Episode_23.26 騎士の死


「うろたえるな! 子供だましの目晦ましだ!」

「周囲を警戒しろ!」

「将軍、一旦お退き下さい!」


 霧に包まれたオーヴァン将軍の周囲ではそのような声が上がる。しかし、声を発する騎士達の姿はオーヴァン将軍からは良く見えなかった。


 濃霧に包まれたオーヴァン将軍は舌打ちする。霧が発生する寸前、彼の騎士隊は完全に統率を乱していた。潰走一歩手前の敵兵の姿に「殲滅せよ」という彼の指示が騎士隊を不要なほど駆り立ててしまったのだ。裏切り者であるコモンズを捕えた直後で、騎士達が興奮気味であったことも影響していた。その結果、二百騎の騎士隊は隊列を崩して、我先に、と敵兵に向かう事になった。


 その事態にオーヴァン将軍は当然の如く隊列を整えるように号令を発した。しかし、不運なことに彼の命令は突然発生した落雷と爆炎の魔術が発した轟音によって騎士達に届かなかった。そして、その魔術が合図であったかのように王子派の騎兵隊が援軍として現れたのだ。


 統率を乱していた騎士隊は援軍に対して効果的な対応が取れない。オーヴァン将軍は視界の先で見事に二手に分かれてしまった騎士隊の姿を見た。だが、それも束の間、オーヴァン将軍が乱れた統率を取り戻そうと再度号令を発する直前、今度は彼の視界を濃い霧が埋め尽くした。


(主導を握られているな……オゴ村は落としたも同然だ、迂回させている兵達と合流するべきか)


 オーヴァン将軍はそう考えた。戦いの序盤を騎士隊の戦力で圧倒し王子派の守勢を潰滅させる、という彼の作戦はほぼ成功している。この先は歩兵中心の兵力と合流し村の占拠を確実にしなければならない。


 心を決めたオーヴァン将軍は濃い霧に沈んだ騎馬の足元へ視線を落とす。そこには、縛られて地面に転がされた状態のコモンズの人影があった。その人影は何とか拘束を解こうともがいているが、自害を防ぐために噛まされた猿轡のため声を発する事は無い。その様子を確認したオーヴァン将軍はひと際大きな声で周囲に号令を発する。


「捕虜を回収し……」


 「捕虜を回収し一度南へ後退せよ」その時、オーヴァン将軍はそう号令を発したつもりだった。しかし、彼の言葉は途中で途切れてしまった。言うのを止めた訳ではない。その証拠にオーヴァン将軍の口は言葉を発するために動いている。だが、その喉から吐き出される声が空気を震わせることは無かった。彼の声だけではない、周囲の物音や少し離れた場所から響く馬の嘶き、戦いの音、近くの騎士達が発する声、全てが聞こえなくなっていた。


(な、なんだ?)


 突然無音となった状況に、オーヴァン将軍は動揺しつつも周囲に視線を送る。すると、伸ばした腕の先も見通せないほど濃密だった霧が、彼を中心とした半径数メートルだけ薄くなっていることに気付く。


(一体何が?)


 まるで霧の壁に取り囲まれているような状況にオーヴァン将軍は理解が追いつかず困惑を深める。そんな彼はふと視線を下に落とす。先ほどまでは影しか見えなかったコモンズの姿がハッキリと見て取れた。そのコモンズもまた困惑した表情を浮かべている。


 思わず視線が重なり合った二人だが、次の瞬間、コモンズの視線が驚いたようにオーヴァン将軍の後ろを見た。コモンズの視線の動きに釣られたオーヴァン将軍は反射的に其方を見る。


 その時だった。オーヴァン将軍の視界の端で黒い影が走った。次の瞬間、彼の騎馬は棹立ちとなり、不意を突かれた乗り手を地面に振り落としていた。


****************************************


 力場魔術による濃霧の中、ユーリーは下馬すると広場を駆ける。リムルベートの山の王国直営店で特注した軽装板金鎧ライトプレートは素早い彼の動作を妨げる事なく、また、充分な静粛性を保っていた。


