Episode_24.01 エグメルの主


 広大なドーム状の空間は、その内側を鏡のように磨き上げられた黒い石材で覆われていた。一点の曇りも見られない壁面は広大な空間を照らす光源不明の明かりを反射して淡い光を放つ。その様子は満月の夜空から星と月を取り除いたようであった。完全なる闇ではなく、奥行きを感じさせる黒がその空間を支配している。その様子はまるで、無限に続く空間の広がり、或いは魔術師達が「亜次元」と呼ぶこの世界とは別の空間への接続を示しているようであった。


 しかし、その不思議な奥行きを持つ空間には外界へ繋がる構造が無かった。扉はおろか明かり取りの窓さえ無い。そのため、この場所が地上なのか地下なのか、または本当に「亜次元」と呼ばれる場所に存在しているのか、その答えを見出すことは出来ない。


 そんな広大な空間の中央に一人の人物が佇んでいる。他よりも一段高くなった円形の床で胡坐あぐらを組んだその人物は、瞑想をしているように目を閉じると微塵も動かない。


 その人物は真紅のローブを身に纏っているが、露出した肌は剃り上げられた頭部を含めて全てが真白であった。一見すると白子アルビノのように見える。しかし、一般的に考えられる虚弱な白子アルビノの特徴には合致しない。その肌は健康な血色と若々しさを保ち、体格は偉丈夫と呼んでも差し支えの無い立派なものであった。


「――」


 永遠にも思える無音の時間、何の変化も生じない空間で男は瞑想を続ける。しかし、或る時、閉じていた目がふと開いた。色素の乏しい虹彩の下、血管の赤が浮き立つ瞳は空間の一点を見つめる。すると、次の瞬間、その場所にもう一人の人物が忽然と姿を現した。音や光といった予兆は何も無く、強いて言うならば、人間一人分の空気がスッと動く極小の風があっただけだ。


「元師、ただいま戻りました」


 忽然と現れた人物は鼠色のローブを纏った魔術師であった。その魔術師は若い声でそう言うと、胡坐を崩さない真紅のローブの偉丈夫 ――魔術師は元師と呼んだ―― へ歩み寄る。そして、ローブの袖に一度手を入れると何かを取り出し、元師へ差し出した。それは、ちまたでよく目にする貴金属類を入れるための鍵が掛る小箱であった。


「お検め下さい」


 うやうやしく差し出された小箱を見つめる元師は胡坐を解くと立ち上がる。いつの間にかその手には大振りな杖が握られていた。鈍い黒鉄の光沢を持つ杖は幾何学的に枝分かれした五つの先端に其々輝石を頂いている。見上げるほどの偉丈夫である元師が持っても尚大振りに見える杖は、魔術師が携えるものとしては異様に大きい。だが、それ自体が何らかの魔術的効果を有する魔術具の杖である事は確かである。


「――」


 小箱を凝視した元師はゆっくりと右手を差し伸べる。すると、不可視の力に絡め取られた小箱は魔術師の手を離れ、宙の一点に留まった。カチッ、と金属が鳴らす小さな音が響く。そして、蓋を開けた小箱はそのまま石床に落下する。一方、その中に納められていた物は相変わらず宙に留まったままだ。


 若い魔術師はこれから起こる事が想像できずに固唾を呑んでその光景を凝視する。彼の目の前には宙に滞る金細工があった。全体的にやや赤み掛った金細工は心臓の形をしていた。若い魔術師から見ても、表面を走る血管や浮き立つ筋繊維を忠実に再現した精巧な造りである事が分かった。


「メフィス」

「はい、元師」


 その時不意に元師が口を開く。名を呼ばれた若い魔術師は、労をねぎらう言葉を期待する。しかし、元師の口からは出た言葉は、


解呪デスペルをこの金細工に掛けてみよ」

「は、はぁ……分かりました」


 期待とは異なる言葉にやや拍子抜けしたメフィスは、いわれるままに意識を集中すると短い予備動作を経て解呪デスペルを発動する。一定空間の魔術的効果を消し去る魔術は、本来消去対象の魔術を特定できなければ効果を期待する事が難しい。喩え効果を把握していたとしても、失敗する可能性の高い難しい魔術でもある。そのため、メフィスは失敗する前提で、なかばやけくそ・・・・の気持ちで解呪を発動した。彼は自分の展開した魔術陣に魔力が行き渡り、意図した効果となって対象に届くのを感じる。そして、一拍の間が空いた後、不意に金細工の心臓が魔力の燐光を放つ。


(対抗魔術?)


