Episode_23.20 裏のかき合い
アーシラ歴498年5月中旬
レイモンド王子がトリムへ向かってから四週間目、そしてその状況が王弟派のタトラ砦に伝わってから三週間目のこの日、ようやく王弟派側に動きが見られた。王弟派側の騎士が使者としてサマル村を訪れ、東方面軍シモン将軍に対し「停戦合意無効」を突き付けたのだ。その内容は、
――立ち入り禁止区域である東岸南の森で貴軍の姿を見たという報告が複数ある。停戦条件が破られている事は明らかなので、これ以上停戦状況を維持する必要は無いと判断する――
というものだった。特に事実を証明するような内容は無く、一方的な通告であった。だが、それを受けたシモン将軍は、
「結構! 戦ってこその騎士である。これ以後は戦場で会おう」
と短く答えたという。停戦合意破棄は王子派としても織り込み済みの展開であった。
合意破棄を受けた王子派軍は、直ちに大量の物資をスリ村からトリムへ向けて送り出した。最悪の場合、数週間補給が滞ることを見越しての判断である。その物資の輸送を請け負ったのは、嘗てトリムの街から貧民達と共に逃げ伸びて来たトリム土着の行商人や隊商主達であった。数千人の逃走を助けた数百台の荷馬車は、今や物資を満載した王子派の補給部隊となって森の中を進み、南を目指した。危険な任務であるが、行商人や隊商主達は自分達の本分を全うしようと、又は多額の前受け金を目当てに、全員が勇んでこの仕事に当たった。
一方、そんな補給部隊を送り出した後、スリ村の守りを預かる騎士アーヴィルは守備部隊に戦闘準備を呼び掛けると、南トバ河の対岸へ再度斥候を派遣することを決めた。現在のスリ村の防衛は、約千人の民兵団兵士と傭兵団「オークの舌」の百五十人。その内、斥候部隊を任されたのは精霊術師を多く配した「オークの舌」であった。
(緒戦でこちらの配置を乱すため、後方側面、つまりスリ村を対岸から攻撃する可能性は充分高い)
という騎士アーヴィルの
そして、南トバ河の対岸の森に警戒線を敷いたスリ村防衛部隊であるが、王弟派側の動きは彼等の想像とは少し違っていた。
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アーシラ歴498年5月16日
トリムの北に広がる森林地帯の中ほどに位置するオゴ村は貧しくも
そのため数年前に発生した不作とその後の穀物価格の高騰の煽りを受け、王子派軍がこの地域に進駐するまでは深刻な食糧不足に陥っていた。だが、今年の二月過ぎからは村の食糧事情も改善され、今は完全に嘗ての生気を取り戻した村人が生業に取り組んでいた。そんな村人達の多くは、森の中に林道を切り開く事業に狩り出され、現金収入を得ることもできていた。村の男達の中には、トリムの街への補給部隊の人足を引き受け、更なる現金収入を得ようとする者も多かった。
そんなオゴ村は王子派と民衆派を繋ぐ秘密の経路の要衝であるが、王弟派の注意を惹かないように、敢えて厳重な警備や防御施設の構築は行われていなかった。また、この村に進駐するのはコモンズ連隊の五百人の兵士達と数名の冒険者のみであった。
この防御の薄さは王弟派の注意を惹かないためであるが、その一方で王子派軍の限界を示すものでもある。タトラ砦と対峙するサマル村、そして補給物資を集積するスリ村への防備を充分にするだけで、王子派軍は手一杯であった。そのため、オゴ村へ回す人手も資材も兵力も、何もかもが不足していた。まさにオゴ村は竜の腹に在るという鱗間の隙間、つまり王子派の弱点そのものであった。
そして、その弱点を王弟派に突かれる事になった。
この日の朝、王弟派の軍は先ずサマル村へと姿を現した。その主力は騎士ではなく兵士であった。兵士達はタトラの渡り瀬を通らず、その下流である南から筏を使い東岸へ渡ると、そのまま北上し河原を経てサマル村を取り囲む外壁へ肉薄した。
サマル村を守るのは王子派軍の主力であるシモン将軍率いる東方面軍と中央軍の騎士と兵士達だ。その勢力は騎士四百に兵士が二千四百、王子派軍の主力の名に恥じないものである。対して、サマル村の前に陣取った王弟派の兵士は三千強であった。要塞のように守りを強固にしたサマル村を攻め落とすには
一方、後方スリ村では、先に斥候として森の中に潜伏していた傭兵部隊に対して執拗な牽制攻撃が行われていた。精霊術師を多く配する傭兵部隊に対して、牽制を行うのはレスリックがイグル郷から連れて来た老練な猟兵達である。彼等は正面衝突では分が悪いが、森の中という見通しの悪い地形では、精霊術師の探知網を掻い潜りその裏を突く動きを見せた。決して相手に多大な損害を与える攻撃ではないが、凡そ二百弱の傭兵部隊を釘付けにすることは可能であった。