 霧の力場魔術の中「制御の魔石」が持つ魔力痕跡を目指して走るユーリーの周囲には、突然の濃霧に驚いた王弟派の騎士達が言い交わす大声が響いている。しかし濃霧フォッグフィールドを発動する直前に確認した限り、敵の指揮官オーヴァン将軍の近くには縛られて地面に転がされたコモンズの姿以外、配下の騎士の姿は無かった。皆、将軍の号令に応じてコモンズ連隊の兵士達を討とうと騎馬を駆けさせた直後だったのだ。


 目晦ましの力場魔術を展開したユーリーの意図は只一つだ。それは、敵将オーヴァンを討ち取る、というものだ。ユーリー達遊撃騎兵隊百騎はオゴ村北の広場に援軍として辿り着き、今は不意を突いた事と攻撃魔術の助けによって有利に展開している。しかし、オゴ村に攻撃を仕掛けた王弟派の騎士の数は遊撃騎兵隊の倍以上であった。機先を制した優位は長く持たない。何れ地力に勝る騎士達が態勢を立て直すだろう。


 また、後方のロージ団長率いる遊撃歩兵団は、オゴ村を東から迂回する王弟派の本隊ともいうべき歩兵を中心とした兵力を林道で食い止めている。その勢力差は王弟派が兵士八百に騎士数十騎、対する遊撃歩兵隊は兵士が五百だ。食い止める事が出来なければコモンズ連隊のみならず、遊撃騎兵隊も退路を断たれてしまう。


 そんな状況下であるから、ユーリーは敵将を討つことを思い付いたのだ。そして彼は自らが発動した力場魔術の霧の中を走る。やがて「制御の魔石」が持つ魔力痕跡が近づくと、ユーリーは次の一手 ――静寂場サイレンスフィールドの力場魔術―― を発動する。風の精霊術とは異なり、ユーリーが発動した魔術は一定空間の音の振動を入力も出力も同時に極小化する。副次的に繊細な力場魔術による「場」が乱され、静寂場を発動した空間の霧が薄くなった。その空間にユーリーは飛び込むように駆け込んでいた。


(――っ! 先ずは馬を!)


 円形に切り取ったように霧が薄くなった空間へ飛び込んだユーリーは、その空間に騎乗の騎士と地面に倒れ込んだ騎士を認めた。疑う余地も無く、騎乗の騎士はオーヴァン将軍であり、地面に倒れ込んだ騎士はコモンズ連隊長である。その光景を一瞬で見定めたユーリーはオーヴァン将軍の騎馬へ右後ろから肉迫すると、魔力を込めた魔剣「蒼牙」を一閃させた。鈍蒼色の刀身は魔力を呑み込むと切れ味を増し、まるで羊皮紙をナイフで切り裂くような手応えと共に馬の右腿を馬鎧バーディングの分厚い革と環鎖と共に斬り裂いた。


 バッと赤い鮮血が飛び、馬は棹立ちに、そして背中のオーヴァン将軍は地面へ落ちる。その間、ユーリーはその横を駆け抜けコモンズの元へ向かう。彼はコモンズを縛りあげていた縄を斬り解くと止血術ヘモスタッドと魔術による治癒ヒーリングを立て続けに発動した。拘束を解かれ、傷を塞がれたコモンズは何事か声を発するように口を動かすが、静寂場に支配された空間では彼の言葉は響かない。


 尤も、この時ユーリーはコモンズの反応に注意を払っていなかった。彼は背後を振り返ると、敵将の動向に注意を払う。そんなユーリーの視線の先では、王弟派随一と呼ばれた猛将軍が態勢を立て直すと両眼を怒りで爛々と見開き長剣バスタードソードを抜いた所であった。一目で業物と分かる長剣を肩に担ぐように構えたオーヴァンは、口を開くと何事かを言い放つ。静寂場の中で音は伝わらないが、それでも相手を震え上がらせるような鬼気迫る表情である。


 対するユーリーは、そんなオーヴァンに正対すると改めて右手の蒼牙を正眼に構える。そして両者はまるで呼吸を合わせたかのように同時に間合いを詰めた。


 武器の道理として、長尺の長剣を持つオーヴァンが先に攻撃の間合いを得る。彼は、静寂場を打ち破るほどの気合を込めて愛剣を左上段から袈裟に打ち下ろす。その一撃は凄まじく疾く、ユーリーはその剣先の軌道を見失い後ろに飛び退かざるを得なかった。


 ――ブゥンッ!


