Episode_24.07 全権委任


 晩夏の夕日が港町に光を投げ掛ける。夕日は昼間の喧騒を残す街並みからあかね以外の色彩を奪い去り、東へ伸びる長い影を与える。茹だるような昼間の暑さを吹き払う清涼とした風を待つひと時、街の住民達は今日一日の疲れを癒すべき場所を目指して先を急ぐ。何の変哲も無いデルフィルの夕暮時は、沖合に泊まる軍船団の存在を感じさせないものだった。


 そんなデルフィルの往来を北西に向かって進む数騎の騎馬は、やがてデルフィルの街外れを過ぎると疎らに民家や商家が続く道を更に進む。そして、夕日がすっかり西の地平線に沈んだ頃、彼等はデルフィルの北西に広がる小都市ダルフィルの街へと入って行った。


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 お互いが隣接して立地するデルフィルとダルフィルという大小二つの都市は、見方によっては双子ようにも見えるし、その規模の違いから姉妹のようにも見える。だが、街の生い立ちでいえば、小規模なダルフィルの方がずっと古い歴史を持つ。その成り立ちはアーシラ帝国の征西が完了した約三百年前に遡るものだ。リムルベート王国の王都リムルベートはおろか、アーシラ帝国の西方鎮守府であったコルベートよりも長い歴史を誇る。


 当時は未だ帆船による海上交易が未発達であった。そのため交易の主役は陸上の街道であり、河川を航く筏船であった。そんな時代、現在のリムルベート王国を南北に縦断して流れるテバ河の支流のひとつ ――デール河―― がデルフィル湾に注ぎ込む手前、丁度東西を繋ぐ街道と交差する場所に作られたのがダルフィルの街である。


 現在でもダルフィルの街はリムルベート王国ウーブル侯爵領の南で分岐するデール河を用いた河川交易の要衝である。ただし、その振る舞いは三百年という月日の流れで時代を反映し変化している。当時は切り拓かれたばかりのリムルベート中北部で産した穀物類を西方鎮守府コルベートへ送るための荷揚げ基地であったが、現在は海上交易の起点であるデルフィルへ荷を送る中継基地となっている。それがダルフィルという街であった。


 経済活動の主役が陸上から海上へと移行しつつある時代、幾らか凋落したと評する事も出来るダルフィルは、古都相応の落ち着いた雰囲気を醸し出す。それは、若々しい活気を保つデルフィルとは対照的な空気感を街に与えていた。


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 日が落ちたダルフィルの通りを行く数騎の騎馬はデール河の河川港へ向かう大通りとは反対側に辻を折れるとしばらく進む。そして一軒の倉庫のような屋敷の前に辿り着いた。その屋敷はまるで野戦陣地さながらに外壁沿いに篝火が幾つも焚かれ、門前には数名の武装した兵士の姿があった。その様子を認めた騎馬達は、外壁から少し離れた場所で下馬し、馬を曳きつつ門番役の兵士に取り次ぎを頼んだ。


「ユーリー・ストラスと申します。ウェスタ侯爵公子アルヴァン様に御取次願いたい」


 しっかりとした口調でそう伝えたユーリーに対し、門番役を務めていた青年が答える。夜目では兵士に見えていたが、その青年はれっきとした・・・・・・リムルベート王国の騎士であった。第一騎士団所属の青年騎士は心得たように答える。


「お聞きしておりました。中へどうぞ」


 そして屋敷の敷地内に通されたユーリー達は、他の兵士達に自分達の愛馬を預けると、滞りなく館の中へ案内された。


「此方でお待ち下さい」


 案内役を務めた騎士はユーリー達をガランとした部屋に案内すると、そう言って部屋を後にした。部屋に残されたユーリー達は長方形のテーブルを囲むように配された椅子に腰かける。