だが、サマル村とスリ村に対して行われた攻勢は、続く一手への序章に過ぎない。その一手は、同じ日の午後にオゴ村に襲いかかった。遥かターポ付近まで一旦南下して南トバ河を安全に渡河した王弟派第二騎士団の主力たる騎士四百と兵士八百が、オゴ村を急襲したのだ。
防備の最も弱い、しかし、王弟派から見れば最も攻め難い奥まった場所を突かれた王子派はオゴ村で苦境に立たされた。
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「村人は森へ逃がせ!」
「配置へ急げ! 早くしろぉ!」
「スリ村へ伝令! 急げ!」
連隊長コモンズや部下の隊長達の号令が響く。王弟派の接近を察知したとき、オゴ村側は全くの不意を突かれていた。そのため、混乱する村人と所定の持ち場に向かおうとするコモンズ連隊の兵士達は軽い混乱状況に陥った。
「ったく、飛んだ貧乏くじだ。ひと足先に
一方、冒険者集団「飛竜の尻尾団」の四人の内、魔術師タリルは悪態を吐きつつも防衛拠点となる村の共同倉庫へ向かう。一方、リーダー格のジェロは片手で
「イデン、皆を冷静にさせてくれ」
「分かった……猛き者の守護者たるマルス神よ、戦場に冷静と分別の帳を降ろし給え、我らに運命に立ち向かう勇気を与え給え――」
ジェロの言葉を受けて、イデンは彼が信仰する戦いの神マルスに祈りを捧げた。それはマルス神の神蹟術「
その時、一行の中の小柄な男リコットが周囲の人々に声を掛けた。
「大丈夫だ、外壁は無いが俺達には作り込んだ罠がある。敵の突入には時間が掛る、落ち着いて持ち場へ急げ!」
イデンの神蹟術によって冷静を取り戻した兵士や村人は、それに続いたリコットの言葉で自信を取り戻すと整然と持ち場へ走った。物資が乏しい状況で外壁の構築が不可能だったオゴ村は罠によって防御を賄っていた。それらはリコットの発案であった。彼によって計画された罠の数々はオゴ村南側に張り巡らされている。
一方、王弟派第二騎士団の騎士達はオゴ村の南西側の森から姿を現すと、守りの薄い村へ突入しよう騎馬を駆けさせる。森の縁と村の周囲を囲む粗末な木柵の間には幅五十メートルほどの貧しい畑が広がっているが、今は所々に馬防柵が設置されていた。そのため、騎士達は馬防柵の切れ目を縫うように騎馬を進ませる。結果的に、彼等の突撃は面ではなく、幾筋幾かの線となってオゴ村を目指す事になっていた。
馬防柵の配置により分断された騎士達だが、彼等は怯むことなく騎馬を駆けさせる。オゴ村側から弓矢などの妨害が無く、また進路を妨害する馬防柵も高さが低いため、騎乗の彼等は見通しが良かった。そんな彼等の眼前には防御態勢を整えていない村が広がっている。それらの事情から、騎士達は我先にと村を目指す。
「一番槍! 貰ったぞ!」
幾つかの集団に分かれてしまった騎士達の中でも、特に先頭を走っていた若い騎士がそんな雄叫びを上げた。その時だった、不意に彼の馬は地面の感触を失った。
「なっ――」
突然の浮遊感に若い騎士は驚きの声を上げるが、それを言い終える前に深い穴の下に突進の勢いそのままに落下していた。それは人の背丈を越えるほどの深さを備えた落とし穴であった。先頭を走っていた若い騎士を呑みこんだ落とし穴は、その後ろを走っていた三騎の騎士をも呑みこんだ。落とし穴は一か所ではなく、幾筋かに分けられた騎士達の行く手に幾つも現れた。リコット達が作った罠はそれだけではなかった。ある所では落とし穴が、ある所では地面から跳ね上がった網が、騎士達の先頭を含む数騎を襲っていた。
「罠だ!」
「気を付けろ!」
その状況に、王弟派の騎士達は突撃の勢いを弱める。そこへ、
「ヨシ! 掛ったぞ、投石始め!」
リコットの掛け声と共に容赦無い投石が行われた。投石を行うのは弓矢を持たない人々だ。オゴ村の住民とコモンズ連隊の兵士達が協力し合って
「怯むな、進め!」
「進め、後ろがつかえる!」
投石は突進の勢いを弱めた騎士達を襲い、数騎が直撃を受けて落馬した。だが、それでも全体としては王弟派の騎士達の優勢は変わらない。立ち止まれば的になるだけと分かった彼等は後方からの号令を受けて再び前進を開始した。
「弩弓、馬を狙えよ! 撃ち方始め!」
前進を再開した敵騎士に対して、コモンズ連隊の兵士達は弩弓を撃ち放った。この一斉射で馬防柵と罠が設置された場所を乗り越えた敵騎士の内、三十騎前後が落馬した。だが、それでもオゴ村へ到達した王弟派第二騎士団の騎士隊は三百を越えていた。しかも、彼等の背後には、
「進め! 王子派を分断する好機だ! 勝利は目前だ、掴み取れ!」
と大音声で号令を掛けるオーヴァン将軍の姿があった。自分達の指揮官が直接前線指揮を執る状況下で、王弟派の騎士達の士気は高まっている。そんな彼等は最後の障害物である粗末な木柵を突破すると、南側からオゴ村への侵入を果たしたのだった。
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