その言葉は途中でマーシャの凛とした声に遮られた。


「馬鹿な顔って……あぁ、もう泣かないの! 男でしょ、みっともない!」

「でも……」

「でも、じゃないわ。ちょっと時間が掛るかもしれないけど、私に任せて頂戴」

「任せるって、どうやって――」

「それは、今から考える。でも、私だってあなたの気持は分かるのよ」


 鼻の頭を赤くしたヨシンに、マーシャは豊かな胸を張るように答えたのだった。

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