「どうした? 落ち着かないな」

「い、いや……そんな事は……」

「ダレスだって、ちょっとビク付いてるだろ」

「おれは、俺は大丈夫だ」


 ユーリーに同行した三人の騎兵隊長 ――ダレス、ドッジ、セブム―― は口ぐちにそんな事を言い合っている。彼等としては、自分達の若気の至り・・・・・ともいうべき「黒蝋事件」で摘発の陣頭指揮を執ったウェスタ侯爵家の公子との面会は可也かなりの緊張を伴う事態なのだろう。もう五年以上前の事件といっても、極刑を免れ国外追放に留まった温情処分は、ユーリーの働き掛け以外にこれから面会する青年の了承が無ければ成り立たなかったものである。或る意味、公子アルヴァンは彼等にとってもう一人の命の恩人という事も出来るのだ。


 一方、ユーリーはアルヴァンが現れるまでの時間を椅子に腰かけ瞑目して過ごす。彼はこれからの面談に考えを巡らせていた。結果的にリムルベート王国側の先遣隊に先んじてデルフィル入りした彼等は、これまでの数日間で粗方の情報を集めていた。その情報にはリムルベート王国の内情も含まれている。


(リムルベートとしては、当面は大規模な軍の動員を避けたいはずだ。だけど、軍船がデルフィル沖に居座る事態は交易の面から看過できない。しかも親リムルベートに傾きつつあるデルフィル施政府の立場は彼等にとって有利な状況、なるべく今の状態を保ちたいはずだ)


 情勢を大局的に見ると、リムルベート王国の立場はそのようなものだと分かる。その上で、


(軍事的な支援が必要だとしても、適切な範囲に収めたい……そのためにはコルサス王国王子派の協力を取り付けたい……いや、利用したいはずだ。でも、アーヴは素直にそれを切り出すか?)


 と、ユーリーは考えていた。


 先のインヴァル戦争に於いて、インヴァル半島東岸域に軍を派遣したかったリムルベート王国はコルサス王国王子派と接触を持っていた。ユーリー自身が仲介した件である。その時は王子派軍が「リムルベート王国軍の通行を黙認する」という単なる了解を取り交わしただけであった。だが、今回はそれよりも一歩踏み込んだ「協力要請」をリムルベート側が持っている可能性があった。


(……結局はリムルベートがデルフィルに持つ影響力をどれほど拡大したいか、又はどの程度に留めたいか……それ次第ということか)


 結局、ユーリーの頭の中を巡る考えはこのような疑問に集約する。情勢的に、今回の件に対してリムルベートが完全にコルサスの介入を排除する事は考えにくいが、全く無いとは言い切れない。コルサス側の協力を受けるという事は、それだけ現在のデルフィルに於けるリムルベートの威光を殺ぐ結果となるからだ。そういった状況であるから、協力を要請するならば「どの程度の協力を要請するか?」という点が即ちリムルベートがデルフィルを将来的にどのように扱うつもりなのか、という答えに直結するのだ。


 リムルベート側がコルサスの介入を認めず独力で解決する意思を見せるならば、将来的にデルフィルを併合するところまで考えている可能性が高い。一方、等分の協力を要請するならば、これまで通り両国の緩衝地帯として適切に管理する事を望んでいる、という事になる。


 ユーリーはこの点の見極めを付けることが出来なかった。そのため、彼はリムルベート王国の先遣隊を率いるアルヴァンとの面談に際して、政治的に臨機応変な判断が出来る人物をデルフィルに送るようにレイモンド王子に要請する書状を送っていた。だが、その書状に対する返事は今朝ほどデルフィルに戻ってきた騎兵一番隊のサジルが携えていた幾つかの書状のみであった。


 ――今回のリムルベート王国側との交渉は遊撃騎兵一番隊隊長ユーリー・ストラスに全権を委ねる――


 レイモンド王子の署名と押印を備えた一種の委任状は現在ユーリーの懐に入れられている。


「……はぁ」


 責任の重さに思わずため息を吐くユーリー。その時、部屋の扉を外から叩く音が響いた。

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