Episode_23.19 欺瞞展開


 四月中旬から始まった王子派と民衆派の交渉内容は多岐に渡ったが、大まかにいえば王子派から民衆派へ食糧支援と内戦後の地位保証を与え、その見返りとして民衆派は軍事組織である解放戦線が王子派と共闘する、という内容であった。ただし、協定が完全に合意された四月末の時点では、まだ協定が完全に合意された状況は秘密とされていた。そのため王子派と民衆派の交渉は、外見的には条件面で折り合いがつかず難航し、レイモンド王子のトリム滞在が長引いているように見えた。


 その間、レイモンド王子以下主要な面々は頻繁にトリム東のアフラ教会を訪れることとなる。当然その姿は解放戦線の騎兵や兵士のみでなく民衆派としてトリムに残った人々の目にも触れることとなる。凡そ一万の人々は、トリムの東から港湾地区一帯で難民同然の生活をしながら、自分達の未来とトリムの行く末を案じつつ、交渉の行方を見守っていた。そんな彼等の間には噂や憶測が飛び交う事になる。その内容は楽観的なものから悲観的なものまで様々であった。そして、そんな噂や憶測を語り合う人々の中には、別の興味で王子派と民衆派の交渉を見守る者達が混ざり込んでいた。


 王子派と民衆派の接触は可也かなり早い時点でトリム城塞に立て篭もる王弟派第二騎士団と四都市連合の傭兵部隊に伝わっていた。勿論それを伝えたのは民衆派内に潜り込んだ彼等の間者である。だが、会談の内容を直接見聞きできるほど内部に食い込んでいない間者達は、周辺の人々が口ぐちに噂し合う内容を報告していた。それらの報告の中で王弟派や四都市連合の作軍部長の目を惹いたのは、レイモンド王子が直接交渉のためにトリムに来ている、という事だった。


 その情報は直ちに、城塞に数羽残っていた伝書鳩によって王都コルベートへ伝えられた。四月中旬のある日の夜明け、城塞内居館の屋上から空へ放たれた二羽の伝書鳩はまるで上空の高い所に居る何者かの気配に怯えるよう、空の低い所を飛びながら西を目指した。一方、二羽の伝書鳩を視界に捉えた猛禽類の金色の瞳は、実に恨めしそうにそれらを見送ったという。


 そして、状況は直ぐに動きを見せた。


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 トリム城塞から王都コルベートへ伝えられた報せ、


 ――レイモンド王子が少ない手勢と共にトリムに滞在している――


 を受けた白珠城パルアディスの宰相ロルドールは、ほぼ即答に近い形でターポの北のタトラ砦で防衛線を張る第二騎士団に命令を発していた。それは、国王ライアードの署名入りで発行された命令書で、王子派に押さえられたサマル村とスリ村の奪還を命じるものである。地理的に考えて、サマル村とスリ村がリムンとトリムを繋ぐ連絡経路になっている事は明らかであった。そのため、この二つの村を叩くことで、トリムに滞在するレイモンド王子を孤立させる事が出来るとロルドールは判断したのだ。


 この決定はライアードの署名はあるものの、実際は宰相ロルドールの独断で行われたものだ。この決定に際し、宰相ロルドールは意図的に四都市連合のヒューブ中央評議員やザメロンを始めとする顧問団への相談を避けた。四都市連合彼等がコルサス王国の内戦に関してその終結を遅らせたい意向を持っている事はロルドールには見え透いた魂胆であったからだ。


 だが、同盟勢力からの雑音を廃した結果、四都市連合の傭兵部隊を動員する事が出来ない事情となった。そのため、宰相ロルドールはタトラ砦の第二騎士団に対して後詰め部隊として王都の第一騎士団から四千人の騎士と兵士を出撃させる事にした。この部隊は将来的にトリムで孤立したレイモンド王子を屈服させ内戦に終止符を打つ役割を担っている。そのため、指揮官には満を持して王子スメリノが任命された。