 その瞬間、メフィスは金細工の心臓に仕掛けられていた魔術的罠を察知し、身を守るために魔力套マナシェイドを発動しようとする。だが、間に合わない。


 バシィッ――


 次の瞬間、金細工の心臓は強烈な光を放つと同時に周囲へ雷条を解き放った。放射状に空間を走るいかずちによって、空気が膨張し強烈な破裂音を伴う衝撃が広大なドームの空間を揺らす。突然の雷撃を至近距離で受ける事になったメフィスと元師は、その瞬間雷光の中に包まれていた。だが、


「あ……あれ?」


 強烈な破裂音の残響の下、メフィスは少し間抜けた声を出していた。強烈な雷撃波サンダーバーストを上回るほどの雷撃を無防備な状態で受けたにも関わらず、彼は一切無傷であった。


「魔術的な罠か……」


 一方、彼と金細工の心臓を挟んで対面していた元師もまた無事であった。


「……防御魔術ですか?」

「ああ、絶対物理障壁だ。魔力套程度では防げぬからな」


 メフィスの問いに元師は事もなげに答える。防御系の力場魔術では最強強度を誇る絶対物理障壁を殆ど瞬間的に発動した技量はメフィスの想像を遥かに上回ったものだ。


「申し訳ありません」

「いや、魔力鑑定アプライズマナでも見えない隠された効果だろう。仕方ない」

「確かに、ここに来るまでに一度試しましたが……罠の兆候は見えませんでした」

「うむ、そうだろう」


 メフィスの言葉に元師はそう言う。そして、それっきり黙り込むと何かを考える風になる。その間も、視線は宙に留まった金細工の心臓に注がれていた。流れる沈黙の時間に、若い魔術師メフィスは不意に居心地の悪さを感じていた。幼いころからエグメルに育てられた彼は、若手の中では抜きん出た才能と技量の持ち主である。だが、目の前の真紅のローブに身を包んだ白色の偉丈夫は、彼を含めた他のどの魔術師よりも優れた存在だった。


(優れた、などではないな……底が知れない)


 メフィスはそんな風に考えた。目の前の元師の素振りが魔力鑑定アプライズマナを使用した上での観察であることに気がついたのだ。但し、正の付与術としては最高難易度を誇る魔力鑑定を補助動作無しで発動することなど、メフィスには想像もできない所業だった。


「……インカスの地に下位魔神と共に封じられていた事は知っていた・・・・・。だが、このような小細工がされているとはな……白き鼓動の会アルヴィリアの仕業か」

「アルヴィリア、とは何ですか?」


 呟くように漏れる元師の言葉、その中に混じった聞き慣れない名称にメフィスは思わず問いを発した。だが、彼の問いに元師が答える事は無い。彼の事など全く眼中に無い素振りの元師は再び意識を金細工の心臓に移す。隠された魔術の罠、それを構成する魔術陣を解析しているのだろう。


そして再び沈黙が流れるが、しばらくすると、その沈黙は元師の言葉で破られた。


「……メフィス」

「は、はい」

「死霊の導師アンナの監視役として『北東の逆塔』へ行ってもらう予定であったが、変更する」

「変更、ですか?」

「この『心臓』と共にインカスに封じられていた何かが無ければ罠……いや、封印は解けない。それを探し出せ。無明衆にはザメロン導師から話を付けさせる。時間が経てば行方を追うことは困難になる。急げ」

「わ、分かりました」


 新たな使命を受けたメフィスは、その一言を残して姿を消した。そして、再び一人となった元師は宙に浮かんだままの金細工の心臓を掴み取り、力を籠めて握り締める。その時の彼の表情は、幾星霜の時の流れに積み上がった愛情とも憤怒とも取れない壮絶なものだった。そんな表情を浮かべつつ、口から洩れる吐息は、


「……紅金の心臓は我が手中。残すは六つの塔と、エーテルの大甕たる使徒……」


 という言葉を刻む。そして、


「解放の時は近い」


 そんな言葉が虚無の空間に広がった。


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