Episode_23.27 戦いの変遷


 アーシラ歴四百九十八年五月の中旬に起こったコルサス王国東部タトラ砦周辺での戦いは、王弟派側が王子派と民衆派の連絡を断つという目的の元で仕掛けられた。王子派が占拠したサマル村への攻勢は大規模な陽動作戦であり、王弟派の真の目的はオゴ村の制圧であった。しかし、オゴ村に駐留していた王子派軍の部隊による決死の防衛戦と、トリムの街から引き返した援軍、及び後方スリ村から駆け付けた援軍の到着により、王子派は多大な犠牲を払いつつオゴ村を死守する事が出来た。


 その戦いでオゴ村の防衛を指揮した王子派の連隊長コモンズが命を落とした。しかし、彼は自らの命を以って王弟派第二騎士団将軍オーヴァンが討たれる切っ掛けとした。実際にオーヴァン将軍を討ち取ったのはリムルベート王国から流れて来た青年であったが、王子派の面々の尊崇の念は連隊長コモンズに向けられる事になった。


 そのような悲劇的事件を孕みつつオゴ村を死守した王子派は十日後の六月初めにタトラ砦への攻勢を開始した。先のオゴ村攻撃に於いて主力の騎士隊と精強な兵士を多く失っていた王弟派はこの攻勢に耐える事が出来なかった。後詰め部隊として王都コルベートを出発したスメリノ王子率いる第一騎士団がターポに留まり、タトラ砦まで援軍を派遣しなかったことも原因だった。そのため、レスリックが臨時で指揮を執る第二騎士団は砦が完全に包囲される寸前に脱出を試みるに至った。


 結局、タトラ砦は王子派の攻勢開始三日後に陥落する事になった。砦包囲の前哨戦と最後の脱出時以外では大きな戦闘が発生しなかったため、この時の戦いでは敗戦側の王弟派にも大きな被害は発生しなかったという。結局第二騎士団の残存兵力凡そ二千五百はほぼ無傷のままターポの街の第一騎士団と合流する事が出来ていた。


 そしてコルサス王国東部の戦況は、王弟派が守るターポに対してトリムの民衆派「解放戦線」とタトラ砦の王子派東方面軍が其々東と北から二方面の圧力を掛ける状況となっていた。この年の初め、トリムからの大規模な避難民に激怒したレイモンド王子が仕掛けたリムン峠南の三村を攻略する作戦は、突き詰めるとそのような結果となったのだ。但し、王子派内部であっても、現在のような状況をその当時予想し得た者は皆無だろう。だが、レイモンド王子と彼に近しい一人の青年は、思い描いた理想的な状況を実現できた事に秘かな喜びを分かち合っていた。


 コルサス王国が存在するコルタリン半島を俯瞰的に眺めれば、東の状況はそのような・・・・・展開を見せていた。その一方で西側の状況も順調に推移している。マルフル将軍率いる西方面軍はタバン北部の平野部に砦を築くとこれを堅守していたのだ。


 「ノルバン砦」と名付けられたその砦を巡っては、この年の四月から頻繁に小規模な戦闘が発生していた。しかし、タバンから送り込まれる四都市連合の傭兵を中心とした部隊を前にマルフル将軍と西方面軍の騎士や兵士達は一歩も退かない構えで新しい砦ノルバン砦を死守していたのだ。


 そのため、地理的に王弟派の勢力は西トバ河以南と南トバ河以西の限られた土地に封じ込まれた格好となっていた。陸路による東西との交流交易を全く断たれたコルサス王国王弟派は当然の如く海路を牛耳る「四都市連合」への依存を高める事になる。それは王弟派と四都市連合の同盟における力関係が徐々に崩れる兆候であったが、この時はまだそのきざしは現れていなかった。


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アーシラ歴498年8月 トトマ


 トトマに出来あがった「新街区」、その一番筋の奥には瀟洒な平屋の家がある。小さな家屋と比べると広く見える敷地の両端にはけやきの大木が植え込まれ、そこだけ森の中の一軒家のような落ち着いた雰囲気を醸している家だ。しかし、春先から夏に掛けて、下草が一気に成長する季節に無人であったその家は、伸び放題に伸びた下草に領土を侵食されつつあった。


「あぁ、もうきりがないっ! 火爆矢でまとめて燃やしていい? リリア!」


 侵食する下草に対し、草刈り鎌片手に最前線で戦っていた青年が根を上げたように声を発した。ただし、その声は少し笑っているので、それが彼の冗談であることは、この場に居る全員・・が分かる事だった。


「ダメですよ、ユーリーさん。そんな事したら衛兵隊から叱られますよ」

「炎は良いけど煙と臭いは制御出来ないわ。苦情が来るわよ、地道に行きましょう」

「……はーい……言ってみただけだよ」


 そんなユーリーの声は男女二人の声によって相次いで否定されてしまう。そのため、ユーリーは少しだけ不貞腐れた表情を作って見せてから、相変わらずの草刈りに戻る。


 炎は良いけど、と言った女性は当然ながらリリアである。一方、衛兵隊を気にした人物は三十中盤のがっしりとした男である。彼の名はガン、トリムの街に潜入したユーリーとリリアが貧民達を逃がす際に口入れ屋スランドから紹介されて協力した人物だ。アートンに逃れた彼はその後トトマの街に流れて来ていた。


