Episode_23 エピローグ 王子と暗殺者


 夏の間、リムル海から流れ込む湿った空気は日ごと夕方近くに大雨を降らせる。それは西方辺境域のリムル海沿岸地方では御馴染みの「夏の空模様」である。


 この日もコルサス王国王都コルベートはそんな雨に降られていた。正午を過ぎて四時間ほど経過した午後の遅い時間に、空はにわか・・・に重たげな厚い雲に覆われた。そして一時いっときだけ冷たい風が強く吹いた後には大粒の雨が石灰岩の白っぽい街並みを洗っていた。


 港に停泊する四都市連合の大型帆船、街中の露店、庶民が暮らす長屋の軒先、白珠城パルアディス、全てが等しく雨に洗われていく。そして、一時間ほど降り続いた雨は、始まりと同様にピタリと止む。その後に訪れるのは、日中の暑さが和らいだ夕暮れのひと時である。熱せられた石材が雨に洗われることで生じる独特の臭気が王都を包み込んでいた。


 雨によって止まっていた往来が動き出し、人々は整備された石畳の上を足元に気を付けながら目的地へ急ぐ。その様子は、街を見下ろす白珠城パルアディスの第三城壁の上からでも見る事が出来た。小さく見える大勢の人々が、雨が止むのを待っていたように通りに出ていた。その様子はリムル海の真珠と称される王都コルベートが相変わらずの活況を呈していることを教えていた。


 そんな街並みを城壁の上から眺める青年がいた。コルサス王国の第二王子でありながら、妾腹の生まれ故に軽んじられている青年、ガリアノだ。彼は第三城壁上を巡視中に雨に降られ、城壁塔の一つで雨宿りをしていたのだった。そんな彼は雨が降り止んだ様子に外へと出ると、眼下に広がる雨上がりの街を眺めていたのだ。


「……まるで別世界の光景だな……」


 ガリアノは雨上がりの澄んだ空気に満たされた街並みを眺め、そのような独り言を呟く。彼が眼下の街並みを別世界と感じた理由は分からない。終わりの見えない内戦の最前線におかれたタバンとターポの人々を想っての言葉かもしれないし、彼自身の不遇な生い立ちと先行きを嘆いたのかもしれない。だが、眼下に広がるコルベートの人々の暮らしは忙しいながらも安寧であった。少なくともそう見える・・・・・ことが、ガリアノの心中を少しばかり慰めていた事は事実のようであった。


「そろそろドリム達と合流を」


 街並みを眺め続けるガリアノの背後にそんな声が掛けられた。割れたように響いて聞き取り辛い声だ。その声の主はガリアノの周辺に留まったイグル郷の猟兵の格好をしているが、他の猟兵達とは醸し出す雰囲気が異なっていた。その風貌は年齢不詳の趣があるが、細面な顔に刻まれた深い皴は壮年期を過ぎ老年に達した男のものである。だが、その身のこなしはキビキビとして隙が無く、老いの衰えを微塵も感じさせない。更には、


(びっくりした……いる事を忘れていた)


 とガリアノが内心驚いたように、その猟兵の格好をした男は普段から気配を感じさせないのだ。


 幼少期からイグル郷で同年代の少年達と猟兵になるべく訓練を受けていたガリアノは生半可な騎士より余程に腕が立つ。当然周囲の気配に対する感度も一般人とは次元が異なる。だが、そんな彼をしても、その猟兵の気配は全く読めないどころか、近くにいても見失うほどなのだ。


 だがこれはガリアノに限った事ではない。猟兵達の元締めでもある騎士ドリムでさえも「いる事が分かっていても目を離すと気配が全く窺えない」と漏らしていたほどなのだ。イグル郷の古参の猟兵、つまり若者達を指導する立場の者達でもここまで完璧に気配を消しつつ日常を送る事が出来る者は居ないだろう。


「そうだな……もどろうか」


 驚いた内心を悟られまいと、やや時間を置いてからガリアノはそう返事をした。対してその猟兵 ――割れ声のムエレ―― は頷きも返事もなく、ただ彼の後ろを影のように一定の距離で続くのだった。



Episode_23 東方戦線(完)

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