Episode_24.09 急変
コルタリン半島とインヴァル半島に挟まれた広大なデルフィル湾。その湾のインヴァル半島側は東部沿岸地域と呼ばれている。代表的な都市は北から順に、湾の最奥に位置するデルフィル、スカリル、ボンゼと続き、インヴァル半島突端に位置するインバフィルへと至る。南に行くに従い、綿花栽培や穀物栽培が主要な産業となる土地柄だが、スカリル周辺は石灰質の痩せた土壌のため耕作には不向きな土地とされている。
そのような土地でありながら、スカリルという街は程々に栄える街である。その理由はインヴァル山系から流れ込む川や、リムルベートを横断しデルフィル湾に注ぎ込むデール河が運ぶ栄養分が
海産物の塩蔵加工はスカリル以外の土地でも広く行われているが、スカリル産の品は特に質が良く腐敗しにくいとされる。その秘密はスカリルの西側に迫るインヴァル山系から採掘される岩塩にあった。これは「スカリルの塩」と呼ばれ、見た目は普通の岩塩と似ている。この「スカリルの塩」を単体で使用して塩蔵加工を行うと、出来あがりはエグ味が強く食用に耐えるものではない。しかし、通常の岩塩に少量混ぜて使用すると、その出来上がりは色合いが良く腐敗を生じないとされている。その結果、本来腐敗を防ぐ役割を果たす塩味を薄くする事が可能となり、より一層素材の持ち味を生かす事が出来るのだという。
この「スカリルの塩」は、今は未だスカリルの水産加工業者の秘密の処方である。しかし、数十年後の世では
今のところ、漁業と水産加工業を主力とした中規模な街は沖合に留まった四都市連合の軍船団の影を気にしつつ、日々の生活を繰り返すのみであった。
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アーシラ歴498年8月20日深夜 スカリル
デルフィルから南に一日の距離、石灰岩の切り立った海岸線はこの一帯だけ
そんな漁港の南端には大きな灯台があり、その足元には石造りの建物があった。スカリルの治安を管理する衛兵隊の詰め所の一つである。これとは別に街の中心部と南と北の入り口に同じような建物がある。それら四つの建物が常設千人規模のスカリル衛兵隊の拠点となっていた。街の規模からすると千人という衛兵の数は分相応であるが、どこか長閑な空気の流れる港街スカリルでは事件らしい事件が起こる事は稀で、従って衛兵達も普段はのんびりとしている。
しかし、ここ数日はそういう訳にもいかなかった。その証拠に、灯台下の詰め所の屋上には、数人の見張りの人影があった。彼等は灯台から投げ掛けられる明かりを頼りに薄暗い海の方を見張っていた。沖には漁船が焚いた篝火がチラチラと見えている。
「なぁモルト、リーズは今頃どうしているかなぁ……」
「寝てるだろ、いつもみたいに可愛い寝顔でさ」
「も、勿論一人だよな……」
「そんなの決まってるだろ! 変な事言うなよ!」
「ロンも悪いと思うけど、僕はあの金持ち野郎が許せない!」
「俺もだ!」
「俺だって!」
見張りに立っている者達の内、三人の青年、ルッド、モルト、タムロの会話である。実は、四都市連合の軍船団出現の報せを受けたスカリルの漁港ギルドは「万が一の備え」として五百人程の傭兵や冒険者を臨時で雇い入れていたのだ。その中にルッドやモルト、タムロといった冒険者が混ざり込んでいてもおかしい事は無かった。
彼等三人はリーズに対する恋心を打ち明けた結果、仲良く玉砕していたのだが、その後もデルフィルに留まっていた。というのも、彼等が想いを告白した際、リーズは混乱の余り泣き出してしまった。その事をどうにか一度は詫びようと思い、また「もしかすると今度こそは」という一縷の望みも捨てきれずに、結果的に未練がましくデルフィルに留まっていたのだ。
しかし、リーズの側は三人と会う気が無いらしく、謝罪も再挑戦の場も得られない月日を重ねていた。そんな時に舞い込んだスカリルでの仕事に、彼等は気分転換を兼ねて参加したのであった。だが、どうやら気分転換は上手くいっていないようだ。三人が三人とも
「お前達、うるさいぞ!」
三人が三人とも
「ったく、良い歳してうじうじと辛気臭い……そんだけ有り余ってるなら、その金持ち野郎とかをとっちめて女を攫ってくれば良いじゃないか」
その隊長は、衛兵としては
「で、その金持ち野郎ってのは誰なんだ?」
と聞いたのだが、三人が揃って「スカース・アント」と答えると唖然とした表情となった。そして、肩をすくめる仕草をすると、
「そりゃ相手が悪いわ。諦めな、人生諦めが肝心だ」
と言い残して下の詰め所へ戻ってしまった。
一方、屋上に残された三人は治まりが付かないらしく、更に何事か声を荒げている。その時、彼等と同じ隊の傭兵が声を上げた。
「おい! なんか変だぞ!」
ただならぬ緊張を帯びた声に、三人は流石に仕事を思い出して海側へ視線を向けた。先ほどよりは明るくなっているが、沖合には未だ漁船が焚いた篝火が揺れているのが見える。しかし、
「あれ? 篝火がどんどん消えているぞ」
ルッドが発した声の通り、沖合で不意に揺れ始めた篝火が次々と消えていくのだ。その様子はこれまで見たことの無いものだった。
「タムロ、遠くまで見える魔術で見てくれ」
「わ、分かった!」
仲間に急かされたタムロは正の付与術である遠視を発動すると、何度か瞬きを繰り返して増大した視力に感覚を慣れさせる。そして、沖合に目を凝らした彼は驚いた声を上げた。
「あれ、軍船だ! 漁師さんの船がやられている……こっちに向かって来てる!」
その後、灯台下の衛兵詰め所は蜂の巣を突いたような大騒ぎになっていた。
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この日の早朝、これまで動きを見せなかった四都市連合の軍船団は突如として数十隻の櫂船を繰り出すと、デルフィルではなくその近郊の港街スカリルを襲撃した。四都市連合の櫂船は、沖合で漁をしていた漁船の殆どを海中に沈めると、そのままの勢いで漁港に押し寄せた。その数は櫂船三十隻、一度に上陸した兵士は千五百に上ったという。
この事態に、警戒はしていたものの、急襲を受ける格好となったスカリルの衛兵隊は組織だった反撃を断念すると、街の住民を外に逃がす決断をした。発見が早かった事と早々に反撃を断念した事が不幸中の幸いであったのだろう。結果的に住民の半数以上が北のデルフィルや南のオラ村、又は西の岩塩鉱山へ逃げ込む事が出来た。だが、残り半数住民や衛兵隊の一部はスカリルの街から逃げ遅れていた。彼等の消息はこの時点では不明であった。
――スカリル襲撃――
一方、この事態はスカリルを発した伝令によって、その日の正午前にデルフィルの施政府に届けられていた。デルフィルの施政府議会では、丁度「四都市連合の軍船団問題」に関する議論が行われており、その会議に招かれたリムルベート王国ウェスタ侯爵公子アルヴァンと、コルサス王国王子派代表のユーリーはいち早くその報せを受け取る事が出来た。
そして、態度を決め兼ねていたデルフィル施政府もようやく危機を現実のものと受け止め、対応に動き出したのだった。
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