「御昼の支度ができましたよー!」


 そして、母屋ともいうべき平屋から軒先に出て大きな声でそう呼ぶのは、ガンの妻メサであった。彼女のふくよか・・・・な腕には乳飲み子が抱きかかえられている。ガンとメサの娘トマである。


 メサの呼ぶ声に、ユーリーとリリア、それにガンの三人は庭の草刈りを中断し軒先へ集まる。大きく張り出したひさしが作り出す日陰には、小さな円卓と椅子があり、円卓の上には食べ物を並べた浅い木皿が置かれている。木皿に盛られた昼食は薄く焼いた小麦の生地で塩気の効いた塩蔵肉と葉物野菜のピクルスを包んだものであった。それがまるで俵を積むように積み上げられている。その隣には野苺のジャムで淡く味付けした井戸水の入ったポット、そして人数分の杯が置かれていた。


「旦那様、葡萄酒のほうが良かったでしょうか?」


 テーブルに着いたユーリーに対してメサはまるで給仕頭のように言う。その言葉にユーリーは苦笑いを浮かべて、


「旦那様は止めてよ……今から飲んだら午後はダメになっちゃうから、これでいいよ。さ、メサさんも座って一緒に食べよう」


 と言う。そして少し遠慮がちなメサも椅子に座ると四人は一緒に昼食のパン包みを苦に運んだ。


 彼等がこのように過ごすのにはちょっとした理由があった。タトラ砦とトリムを繋ぐ連絡と補給はシモン将軍傘下の東方面軍に任される事になっていた。一方、オゴ村を巡る攻防戦でそれなりの損害を出した遊撃兵団の一部は兵力補充と西方面軍の後方支援のためトトマに戻されたのだ。遊撃兵団の内、歩兵部隊の半数は相変わらずトリムに留まり民衆派「解放戦線」に協力しているが、オゴ村で王弟派と当たった部隊は後方に移動していたのだ。


 その状況下で約七か月ぶりにトトマの自宅に帰ったユーリーとリリアは、自宅の惨状に唖然とする結果となった。住む人の居ない家は荒れるという、その言葉通りの状況が二人の目の前にあったのだ。


 そのため、ユーリーとリリアは自宅を留守の間に管理してくれる人物を探した。そして、丁度ディンスの港で職を得るためにトトマを通り掛ったガンとメサの夫婦に再会したのであった。ユーリーとリリアの頼みを聞いた夫婦は二つ返事で家の管理を請け負った。ガンからすると、ユーリーとリリアは炎に巻かれ焼け死ぬ寸前だった妻メサと娘トマの命の恩人である。またメサからしても、ユーリーとリリアは娘と自分の命の恩人であった。


 そんな夫婦は早速ユーリーとリリアの家に向かうと、敷地の入り口付近に住み込み用の小屋を建てつつ、下草で覆われつつ敷地の草刈りに取り掛かったのだ。だが、家の敷地に生える下草は尋常な勢力ではなかった。これはリリアによると、


「もしかしたら、地の精霊を中心に色んな精霊が活性化してるのかも」


 という事だった。寛風の王ヴェズル北風の王フレイズベルグ、そして南天の王ルフから力を借りる事が出来る精霊術師であるリリアの元では、あらゆる精霊が自然と活性化する、そんな可能性はユーリーにも納得できるものであった。


 そして、トトマに戻り束の間の休息に入ったユーリーとリリアは家屋を侵食する下草と戦いを繰り広げることになった。戦況は流石に人間が有利な状況であった。


「明日にはひと段落ですね」

「そうだね、剣と鎌では振り方が違うけど、これはこれで良い練習になったかもしれない」


 ガンの言葉にユーリーはパン包みを片手に持ったまま肩を回すように言う。緩く包み込まれた具材がこぼれそうになるが、その寸前で言葉を言い終えたユーリーはそれを口で受け止めた。


「ちょっと、行儀が悪いんじゃない?」

「ぇ……ごめん」


 そんな彼の様子にリリアが少し睨むようにして言う。その言葉に縮こまって謝るユーリーは何処か少年のような幼さを見せていた。その様子にガンとメサは思わず顔を見合わせると吹き出すように笑っていた。


 平和な時間であった。八月のトトマの上空は青い空に大きな白い雲が千切れながら南へ向かう。刈り取られた下草の放つ青っぽい匂いもまるで草原の中に居るような気持ちにさせる。


 そんな昼下がりの軒先に突然一陣の風が吹き抜ける。ガンやメサにとっては心地よい風だったかもしれない。だが、それを感じたリリアは一瞬顔を強張らせた。そして彼女の様子を何くれとなく見ているユーリーはそんな彼女の変化を感じ取った。果たして、風が吹き抜けた直後、家屋から少し離れた門の方でユーリーの名を呼ぶ声が聞こえて来た。


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