Episode_24.03 急な呼び出し


 老婆レナは高位の魔術である魔力鑑定アプライズマナを簡単な予備動作だけで発動していた。メオン老師は「それしか出来ぬ」と表現していたが、老婆レナが持つ魔術の技能はそれなりに高度なものであることは間違いないようだ。


「ふむ……はいはい、はぁー、なるほど――」


 三人の注目を後目に、老婆レナはテーブルの上に置かれた魔術書に視線と意識を集中している。皴垂れた瞼の下の両眼は、魔術書ではなくその周囲の空間を広く捉えるように、微妙に焦点が合っていない。老婆レナはその状態を維持しつつ、恐らく口癖なのであろう「はいはい」という言葉を繰り返す。


「どうじゃ? 何か分かったか?」

「うるさいわ! ちと、待っておれ」

「む……」


 彼女の様子にメオン老師は一度声を掛けたが、ピシャリと遮られてしまう。高齢の老師ですらこのような扱いであるため、サハン男爵やレナの息子であるゴルメスは口を挟めるはずも無かった。結果として、少し長い沈黙が屋敷の食堂に流れた。


 食堂から見える屋敷の庭からは、下男であるチェロ老人の陽気な鼻歌が聞こえてくる。小規模な菜園の手入れをしているのだろう。時折調子を外す老人の鼻歌は徐々に盛り上がって来たようで、かすれた口笛が合間に混ざり始めていた。そんな様子が良く聞こえるほど食堂は沈黙に包まれていたのだが、その沈黙は唐突に破られた。老婆レナがパッと顔を上げたのだ。


「おお、ずっと動かないから、うっかり・・・・死んでしまったのかと思ったぞ」

「うるさいわい」

「それで、どんな魔術が?」


 随分辛辣なメオン老師の言葉だが、老婆レナは気にする様子も無い。そんな彼女にサハン男爵が問い掛けた。すると彼女はやや自慢げに、椅子に座っても尚曲がった腰を少し伸ばして言う。


「はいはい、随分面倒なものが隠されていたわい」

「面倒?」

「この手の魔術書には強力な保全の魔術が施されている。それは普通の事じゃが、これにはその他に棄損に対する強力な対抗魔術が仕込まれておる……例えばこの魔術書を火にくべて燃やしてしまおうとするじゃろ。すると恐らく火爆波相当の爆発が起こる。水なら氷霜嵐、土なら土槍陣、棄損手段に応じた相の対抗魔術が発動するようじゃ」


 老婆レナは早口で捲し立てるように喋ると、そこで一旦言葉を区切る。そして、他の三人を見渡すと、再び口を開いた。


「じゃが、まだ何かが隠されておるな。垣間見えた魔術陣は……何かの鍵じゃな。少なくとも見たままの魔術書以外の用途がありそうじゃ。もう少し時間を掛けて調べれば分かりそうじゃが――」


 老婆レナは、そう言うとメオン老師へ視線を送る。その時だった。いつの間にか玄関先に回っていたチェロ老人の声が聞こえて来た。


「旦那様! お城から御遣いです!」


****************************************


 その時サハン男爵の屋敷を訪れた使者は二人だった。一人は第一騎士団の若手の騎士で、王城から派遣されていた。その若手の騎士の目的は第一城郭の王宮から外出中であった宮中魔術師ゴルメスを連れ戻すことであった。そして、もう一人の使者はウェスタ侯爵邸宅から派遣された伝令兵だ。こちらは、中年手前の年齢ながら領内で一番足が速いと評されるラールス郷出身の伝令兵だ。彼の目的はメオン老師を邸宅に呼ぶことであった。


 別々の場所から発せられた使者は、ほぼ同時にサハン男爵宅に到着すると相次いで玄関先のチェロ老人に取り次ぎを求めたという次第だった。


「レナや、お前にその魔術書を預けるから、鑑定の続きを頼むぞ」

「はいはい、鑑定料を踏み倒すつもりならこれは店で売るからな。金貨十枚、ボケても良いが忘れるな」

「母さん、禁忌書の売買は違法だから……老師、もしかしたら近いうちに王宮で顔を合わせるかもしれませんな」

「うむ……そんな気がするのう」


 そのようなやり取りの後、ゴルメスは自分が乗り付けた馬車に母である老婆レナを乗せる。そして彼は使者が引き連れていた二頭曳きの馬車に乗り換え王城へ向かった。一方、メオンはその場から相移転の魔術でウェスタ侯爵邸宅へと移動していた。