 そして、命令書を携えた早馬はタリフ、ターポを経てタトラ砦に到達した。それはトリムからの伝書鳩が王都に届いた四日後の事であった。


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「――という事だ」

「……」

「どうするべきか? 貴殿はどう思う?」


 タトラ砦の居館の二階の広間、普段は軍議が行われる広間で、第二騎士団将軍オーヴァンはもう一人の男にそう問いかけた。周囲に他の気配は無い。通常の軍議が行われる日中ではなく、今は夜中である。その時間に広間に居るのはオーヴァン将軍とレスリックの二人だ。一つだけ灯した燭台に照らされ、彼等二人の視線は机の上の命令書に向けられていた。


「我々は独自に王子派軍と休戦協定を結んでいる。その休戦期間に、トリムで工作するとは……これがレイモンド王子の発案であろうが、配下の者の発案であろうが、全体としてやはり王子派軍は侮れない」


 オーヴァン将軍の問いに答えレスリックは感心したような口ぶりだ。


「命令書にはサマルとスリを攻め落とせ、とあるが……この時期の南トバ河は一年で最も水量が多い。これは厄介だ」


 レスリックの言葉に対し、オーヴァン将軍はそう言う。確かに、南トバ河の水量は北部森林地帯の雪解け水が流れ込む四月から六月に掛けて通年で最も多くなる。タトラの渡り瀬も渡河出来る場所は非常に限られてくる状況だった。


(季節的な状況も折り込み済みだろう……相当に頭の切れる参謀か軍師が居るようだ)


 そう考えるレスリックは、彼我の戦力差を思い浮かべる。現時点で南トバ河を挟んで対峙する両軍の勢力はほぼ同等だ。そのため、攻守の優劣を考慮に入れると、タトラ砦を守ればよいだけの王弟派は有利な立場であった。しかし、攻守が逆になれば兵力の立場も逆になる。これまでと一転し、王子派の拠点を確実に攻め落とすと意図した場合、タトラ砦勢力は決して充分とはいえなかった。


「我々がレイモンド王子の孤立を意図しサマル村とスリ村の奪還に動く。これは、王子派の目論見通りでしょう。守りを固めた二つの村に対し、強攻を仕掛れば此方の被害は甚大。さりとて、敵の総大将の首がチラつけば、どうしてもその拠点を落とさざるを得ない。犠牲度外視での総攻撃、これを王子派は狙っていると思う」

「つまり、奴らは総大将レイモンド王子の首を餌にして、我々に不利な状況下での戦いを強いて損害を大きくすることが目論見か」

「恐らく」

「何という大胆な……」


 この一カ月ほどでオーヴァン将軍のレスリックに対する態度は一変している。以前の何かに付けて対立する態度は鳴りを潜め、今は教えを請うような真摯な態度であった。まるで兵法を学ぶ学士のように見えるほどだ。対して、レスリックは広間の壁に掛けられた広域の地図に目をやる。そこには、リムン峠南の森林地帯内に点在する村の場所が大まかに記載されていた。


「トリムとリムンの連絡を断つ。ならば……」


 レスリックは地図を眺めながら、ここ一カ月半の間に派遣した斥候部隊の被害を思い出した。タトラ砦の北に広がる南トバ河の西岸域の森、特にスリ村付近に差し向けた斥候はその多くが返り討ちにあっていた。つまり、王子派はそれだけスリ村への攻撃を警戒し、西岸の森の監視を強めている事になる。しかし、反対の東岸はどうであろうか? ふとそんな考えが浮かんだ。


「オゴ村……か……この村から南のトリムへは一直線だ……ならば」

「どうした? 何か思い付いたか?」


 不意に独り言を呟いたレスリックに、オーヴァンは血相を変えて問い募る。対するレスリックは何度か宙を見ながら頷くと、不意に視線をオーヴァンに戻して言う。


「オーヴァン将軍、しばらく王都からの命令ははぐらかし・・・・・ましょう。我々も準備が必要だ」


 そう言う彼の表情は何かを確信していたようであった。

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