 決して聞こえないはずの風切りを感じる、そんな錯覚を起こすほど鋭い剣先であった。しかも、その剣先は地面すれすれでピタリと止まると、次いで逆足を踏み込んだ刺突に変わりユーリーを襲った。


(なんのぉっ!)


 その一撃をユーリーは仰け反って躱す。結果的に一撃を躱す事は出来たが、反撃を繰り出せる態勢を作れないユーリーは左側に跳んで一度間合いを取る。


(手強い!)


 一連の攻撃で分かったことは、オーヴァン将軍の強さであった。四十半ばの年齢は、健やかに身体を養い保てば体力と精神力、そして技術が均衡を取る最も充実した年齢、つまり壮年期である。その剣の鋭さは同じ長剣を遣う幼馴染の親友ヨシンよりも一段上であると、ユーリーには感じられた。


 一方、大きく間合いを外したユーリーに対して、オーヴァンは休む暇を与えない連続攻撃を繰り出す。一気に間合いを詰めたオーヴァンの一撃をユーリーはミスリル製の仕掛け盾で防ぐ。ズシリと重い衝撃が左腕に走り、ユーリーはそのまま右へ態勢を崩す。しかもその時、二騎の王弟派騎士が霧の間を裂いて静寂場が支配する場所に現れた。その騎士達は目の前の光景の驚き何事か言うように口を動かすと、馬上槍を構えオーヴァン将軍の隣からユーリーに攻撃を仕掛けた。


 一人でも手強い敵に二騎の騎士が加勢に加わり、ユーリーは余裕が無くなる。今更ながらに初撃を魔術にしなかったことを後悔していた。彼の頭の中には育ちの故郷樫の木村の村長が言った厳しい言葉が駆け巡っていた。


(なんとか立て直さないと……)


 そう思うユーリーだが、その切っ掛けを見出すことができない。ユーリーは長剣と二本の馬上槍に追い立てられていた。オーヴァンと騎士達の連携攻撃はユーリーに反撃の機会はおろか、魔力衝マナインパクトの起想をする暇さえ与えないものだった。


(一瞬の隙さえあれば――)


 その状況に、ユーリーはそんな事を考えた。それは、厳然とした戦場では望み薄な期待でしかない。何より、ユーリー自身がその事を良くわきまえていた。だが、この場に於いて、その隙を作りだせる人物が一人いた。それはコモンズである。酷い手傷を負い、捕縛されて地面に転がっていると思われていた彼は、にわかに立ちあがると武器も持たずに徒歩で戦うオーヴァン将軍に組掛ったのだ。


 静寂場が支配する戦場でなければ驚愕と怒号が交差しただろう。だが、無音の内に組み合う二人は縺れるように地面に倒れる。二騎の騎士達は自分達の指揮官を襲った状況に一瞬ユーリーから注意を逸らす。次の瞬間、パッと赤い血潮がコモンズの首からほとばしった。それは瞬く間に起こった一連の出来事であったが、ユーリーには充分なものだった。


 次の瞬間、注意を反らせた二騎の騎士は其々無数の炎の矢を受けて松明のように燃え上がり落馬する。そして、コモンズの首に長剣を突き立てたオーヴァンがその出来事に顔を上げた瞬間、彼は自分の喉元に迫る鈍蒼色の刀身を見ていた。それが、王弟派随一の猛将オーヴァン将軍がこの世で見た最後の光景であった。


 ――カンッ


 力場魔術の中心部で炸裂した攻撃魔術火炎矢により、濃霧も静寂も一気に効果を失う。そして、晴れ渡り音が戻った戦場には、オーヴァン将軍の首を断ち切る妙に乾いた音が響いていた。


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