「旦那様、また戦争ですかね?」

「さぁな……」


 急に訪れた慌ただしさが一瞬で普段通りの静けさに戻る。そんな屋敷の玄関先で、チェロ老人の質問に曖昧な返事をしたサハンである。しかし、その内心はチェロの言葉を否定するものではなかった。


****************************************


 この日、リムルベート王国にもたらされた報せは近隣の友好都市国家デルフィルからの応援要請であった。曰く、


 ――四都市連合の軍船団が沖合に留まり、当方の退去要請を無視している。その目的は不明だが、海上封鎖や港襲撃の恐れがあるため応援を要請したい――


 という報せの内容に、国王ガーディスは国内の軍事部門を招集した会議の開催を決定した。


 一方、ウェスタ侯爵領には別の情報筋からデルフィルの状況が伝えられていた。王都リムルベートに本店を構えるアント商会の総元締、ジャスカー・アント会長が、ひとり息子であるデルフィルのスカース・アントから受けた報せを持ちこんだのだ。その情報は本来、海上交易に注力しているジャスカーに対してしばらくの間デルフィルへの商船の派遣を留まるように伝えると共に、穀物類の買い付けと備蓄を普段よりも多く行うように要請するものだった。


 西方辺境域で手広く商売を行うアント商会は各地に支店や協力商人を配している。それらから集められる情報は、商売の機先を制し利益を確保するためには絶対必要なものであり、同時にアント商会の強みとなっている。一方、手広く集められる情報は軍事的にも政治的にも有用であった。アント商会がウェスタ侯爵家へそれらの情報を提供する理由は、商会創業者がガーランド・ウェスタ元侯爵から受けた恩義に対する報いという側面と、現在も続くウェスタ侯爵家からの利益誘導に対する対価という側面もあった。


 とにかく、リムルベート王家が得た情報とほぼ同等か、寧ろより詳細な情報を得る事が出来た現侯爵ブラハリー・ウェスタは、国王ガーディスが招集した会議に於いて息子アルヴァン・ウェスタと共に大きな影響力を行使する事になった。そして、その会議の結果、


 ――情報収集のため先遣隊をデルフィルに派遣する――


 という国王ガーディスの裁定が下されると、ウェスタ侯爵家は先遣隊の責任者という役目を得ていたのだ。


「お前には言わなくても分かっているだろうが、今のリムルベートには軍事的にも経済的にも余力が無い。この状況で保護国でも無いデルフィルに対して万全の軍事支援は無理だ」

「はい、分かっております」

「だが、相手は四都市連合だ……こちらの事情を分かった上での軍事的な揺さぶりである可能性は高い。実際に街が攻撃される可能性もあるだろう」


 これは、リムルベート王国を出発する前夜の侯爵ブラハリーと息子アルヴァンの会話である。


「コルサス王国側の勢力をどれだけ取り込めるか? というところですね」

「ああ、そうだ。結果的にデルフィルを取り込みたい連中には恨まれるだろうがな……この際デルフィルをまともな緩衝地帯に戻すべきだ」

「お爺様には叱られませんか?」

「はは、確かにデルフィルの立場をリムルベート寄りに仕向けた最初の張本人は父上だが、時代が変わったのだ。私から言っておく……お前は好きなようにやればよい」

「わかりました。それでは、ノヴァとガーラが待っていますのでこれにて」

「うむ、留守の心配は不要。父に任せよ」


 そう言って辞去する息子の後姿を侯爵ブラハリーは頼もしそうに眺めていたという。


 翌日、ウェスタ侯爵家の正騎士を中心とし、第一第二騎士団の選抜者を加えた一団は渉外担当官を伴い、王都リムルベートを出発した。以上が、ウェスタ侯爵家次期当主である若殿アルヴァン・ウェスタがデルフィルに派遣された経緯であった。

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